白い花

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 僕の知る世界は白と黒だけだった。  生まれた時からずっと、そしてきっとこれからも。  初めはそれが普通だと思っていた。  でも、違った。  気づいたのは幼稚園に通い始めた時。  周りの子が赤青黄と言っている意味を理解できなかった。  それが全部同じ色に見えたから。  病院に行って自分が脳の障害だという事を知った。  悲しいとは思わなかった、思えなかった。  今まで白と黒しか見えていなかった僕にとってそれが当たり前だったからだ。  彼女と会うまでは。 「満開だね」  そう言って彼女は微笑んだ、縁側で僕の隣に座って庭で咲く花を見て。  毎年四月に開花する白い花。彼女の好きな――彼女と同じ名前の白い花。 「うん。………そうだね」  僕は精一杯の返事をした。  彼女と出会ったのは病院だった。  去年の今頃、病院の入り口で咲く木を見て泣いている女性に僕は「どうしたんですか?」と何気なく声かけた。女性は「私、死ぬんだって」と笑顔で応えた、それが彼女だった。  僕は脳外科で彼女は内科。  同じ病院とはいえ診察室は遠い。けど決まって水曜日の夕方に精算所の待合室で彼女と会った。  それから話すようになり、一緒に買い物や遊園地にも行った。楽しかった。彼女の笑顔を見るのが嬉しかった。  まるで恋人のようだった。 「ねぇねぇ知ってる? あの木の下には死体が埋まってるんだよぉ。だからああいう色をしてるんだって」  彼女が妙に芝居がかった口調と態度で僕を見る。 「じゃぁ僕の見る木はみんな人畜無害だ」 「あ、ごめん。白にしか見えないんだよね……」  申し訳なさそうに頭を下げると、彼女は僕に向かってまた微笑んだ。  つられて笑ってしまう。なんと僕は単純なんだろうか。  彼女が傍で笑ってくれる、それだけでいいのだから。  僕は彼女が好きだった。  彼女も僕を好きだと言った。  けど、付き合っている訳ではなかった。それを彼女が嫌がったからだ。「私はもう半分死んでいるようなものだけど、君は違うでしょ」その言葉は彼女の優しさでもあり、僕に埋まらない溝の深さを知らしめた。  彼女は死んでしまう、今さらどうすることもできない。それは最初から分かっていた事だ。  だから、彼女が死ぬまで彼女の居場所を僕は作ろうと思った。  結果、それは成功していた。  彼女が隣で微笑んでいるのだから。  でも、僕の怖かった。彼女が死んでしまう事でも、白と黒しか見えない事でもない。  隣で座る彼女の横顔を眺める。  色素の薄い黒髪、薬の副作用で痩せた頬。僕の目からでもわかるほど不健康そうな白色の肌。それでも彼女を綺麗と感じた、触れたいと思った。 「――ん? なにかな」  自分が見られている事に気づいた彼女が僕へ問いかけてきた。  その笑顔は触れたら壊れそうなほどに無垢で、思った途端に身体が動いてしまう。 「ちょ、ちょっと。どうしたの? 」  抱き寄せられた事に驚いた彼女が僕の胸の中で少しだけ暴れた。が、すぐに動く事を忘れた。脂肪は愚か筋肉さえろくについていない体にあまり力を入れすぎたら折れそうな肩、それでも力まずにはいられない。  僕の背中にまわるか細い腕、彼女は僕を拒まなかった。それがどういう意味なのかはわからないが笑顔のまま泣いている彼女。  自分の恐れがどうしよもなくやるせなくなった。 「―――僕には…………!」  嗚咽するように涙と言葉が漏れる。その口を彼女がそっと塞ぎ、僕と彼女はその日初めて一線を越えた。  二人、ただ泣くだけで。お互いの距離が縮まる事はないとしても。 ――翌々週、彼女は亡くなった。  結局、彼女は自分の病状を僕には言わなかったが、彼女の主治医の話だと、余命から一年ほど長く生きた彼女は奇跡だったと言う。しかし、今の僕にとってはもう関係のない事のように思えた。  彼女の葬儀の日。  あの木に咲く白い花は、既に舞い散り灰色の葉っぱばかりを実らせていた。華は短命なことか、樹は長く幹は太い。  それでも僕は動かない彼女と対面し、線香をあげる。棺桶からのぞかせた顔は、前にも増して白く生気がなかった。当然といえば当然なのだろけど、僕には向かって微笑んでくれた彼女は確かにそこに居た。  一通りの葬儀が終わるまで僕は彼女の両親に無理を言って同席させてもらい、霊柩車にまで乗せてもらった。  火葬場で好きな人が燃やされて逝く。  それを一体どう見たらいいのだろうか。浮かぶ一つ一つの感情は留まる事を知らず、満たされない気持ちで僕はある思いに至った。  開かれた焼却炉からは人型を象った骨が出てくるが、それが彼女なのだとすぐにわかった。  親類縁者たちが彼女の骨を壷に込めていく。長い箸を使って二人で摘まんで。  周りの人の目を盗んで、  僕は――こっそりと好きな人の遺骨をポケットに入れた。  家に帰って庭に埋める。もちろん、あの木の下に。
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