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可愛いを卒業します!
欠伸をする顔がロッカーの中にある鏡に映っているのをわたしは見た。
このところ、早番終わりで大学へ向かい、授業。そして、就活。この生活が続いている。おかげで肌も荒れていて、ニキビを隠すためにコンシーラーを付けることが増えた。
目元は薄っすらと淡いピンクのアイシャドウを付けただけで少し気分を上げている。
――本当は、ちゃんとケアしないといけないのに
――隠したり、目を反らすことばかりしている……
早番のシフトに入れる人が少ないので
きっと店長は目をつぶってくれているのだろう……
ボブヘアは髪をまとめなくていいからありがたい。
少しでも荒れた肌を隠せるなら……
わたしはふうーと息を吐くと
「石井」の名札を制服のエプロンの胸につけた。
間もなく四年目になるこのバイト――
カフェのチェーン店でやることはいつも同じ。
それでも、新作のメニューはいつも心が躍る。
ふと、横目でレジに向かう人を見つけて、すぐに向かう。
「いらっしゃいませ……」
わたしは目線を伏せ気味に言った。
お客様が男性だと、いつもこんな感じになってしまう。
肌が荒れているな、と思われているかもしれない……
と、考えただけで恥ずかしくなる。
――それでも、働かないといけない。
実家から通っているとは言え、甘える訳にはいかない。
それに自分に自信がなくても、働かなくてはいけないと気持ちに鞭打って今でも続けている。
大人になるってこういう気持ちなんだろうなって日々思う。
「お持ち帰りでしょうか? 店内でしょうか?」
そう言いながら、お客様の顔をこの時、初めて見た。
――カッコいい
素直にそう思った。
細身で色白。黒髪を少し流した柔らかい雰囲気。
顔立ちがはっきりしていて、スーツをカジュアルに着こなす。
わたしの目の前にはまさに大人の男性がいた。
「店内だけど、持ち帰り用のカップでお願いできますか?」
声が落ち着いていて、耳に心地良かった。
「……あ、はい。できます」
「ありがとうございます。じゃあ、アメリカンMサイズで」
お客様はゆっくりと目を細めながら言った。
「……っはい。アメリカンMサイズですね」
心臓がドキドキしているのを感じながら
まだ他のお客様が並んでいないのを確認すると、わたしはまたお客様の方を向いた。
「……すぐにご用意できますので、こちらからのお渡しでよろしいでしょうか?」
「……はい、お願いします」
財布から小銭を取り出そうとしていたが、わざわざわたしの方を向いてくれた。
「ありがとうございます。二八〇円になります。」
わたしは言い終わるとすぐに持ち帰り用の紙コップを用意し、コーヒーの抽出マシンにセットし、アメリカンのボタンを二回押す。すぐに入れ終わり、蓋をはめる。
振り返り、戻ると、お金はちょうど用意されていた。
「二八〇円、ちょうどいただきます。熱いのでお気をつけて下さい」
お客様はレシートを受け取り、コーヒーを受け取ると
すっと笑顔になった。
「……ありがとう……君、可愛いね。」
わたしは目を見開き、そのお客様を見つめてしまった。
そのお客様はにこにこ笑っていた。
歩き始めると、店内の窓側のカウンター席へ向かった。
あまりにも突然のことで何も考えられなかった。
もう一度、あのお客様を見た。
背中越しに見える姿は、若い人なのに、新聞を広げていた。
午前の大学の授業を終えて、次の授業の教室で友達の山本 彩華と今朝の話をした。
「桃香、なんて贅沢な朝を過ごしたの?」
「……いや、その、たまたまだから……」
「恋に発展したりしてぇ~?」
「いや! ちょっと、それは……」
わたしは耳が熱くなるのを感じながら首を大きく横に振った。
「……だって、相手は優雅な社会人なんだよ」
「何言ってんの? あたし達も来年には社会人だよ?」
彩華の言葉は胸に刺さった。
わたしなんて大学四年生になっても就活は進まず、卒論も手が付かず。
……それに肌、荒れているし。
「でもさ、可愛いって言われたんでしょ?」
その言葉に返すことができなかった。
なんで、わたしのこと
可愛いって言ったんだろ?
