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「しず、また社に来い。おれぁ、またしずといろんな話がしたいぞ」
今年もまた桑もコケモモも、たくさん実るだろう。ずいぶんぼろぼろになってしまった、しずの手製のかごを作り直してもらいたい。
「ありがとう。せやけどね、さすがにうちの手伝いせんとねえ。――出戻りやから」
しずはちょっとさびしそうに笑った。
知ってるんでしょう? しずの目はそう言っていた。気遣いなど無用だと一蹴するような気丈さもあり、それがいっそう憐れでもあった。
「あたしにも、なんぞできること、あるんやろかねぇ」
「……今も、ちゃんとやっとるやろう」
たくさんの剥き貝を見て、常波が言うと、しずはほほえんだ。
「ありがとう。神様からそう言うてもらえると嬉しいわ。……ところで常波は神様の資格、取ったん?」
「まだそんなもの覚えとったんか」
驚くより、呆れてしまう。
「そりゃあ……」
しずは笑い、言いよどんだ。
「たいせつなことやし」
他人にそう言われてしまうと、気まずさしかない。
「まだや」
小さな声で告げると、しずは眉を下げた。
「大丈夫なん? それで」
「いやあ……あかんのや、ほんとうは」
あれからも書状は幾度となく届き、ひと月前にきたものには、今年の大晦日までに資格を取らぬ者は、順次、資格を持つ者と交代してもらうとの旨が記されていた。
憤っても、すべての神を統べる天照大御神のなさることに、常波のような末席の神が口を出せるはずもない。ならば、強引なやり口が気に食わぬと意固地にならず、資格を取るべきであろう。
「せっかく帰ってきたのに、常波がここの神様やなくなったら、嫌やわ」
「……そうやな」
しずにさびしそうな声で言われて、常波の中でようやく神の資格を取りにゆく決意が固まってきた。
と、そこへ、ぺたぺたと草履の音が近づいてきた。しずが「あら」と言って、会釈する。
「誰かと思ったらしずかい」
かやだ。片手には海藻を盛ったかご、もう片方で子どもの手を引いている。新造という、かやの下の子だ。やっとできた跡取り息子であり、それはそれは可愛がっている。
「こんにちは。新坊も元気そうね」
にっこりとするしずから、貝の剥き身に視線を移し、かやはくちびるをひん曲げた。
「そんな子どもらでもできること……ええ身分やねぇ」
「お前に関係ないやろ」
思わず常波は声を荒らげた。もちろん、かやに聞こえるはずもない。変わらず、意地の悪い目つきだ。
しずはちょっとだけびっくりした目をし、それでもほほえみを絶やさず、
「あたしも、色々とやってみたい思てんのよ。今からでも、漁に出てみようかね。かや、教えてくれんか?」
ご機嫌取りではなく、本気でそう言っているようだった。
「……あんたが?」
かやは、ハッと鼻で笑った。
「小ぎれいなおうちでお手伝いさんやってたあんたが、今さら海に潜るいうんか」
さすがにしずの表情が曇る。ますます、かやは図に乗って、心無い言葉を吐く。
「ここにおったころも、常波さんにばっか入り浸っとったもんねえ。あそこの巫女にでもなったらよかったのに」
しずが何も言い返さないので、かやは興が削がれたのか、「あたし行くわ。忙しいよってな」と、子どもを急かし、去っていった。
「しず……」
常波の声など、その耳には届いていないようであった。
しずは、去りゆく親子の背を見つめながら、
「……だったら、どんなによかったやろうねえ」
生温かい風が吹き、砂埃を舞い上げる。
伏せたしずのまぶたの際が光って見える。
常波の中で、かちりと何かがはまった音がした。
「おれ、神の資格取ってくる」
しずが目じりをぬぐい、ぱちくりする。
常波にもう迷いはなかった。
それで、しずが少しでも喜んでくれるなら。
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