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人間は愚かだ。
世界は我が物だと信じて疑わず、鬼が実在しているという事実を知りもしない。
人との共存共栄など、馬鹿馬鹿しい。
本気で私達がやり合えば、鬼が勝つのは目に見えているのに。
『鬼は人と交わるほうが繁栄する。』
そんな教えは、もしかしたら人に植え付けられたニセモノなのではないか。
自分達が力では敵わないと分かっているから、甘言を吐いて騙そうとしているのでは…。
──ズルリ。ズルリ。
水に濡れた布を引き摺るような不快な音と、一足ごとに全体重がかかるような不恰好な足音に思考が遮られた。
──ベチャッ。
こちらへ向かってきていた男は、濡れた地面に膝を折り、脇腹を強く押さえつけていた。
男の身につけている仕立てのよさそうなスーツの裾は泥だらけで、彼が吐き出す荒い息使いだけが狭い路地裏にこだましている。
「う……。」
唸った男に目をやると、手で押さえている甲斐もなく腹から血を流していた。水溜まりがみるみる鮮血に染まっていく。
このまま、この男は死んで逝くのだろうか。
青ざめた顔をして、傷付き疲れ果てたような男の姿は──まるで自分のようだ。
そんな錯覚を覚えた私は、ゆっくりと立ち上がり彼の傍に腰を下ろした。気配に気付いた男は、よろめきながらも距離を取り、すかさずこちらに鋭い眼光を向けた。
「……触るな。」
「死にたいの?」
「……。」
手負いの獣のような様子で浅い呼吸を繰り返す男をじっと見つめていると、彼は目を見開き戸惑うようにその光を揺らしている。
そして頭をグラリと揺らしたかと思うと、その場に倒れてしまった。
「何故……お前のようなモノが、こんな所に……」
「──え?」
そう呟いた男は、とうとう意識を失ってしまった。
お前のようなモノ?
私を鬼だと認識しているのだろうか?
いや、まさか。それは有り得ない。
角も爪も隠している。それに、暗闇で姿も良く見えないはずだ。
それなのに、どうして…?
少しだけ目の前の男に興味が湧き、血の気の引いた顔にそっと触れた瞬間、大声と共に若い男が走りこんできた。
「孝一さん!大丈夫ですか?何だ、お前!退けっ!」
「………。」
「孝一さん!孝一さん!」
私を押し退け一心不乱に揺さぶり声をかけ続ける若い男は、多分倒れた男の知り合いなのだろう。
しかし、声をかけて揺する度、孝一さんと呼ばれた男の腹から血が吹き出している。必死なのは分かるが、彼の愚行は見るに耐えなかった。
「…あなたはバカなのかしら。今すぐ離れなさい。」
「は?何だテメェ!!まさか、孝一さんに何かしたのか?!おい!答えろ!」
「吠えるしか能の無い人が仲間なんて、彼も報われないわね。」
「っ!テメェ!!」
勢い良く掴みかかってきた男が、私の首に腕をあて締め上げてくる。人間のなんとも軟弱な力で。
「私に構ってないで早くしないと、その人死ぬわよ。」
「………っ!」
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