あの人
あの日から、わたしは早番の日にはあの人に会った。
日によって店の混雑が違うため、声を掛けられることの方が少ない。
だけど、あの人がわたしを見てるのは気が付く。
それだけでほんのりと胸があったかくなる。
あの人は
毎朝、新聞を読むために来る。
約束も交わしてないのに毎日会える。
それだけでいつものお店が輝いて見えた。
わたしは店長に、早番になるべく入れてほしいと積極的に頼んでいた。
――出会って一か月。
五月の陽射しは夏を思い出させる眩しさがあった。
ゴールデンウィーク中もわたしはバイトを入れた。
お店の外の掃き掃除をしている時だった。
「こんにちは」
その声には聞き覚えがあった――あの人だ。
「……いらっしゃいませ」
わたしはしどろもどろに挨拶をすると
また、あの人はいつもの笑顔になり、店の中へ入って行った。
いつもよりラフな服装ではあったけど
休みの日にも仕事なのかな?
想像力をつい働かせながら、わたしも店内に戻った。
つい、あの人に目が行ってしまう。
すると今日は一人ではなかった。
もう一人、男の人と二人で何か話していた。
あの人はタブレットを見せながら
真剣でありながらも、どこか楽しそうだった。
わたしはホットドッグを作りながら、時折眺めていた。
出来上がったホットドックが冷めないうちに、と思いながら注文したお客様の番号を探しながら運んでいたら、ふと聞こえたあの人と一緒にいる男の人の一言に驚きを隠せなかった。
「藤原、お前はまだ二年目になったばかりなのに、ここまで細かく企画書を書き上げてくるなんてすごいな。」
恐らく、先輩なんだと思う。
その先輩の表情は和らいでいた。
――いや、それよりも。
二年目って社会人二年目ってこと?
と、言うことはあの人――藤原さんって二個上?
毎朝、早くにコーヒーを片手に新聞を読む姿。
仕事ができるオーラを漂わせていた藤原さんは、すごく大人に見えた。
そのことばかり頭の中で巡っていたら
時間が過ぎていて
返却コーナーのカップやお皿を片付けていると
あの言葉を耳にした。
「今日も可愛いね」
はっとして振り返ると、ひらりと手を振る藤原さん。
また、何も言えなかった……
バイトの帰り道。
わたしは藤原さんのことばかり考えてしまう……
きっと、これを恋しているっていうんだろうなぁ……
しかし、現実に目を向けると
わたしは心臓が止まりそうになる。
進まない卒論……
ゼミの先生に曖昧に伝えていたテーマに怒られて
発表も誰も頷かない内容。
意味のないレジュメと言われている。
就活も
いざ、面接になると思考が止まる。
口から出てくる言葉は自分でも何を言っているのかわからない。
眉をしかめる面接官。
毎日のように来るお祈りメール。
締め切りの短い履歴書の提出。
どっちにも追われて、夜遅くまでに何とか形にするけど
後から読み直すと間違えだらけ。
今では授業中に履歴書を書くこともある。
バイトも早番を続けている。
藤原さんに会うことだけがわたしにとって唯一の至福。
わたし、こんなのでいいの?
鏡に映る素っぴんのわたしの顔。
頬はニキビでぽつぽつと赤くなり
目も寝不足で充血し、目の下には隈ができている。
わたし、このままじゃ、だめだ。
梅雨に入り、わたしは大学の食堂で彩華に“決意”を伝えた。
「わたし、可愛いって言われるの卒業する」
「え? じゃあ、二個上イケメン諦めるの?」
「……そうじゃあないの。このままだと、ダメな理由を藤原さんのせいにしてしまうの。
だから、内定と卒論が終わるまでは
バイトを減らす。さすがにゼロはきつい!
