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「志麻、大変。」
「そう。それはお気の毒だったね。」
「いやせめて聞いてから感想言って?」
そう言って態とらしく悲し気な顔をする翠に、私は溜息を漏らす。
ぐつぐつと音を立てる鍋からは、既にほんのりとトマトソースの香りがする。
仕方なしにコンロのスイッチを消して、割と広いキッチンの筈の、奥まで迫ってくる男と向き合った。狭いんだけど。
「…なに。」
「俺ら、ちゃんとデートしたことない。」
「…………。」
な?なんて、綺麗なその顔を少し傾けて私に同意を求めてくる翠。
「翠さ、コーヒー飲んだらちゃんとカップは水に付けといてよ、シミ取れなくなるから。」
「どういう無視の仕方なわけ?カップはごめんなさい。」
信じられない、と頭を横に振って驚きの声をあげる翠はさっきから演技が大袈裟でなんか地味に腹が立つ。
入籍も済ませ、新居への引っ越しも完了して、結婚記者会見も無事に終えた私達は、正真正銘の夫婦になったわけだが。
お互いこの仕事をしている宿命というか、家でさえこうして一緒に過ごす時間は限られている。
「……してるじゃん、これだって貴重なデートでしょ?」
「そんな可愛いこと言われても今日は譲りません。」
可愛いことを言ったつもりも無いし、今日は、とか言ってわたし大体あんたに勝てたこと無いんだけど、と心の中で毒吐く。
「…行きたいとこでもあるの?」
「んー、あると言えばあるし、無いと言えば無い?」
翠の煮え切らなすぎる返答に私は惜しげもなく眉を潜めた。
なんなんだ、一体。
言葉を返さずじ、と翠を見つめていると、奴はなぜか急にうん、と何かを納得させるように頷いた。
「…よし、そうと決まればすぐ行こう。ほら志麻、着替えて。」
「そうと決まれば…?」
「もう19時か。なんか夜に出かけるのドキドキすんね。」
「もしかして私の声聞こえてない?」
うきうきが伝わるくらい楽しそうな翠は、私をクローゼットの方へ引っ張っていく。
なんで今日こんな強引なの?
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