157人が本棚に入れています
本棚に追加
「姉さん!掃除道具持って来ましたぁ!」
バタバタと朝から元気のいい足音とともに、宮田の大声が部屋の外から響いてくる。
いつからか、宮田は私のことを『姉さん』と呼ぶようになった。
彼に此処に居ていいと認められたような気がして…不思議な心地になる。
襖を開けて廊下に出ると、ちょうど彼も私の部屋の前に着いた所だった。
「ふふ、ありがとうございます。宮田さん。」
「いえ!何か足りないモノがあればいつでも声かけて下さい!」
「分かったわ。」
ニコッと太陽のような眩しい笑顔を見せた宮田は、廊下をバタバタと駆けていきあっという間に見えなくなった。
お庭を照らす朝日よりも、ぽかぽかと温かい気持ちが私を包む。
キュッ、キュッと廊下を磨きあげながら、私はぼんやりと思考を巡らせた。
ここの人達は皆親切だ。
過去には一切触れないで、今の私を受け入れてくれる。
しかし……昨日は、本当に失敗した。
孝一さんは気にするなって言ってくれたけれど…どうしてあんな簡単なことが出来なかったのだろう。
「鬼だって人間だって心がある。心と身体は繋がっているんだ。」
ふと、孝一さんの言葉が頭に浮かんだ。
心と身体は繋がっている……か。
私は坊っちゃんのことが嫌だったのだろうか?
いや、感情が分かりやすい彼を好ましく思っていたはずだ。
──なのに。
唇が触れそうになった瞬間、思わず彼の口を人差し指で押さえてしまった。
「……それはまた、今度のお楽しみにして下さいませ。」
苦しい言い訳を吐き出し何とか微笑んで見せると、坊っちゃんは素直に「うん、そうだな!」と頷いて離れてくれた。
料亭から帰ってきて、孝一さんに口づけされた時はすんなり受け入れられたのに…。
彼とは何度もしているから、簡単に出来るの?
いっそ他の人と口づけしてみたら、何か分かるかしら……。
思考に夢中で掃除の手が止まっていたことに気付き、腕を伸ばして床磨きを再開させた。
半分くらい掃除が終わった所で、桶に雑巾を入れ中断する。
そろそろ朝ご飯の支度をしないと。
キッチンへ向かうと、すでにお手伝いの田端さんがだし巻きを作っている所だった。
「遅くなってごめんなさい。」
「いいのよ。いつもキレイに掃除してくれてありがとうね。」
「いえ。あの…何を手伝いましょうか?」
「あ、じゃあそこのほうれん草を切って水洗いしといてくれる?あと片手鍋に水をいっぱい入れて沸かしてもらえると助かるわ。」
「はい。」
食べやすい大きさに切ったほうれん草をザルつきのボールに入れてよく水洗いしたあと、水を切っておく。
空いてるコンロの上に片手鍋を置いて、火にかけて沸騰するのを待った。
「皆さんのご飯も、もうよそっておきますか?」
「えぇ、そうね。ありがとう。」
「いいえ。」
ふわふわのだし巻きが出来上がり、大根おろしを上に乗せてお皿に盛り付け完成。
私はおかわりする人の為に、おひつにご飯を入れて蓋をする。
大きな寸胴に入った味噌汁を人数分お椀に入れていっている間に、田端さんは鯖の塩焼きを大皿に豪快にどんどん積み上げていった。
「田端さーん!そろそろ運んでもいいっすか?」
大声とともにキッチンへ入ってきたのは、宮田とその下についてる若い数人の男達だ。
田端さんは盛り付け終えたお皿を指差し、若者達に声をかけた。
「宮田君、丁度良かったわ。お願い出来るかしら?」
「任せて下さい!うわっ、今日の飯もうまそーー!」
「いっぱい召し上がって下さいね。」
「モチロンっすよ!」
ニコニコしながら宮田達がご飯やおかずを広間へ運んで行く。
「響ちゃんも、ありがとうね。ここはもう大丈夫だから、食べてらっしゃい。」
「分かりました。ありがとうございます。」
頭を下げて私も宮田達に混ざり料理を運ぶ。
ここの人達は皆で揃ってご飯を食べるのだ。
村に居た頃も一人では無かったけれど、女官達だけの食事だったから、大人数──しかも頭である孝一さんや都築達と一緒ということに初めは驚いた。
村に居た頃は、頭領と一緒に食事なんて考えられなかった。
彼はいつも広い部屋で一人、ご飯を食べていたっけ…。
どれだけ贅をつくしたものだったとしても、味気無かっただろう。
そんなことにも、今まで気が付かなかったなんて…。
人間が来てから、頭領はとても楽しそうにしていたのを思い出して──少しだけ胸が痛んだ。
最初のコメントを投稿しよう!