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名乗られたら「そうですか」で済ますわけにもいかない。同じ会社に勤めているのだし。
「……総務課の小山内です」
「小山内さん、今からコーヒーということは、今日は残業?」
「そうですけど……」
「もし、19時までに終わるなら、僕が送りますよ。今日はたまたま車で来てるので」
にこ、と微笑む彼を、ぽかんと見つめる。
「お言葉は嬉しいんですけど……今日初めてお会いしましたよね?」
「僕は何度か見かけてましたよ。お名前は初めて知りましたけど」
「えっ」
「社用車の申請とか、総務のお隣の経理に領収書を提出したりとか」
「そうでしたか……私、契約社員なもので、あまり他の課の方と接する機会がなくて」
「ああ、契約は基本的に内部事務ですもんね。データ入力とか資料作成とか」
「はい」
お互いコーヒーを手にして立ったままなことに気づいて、私は「あ、じゃあこれで」と戻ろうとした。
「小山内さん、19時10分にエントランスでね」
すれ違う瞬間にかけられた声に「え」と振り返るけれど、彼は大きなストライドで営業部のあるフロアの反対側へと向かっていた。
席に戻ると、すでに半分以上の席は空いていて、がらんとしている。
自分のデスクに落ち着いて、コーヒーを一口。
「……どうしよう」
思わず呟いて、はっ、と我に返る。
パソコンのモニター隅に表示されたデジタルは、すでに17時を10分ほど過ぎている。
「とりあえず、当初の目標どおり19時までに終わらせよう」
志賀さんに言われたからじゃなく。もともとそのつもりだったのだから。
自分で言い聞かせながら、3魔女から預かった書類の山を上から片付けてゆく。
途中いくつかの計算ミスを見つけて、手間取ったりもしたけれど、何とか終わってデータを保存したところでモニター隅に目をやると、18時54分。
「……予定の6分前」
さすが私。
心の中だけで呟いてパソコンをシャットダウンし、デスクの一番下の引き出しからバッグを取り出して、はたと気づく。
「ーーーーー どうしよう」
『19時10分にエントランスでね』
脳裏に蘇る志賀さんの声。
「と、とりあえず、着替えて帰る支度しなきゃ」
あの場だけの言葉だったのかもしれないし。
待っているという保証もない。
そう唱えながらロッカーで着替え(と言っても、上からジャケットを羽織るだけ)、ふと鏡を見た。
おざなりなメイクと、後ろで一つに纏めただけの癖のない髪。
学生時代から変えたことのない、ぱっつん前髪。
「……リップだけでも、塗り直そうかな」
普段だったら、気にしたこともない。
いそいそとバッグからメイクポーチを出して、あまり色の濃くない長年愛用のリップを塗る。
メイク道具はどれもドラッグストアで安く買えるものばかり。
脳裏に3魔女のばっちり決まったメイクが浮かんで、しばしポーチの中身を見つめた。
はっ、と我に返って慌ててポーチを仕舞い込み、ロッカーを閉める。
「どうでもいいじゃない。これが私なんだから」
志賀さんだって、たまたまあそこに居合わせたから親切に声をかけてくれただけ。
もう雨も止んでるかもしれないし。
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