C2:6/17:栃木県居種宮市『自宅に向かえ!』6:顕現

1/1
前へ
/53ページ
次へ

C2:6/17:栃木県居種宮市『自宅に向かえ!』6:顕現

 大根田は鉄棒を横に払った。  ぶんと重く唸る鉄棒に、わずかだが手応えがある。  この霧が、化け物なのだとしたら――自分に打つ手はあるのだろうか。  漫画やアニメ、ゲームなら核みたいな弱点があるものだが、現実では――  大根田の前方で、霧が渦を巻くと、手のような形になった。  うわっと硬いアスファルトに転がると、唸りをあげて霧の手が横を通り抜けていく。  速くはない。  だが、大きい。  あれは――掴みに来たのか?  だったら――  大根田は立ち上がると、周囲を見回す。  同時にいくつもの渦が現われ、それが巨大な手になって突き進んでくる。  掴んでくるなら、その瞬間は叩けるはずだ。  大根田は向かってくる手の一つに駆け寄ると、ぶつかる直前に右に体を(さば)き、鉄棒を横に()ぐ。鈍く重い手応えと共に、霧の手が二つに裂け、じゅうじゅうと水が蒸発する音が鉄棒からした。  そうか、水か。  霧は何かしようとする際に、密度を上げ、水で攻撃してくるということか。  大根田は鉄棒を八相に構える。  前か、後か、右か、左か、それとも――  唐突に、それは現れた。  白一色の霧の中に色濃い部分ができ、それが縦に細く長く伸びてゆく。  大根田の身長を遥かに超すほど高くそびえた『霧の柱』。  それは中心から二つに、まるで門が開くように裂けた。  な、なんだ――  真っ暗な空間が、霧の柱が裂けた先にあった。  その暗闇の向こうで、何かが漂いながら、間違いなくこちらを見ている――大根田は全身の毛が逆立つのを感じた。  その真っ暗な向こうから、光り輝く何かがやってくる。  はっと大根田は気が付いた。  臭気が――あのオゾン臭さが強くなっている。  しまった――  (きびす)を返そうとした大根田は、強烈な喉、そして胸の痛みを覚えた。視界が歪み、鼻が、腕が、背中が激痛でひきつる。  膝をつき、歯を喰いしばる大根田の目の前に、光り輝く大きな人型が現われた。霞む目を凝らすと、それは青白く光る霧が人の形に渦巻いているのである。  大根田はくそっと小さく叫ぶや、かろうじて保っていた八相から、鉄棒を振り下ろした。  だが、赤い鉄棒は霧の大男の体内を抵抗なく通過してしまう。水が蒸発する音は聞こえたが、切った断面は瞬く間に塞がってしまった。  くそっ、駄目か――あっ!?  大根田は鉄棒から熱が奪われてしまった事に気が付いた。  慌てて集中しようとするも、全身に走る激痛がそれの邪魔をする。  霧の大男は大根田に向かって手を(かざ)した。  (てのひら)が割れ、青白く濃い霧がどろどろと噴出された。それは水にたらした墨のようにねっとりと渦巻き、大根田の身体に絡みつく。  悲鳴すら出てこない激痛と、息苦しさに大根田は(たま)らずアスファルトを転がった。  な、なんとか逃げなくては――今は安全な場所――そうだ、すぐ近くにうちがあるじゃないか――  大根田の目が見開かれる。  いや!  こいつがいる限り、安全な場所なんてない!  こいつがこのまま霧を拡げたら、うちも飲み込まれて、麗子も――  大根田は歯を喰いしばって体を起こした。  なんとしても!  なんとしても、こいつをどうにかしないと!  だけども、今のままではダメだ  今のままの――  大根田は鉄棒を見た。  今のままの熱では、あいつを蒸発しきれない。  もっと――もっと高い熱を!  あいつを一瞬で蒸発させるぐらいの、高い熱を!  大根田はゆっくりと片膝をついた。  眼鏡を外し胸ポケットに入れる。  そのまま鉄棒を刀のように左手で持ち、腰の横に置く。右手を鉄棒にかけ、ゆっくりと息を吸い込んだ。  焼けつくような喉と肺の痛み。  鼻と耳、そして両目の端から熱いもの――血が垂れ始める。  大根田は目を瞑ると、そのまま力を探る。  内にある力。  いや――流れ込んでくる力、か?  それが次第に大きな塊になり、鋭く、そして赤く燃え始める。  自然と、大根田の体は前に傾いて行った。  霧の大男は、両腕を拡げ、更にその大きさを増しながら大根田に向かっていく。  だが、それは突然歩みを止めた。まるで見えない壁にぶつかったように、霧をたなびかせ、身を震わせる。  渦巻く霧の頭部が震えると、穴が二つ開く。  それは目のようなものだった。  