あと、最近、寝不足で肌もボロボロだし、甘い飲み物飲みすぎたみたい。
まずは、生活習慣から改善しないと!
面接の時に、頭がぼーっとしちゃうのはそのせいだと思う。」
わたしは彩華から目線を反らした。
「……それに、藤原さんがわたしのことを
可愛いって言うのは、学生だからだと思う。」
「桃香、恋って人を変えるね」
「内定が決まっているゆとりですか!」
わたし達は笑った。
わたしは有言実行するために
まず、店長に頼み込み、バイトを減らしてもらった。
土日のバイトだけにしてもらった。
それから早く起きて大学の授業の前に
もう一度、自分の長所と短所を考えた。
すると、自分から慌ただしい生活を止めて
時間にゆとりを作ったことで束の間の落ち着きを手に入れた。
そのおかげか、ふと小さい頃のことを思い出した。
わたしは小さい頃から甘いものが好きだったとか
友達と一緒にいろいろ甘いものを食べて楽しかったこと
食べに行く前にSNSやネットでたくさん調べて
自分で投稿して「いいね」をもらったり、写真を使っていいですか、と企業の人から言われたこともある。
それは、わたしの長所とつなげた。
バイトでの経験からも紐づけて、思い起こした。
わたしはそれをノートに書き留めた。
それから、わたしは新聞を買った。
情報を得るにはスマートフォンやパソコンで簡単に調べられる。
速いのは確かだけど、読みやすい文章であることと、何が重要なニュースであるかを視覚的にわかりやすい。
それに、自分では気にも留めないニュースを発見することができる。
就活を改めてやり直してから、苦手だった履歴書もすらすら書き上げられるようになった。
面接でも、言葉を整えてすらすらできるようになり、夏に入る頃には女性向け記事を取り扱うアプリを運営するIT企業に内定をもらった。
自信がついたおかげで、わたしは卒論も書き進め、なんとか冬までには間に合いそうだ。
ふと、鏡を見ると肌も少しはマシになっていた。
でも、もう髪を結んでも怖くない。
髪は鎖骨くらいまで伸びた。
切りそろえていた前髪も少し伸ばし、横分けにした。
化粧は隠すような化粧ではなく
華やかに見える化粧を目指した。
アイシャドウはブラウンのジェムを使い肌に溶け込む感じが自然で
グラデーションにして目にほんのり立体感を作る。
リップもピンクばかりつけていたけど
赤に変えて、血色よく見えるようになった。
それだけで肌の荒れよりも
華やかにしたところに目が行く。
秋の涼しさが戻って来る頃には
化粧を落とした顔を見ても、ニキビはなくなり
柔らかく、瑞々しさがあった。
ふと、スマホに電話が着ていた――店長からだ。
「石井さん、夜にごめんね。今度の木曜日、早番入れる? 人が足りなくて……」
「はい! 大丈夫です!」
わたしは快く返事をした。
わたしは髪を結い、制服のしわを伸ばし、エプロンに名札を付ける。
可笑しなところはないか確認して店へと向かう。
昨夜は風が強く、店の前に落ち葉が落ちていたのを見たので、外の掃き掃除をする話をすると、店長は目を丸くした。
「……石井さん、見ないうちに大人びたなって思ったら、細かいところにも気が付くようになって、びっくりだよ」
と言われ、笑顔で会釈した。
わたしは箒を持って、外に出た。
外はもう朝の空気が冷たい。
落ち葉を集め始めると
後ろから声がした。
「あれ?」
わたしは、この一言だけではっとして顔を上げた。
――藤原さんだ!
「久しぶりだね」
あの時のように目を細めて、笑顔を見せた。
だけど、ふと笑顔が溶けるようになくなり、真っ直ぐ見つめた顔になり、少し頬が赤くなったように見えた。
「……最近、キレイになった?」
わたしは目を細めた。そして会釈した。
「……ありがとうございます」
と一言添えて。
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