赤いランドセルと彼女

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赤いランドセルと彼女

    「はじめまして、おとうさん」  私の部屋を訪ねてきた少女は、開口一番、そう言い放った。  背中には、赤いランドセル。どう見ても小学生、しかも低学年だった。  私にだって、人並みに女性経験はある。だが、最後に誰かと関係を持ったのは、もう10年以上も昔のことだ。  知らぬうちに私の種を宿した女がいるとしても、こんな小さな子供というのは、絶対に計算が合わない話だった。  ドアを開けたままの姿勢で、ぽかんと固まってしまう私。  一方、幼女は、大人びた口調で続けていた。 「結城(ゆうき)律子(りつこ)の娘、理子(りこ)です」 「ああ、りっちゃんの子供か……。りっちゃんは元気かな?」  むしろ私の方が、大人らしくない対応だろう。子供にとって、母親を『ちゃん』付けで呼ばれるのは、嬉しくない話に違いない。  それに、この少女も『理子』ならば愛称は『りっちゃん』だろうし、紛らわしい、という問題もある。  ……などと、現実逃避気味に考えていると。 「長らく病で伏せっておりましたが、先日、母は亡くなりました」  再び、子供らしくない言い回し。  まるで練習してきたかのようにも聞こえるが、それどころではなかった。  私は慌てて聞き返す。 「亡くなった、って? あのりっちゃんが?」 「はい。前々から母は、自分が死んだら父のところへ行け、お前のおとうさんは唐田(からた)信道(のぶみち)という男だ、と言っていました。それで、ここへ参りました」  幼女は、住所と地図の記された紙を取り出して、言葉を続ける。 「あなたが、その唐田信道さんですよね?」 「ああ、私が唐田だが……」  と、反射的に返しながら。  頭の中で私は、昔の出来事を思い浮かべていた。 ――――――――――――  学生時代の私は、普通に何度か、女性と付き合う機会があった。  間違ってもハンサムというレベルではないが、別に醜男(ぶおとこ)というほどでもない。性格的には「優しい人」で通っており、何となく親しくなって、そこから交際に発展する、というパターンが多かった。  しかし。  今にして思えば、私が「優しい」というのは大嘘だったのだろう。私の「優しい」は友だちや恋人に限定されたものだから、まやかしに過ぎない。自分とは縁もゆかりもない他人に対して優しいのでなければ、本当に「優しい」とは言えないはず。私の場合は、しょせん私自身に対する甘さの延長に過ぎなかったのだ。  だが若い頃の私は、それに気づかず……。  誰と付き合っても、数ヶ月もしないうちに「思っていた人と違う」と言われてフラれる、というのを繰り返していた。  そんな中。  律子とは、珍しく一年以上続いたが……。それは単に、律子が隣の県に住んでいたから――それまでの恋人よりは遠距離だったから――デートの回数が少なく、浅い交際だった、というだけの話なのだろう。  律子と付き合ったのは、私が大学院に通っていた頃だった。  当時の私は、朝も遅いが夜も遅く、日付が変わるまで大学の研究室にいるのが普通、という生活サイクル。ある日の帰宅後、夜食を食べながら適当にテレビをつけたら、たまたま放映していた深夜アニメが面白かった。  アニメを「面白い」と感じること自体、私にしては珍しい出来事だったので、それを日記ブログに書いた。すると、コメント欄に、 「私も大好きです! 凄いですよね、これ! 作画も脚本も、そして声優の演技も!」  と熱く書き込んできたのが、彼女だったのだ。  そこからブログでの交流が始まり、さらにオフラインで実際に会うようになって……。何度目かのデートで『友だち』から『恋人』になった。  律子は単なるアニメファンではなく、声優になりたい、という夢を持っている人間だった。アニメ関係の専門学校にも通ったが、卒業しても、声優の事務所に所属するどころか、養成所に入ることすら出来なかった。だからアルバイトをして暮らしながら、アマチュアでも受験できるオーディションを狙っているのだという。  大げさな言い方をするならば、私とは住む世界が違う、という感じであり、インターネットがなければ知り合う機会もないような相手だった。  私は高校が進学校だったから、周りのみんなが受験するから、という理由で大学へ進み、何となく大学院まで来てしまった人間だ。そんな私にとって、夢を追い続ける彼女は、まさに眩しい存在だったのだ。  声優の世界なんて、私には全くわからない分野だったが……。律子から彼女の友人たち――律子と同じ専門学校の卒業生――を紹介された際に、彼らの声の芝居を見せてもらう機会があった。  1ページくらいの台本を録音して、何かのコンテストに応募する、というものだったらしい。それで律子を含めた数人が台詞の応酬をしたのだが、私のような素人が聞いてもわかるくらいに、演技というものは素晴らしかった。  台本の台詞を読み始めた途端、声質や口調といった表面的な部分ではなく、もっと本質的な部分から別人になってしまう。ああ、これが「役になりきる」ということなのか、と感動を覚えるくらいだった。  役者にとっては、出来て当然のことなのかもしれない。だから私のような素人を感動させられるレベルであっても、その程度では、養成所に拾ってもらうことすら無理なのだろう。  そんなことを私は考えたが……。  実はその時、唯一律子だけが、この「役になりきる」という基本が出来ていないように私には聞こえた。彼女の友人たちが声優になれないのであれば、彼女がなれないのも仕方ないだろう、と思ってしまったのだ。  しかし、それを正直に律子に伝えられなかった私は、彼女に対して、あまり誠実ではなかったのかもしれない。 ――――――――――――  そんな思い出が頭の中を駆け巡り、ボーッとしていたら、 「よろしくお願いします、おとうさん」  と、幼女が改めて挨拶してくる。  深々とお辞儀する彼女を見ると、背中のランドセルが邪魔そうにも思えた。  そういえば、小学校からの帰り道というわけでもないだろうに、何故わざわざランドセルを背負って来たのだろう?  そんな疑問を込めた私の視線に、彼女は気づいたらしく、 「ああ、これですか?」  軽く首を後ろに向けながら、ランドセルを揺すってみせた。 「母に最後に買ってもらったのが、このランドセルなので……。これは母の忘れ形見なのです」  忘れ形見。  確かに、辞書的には「忘れないように残しておく形見」という意味もあるけれど……。  むしろ、もう一つの意味で使われる方が多い気がする。  そう思った私は、つい口に出してしまった。 「ランドセルよりも、むしろ君自身が、りっちゃんの忘れ形見だよ」 「……どういう意味でしょう?」 「いや、たいした意味はない。気にしないでくれ」  自分の言葉を打ち消しながら、私は奇妙な既視感を覚えていた。  同じ単語や言い回しを互いに違う意味で使ってしまうのは、律子との間にも頻繁にあったことだ。  ひょんなことから「ああ、律子を彷彿とさせる娘だ」と感じてしまう。  だから私は、幼女に向かって微笑んでみせた。 「とりあえず、部屋に上がってもらおうか。そして、君の知っているりっちゃんについて、色々と聞かせてくれないかな?」  根が自己中心的な私にしてみれば、ずいぶんと珍しい態度だろう。  とっくの昔に別れた女の子供なのだ。警察なり役所なりに突き出して、孤児院にでも送り込むのが、本来の私の対応のはずなのだが……。  私と別れた後の律子が、どう生きて、どう死んだのか。その忘れ形見を通して、今さらではあるが彼女と向き直ってみよう、と私は思うのだった。 (「赤いランドセルと彼女」完)    
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