勿論眼球は無く、霧が中に流れ込んでいく暗いへこみの様なものだ。そして、その奥ではきらきらと青白く光る何かがせわしなく(うごめ)いているのだ。  それは虚ろな眼下をもって、コメツキムシのような姿の大根田を見下ろした。  ほとんど頭をアスファルトに付けるような姿勢。  引き絞られ、今にも弾けそうな手足。  ほぼ垂直に、サメの背びれのようにそそり立つ鉄棒。  (しぼ)られたバネ――  瞬間、大根田は全ての力を乗せ――鉄棒を『抜いた』。  五十嵐は霧から飛び出すと、遠巻きにしていた駅員達に自衛隊員を任せ、よしっと顔を拭う。 「……ん? ちょ、ちょっと、あんた、また戻るつもりじゃないだろうな!? やめろって!」  青い顔をした年配の駅員の言葉に、五十嵐はにやりと笑った。  危ないのは判ってるんだよ。  でもよ――  五十嵐は踵を返すと、霧に向かって走り出そうとした。  霧が爆発した。  ドンという音と、熱風が同時に襲ってきて、遠巻きにしていた人々が吹き飛ばされる。五十嵐はとっさにスーツを被ると、体を低くし、指先でアスファルトに張り付くように体を支えた。  床屋で熱すぎるタオルを乗せられたような感触が、閉じた目の上に襲ってくる。  腕毛がちりちりになっていく感覚。  アスファルトに付けた指先がずぶりとめりこむ。  おいおいおい! アスファルトが溶けてんのか!?  こ、これ、おっさんがやってんのか?  スーツが吹き飛ばされ、五十嵐はやや弱まった熱気の中、目を開いた。  ぼるぼるぼると風を巻くような音を立てながら、霧がのたうつように消えていく。  餃子屋の壁に、転がったヘリコプター、そして―― 「おっさん!」  大根田がいた。  片膝をつき、鉄棒を水平に振り切ったポーズで(うつむ)いている。  そしてその前に、真っ白い霧の大きな塊ができつつあった。  霧は消えたのではなく、そこに集まっていたのだ。  こいつが、霧の化け物の正体――  霧で形作られた大男――こんなもの、どうやって殴りゃあいいんだよ?   五十嵐は心の中でそうぼやきながらもファイティングポーズをとる。  だが、霧の大男は形を取り戻すと、ふわりと宙に浮き、そのまま上昇を始めた。  逃げた――いや、違う、か――  呆然とする五十嵐や周囲の人々が見守る中、霧の大男はぶわっと胸を膨らましたかと思うと、文字通り霧散し、渦巻く霧の波のようになって空に登っていった。  五十嵐は我に返って大根田に走り寄る。 「おっさん! おい、無事か!? 返事をしやがれ! 怪我は!?」  大根田はゆっくりと顔をあげた。  五十嵐はうっとうめいて一歩下がった。  目、耳、鼻、そして口から流れ出た血で、大根田の顔はドロドロだった。 「無念……一歩浅かった……」  大根田はそう言うとアスファルトに突っ伏した。  闇の中で何かが燃えている。  何が燃えているのか。  手が――俺の手が燃えている――  俺――俺は――  ――あ――  体に何かが流れ込んでくる。  温かい?  冷たい?  よく判らないが――気持ちよくて――  ――なた――  なんだ?  なにか――声が――  誰かが――俺を呼んで――  あなた!  はっとして目が覚めると、そこは会社の廊下と同じく薄暗かった。  視界がゆらゆらと揺れるのを感じる。  体中に細かい痛みが走る。  ああ、つまりは――生きているという事か。  大根田は体をゆっくりと起こした。  さらさらと微かな音がし、反射的に手を腹の下にやる。  何か細かい破片が、胸から滑り落ちてきた。  硬く、細かく、無臭で、熱くも冷たくもない。  何だ?  これは――何かの金属――いや、そこまで硬くは無いな。  この感触は――松やに?  突如、(まばゆ)い光が大根田の目を刺した。 「まったく、無茶しちゃって……」 「…………へ?」  懐中電灯を持った女性が、布団に寝かされた大根田の横に座っていた。  女性は頬笑んだ。 「お帰りなさい、あなた」  大根田は目を瞬き、ややあって笑顔になり――それから当惑した顔になった。 「れ、麗子……なに、その恰好?」  C2 了  予告:  一命を取り留めた大根田。そんな彼の目の前に、世界の秘密を少しだけ知る人物が現れる! 更に新たなトラブルが――  次回チャプター3 『拠点を防衛せよ!(仮題)』  お楽しみに!
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加