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夜で空気が静まっている中で、叫ばれたわけでもない声はきれいに佳亮の耳に届いた。声の方向を振り仰ぐと、ベランダからその人がこちらを見下ろしていて、煙草を持った手をひらひらと左右に振っていた。
「……?」
よそのマンションの前で声を出すわけにもいかず、佳亮が上を見上げてじっとしていると、その人は指で地面をぴっとさして、まるでそこから動くな、と言ったようだった。そのまま人影が部屋の中へと入っていく。どうしたらいいのか分からなかったけど、もし本当に動くな、と言っているのだったら、ちょっと待ってみなければいけないかな、と思い、中がどろどろになったバッグを手に提げ、佳亮は立ち上がった。
すると、直ぐにそのマンションのエントランスから黒のハイネックに黒のニット帽をかぶった人影が出てきた。やっぱり動くなという意味だったのか。佳亮はほけっとその逆光のシルエットを眺めてしまった。
「何が駄目になったの」
その人―――女の人―――は開口一番、そう聞いてきた。
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