156人が本棚に入れています
本棚に追加
/64ページ
駆け出した宮田は一目散に部屋から出ていった。
私は少しの後ろめたさで鼓動が速くなっていくのを感じながら、ゆっくりと後ろを向き孝一を恐る恐る見上げる。
「今のは、どういうことだ?」
いつもより低い声に、体がすくむ。
「…昨日の失敗がどうしても気になって……口づけ出来るか、試したかったんです…。」
語尾が消え入りそうに萎んでいくのを、眉を潜めて眺めていた孝一は大きくため息を吐き責めるような視線を私に向けた。
「気にするなと言ったはずだが?お前は誰とでも体を重ねられるようになりたいのか?」
「そういう、訳では……」
「……分かった。もういい。」
諦めたような声色にズキッと胸が痛んだ。
別に、誰とでも体を重ねたい訳ではない。
ただ、役に立てることを探そうとしていただけで…。
分かってもらえない悲しさと、悔しさに心が沈んでいく。
踵を返して部屋から出ていった孝一の後ろ姿が、目に焼き付いて……なかなか離れていってはくれなかった。
その日の夜。
冷たい表情をした孝一が部屋を訪ねて来た。
「渡したスマホはどこだ?」
「あ、ここに…」
差し出したスマホを奪うように取り上げた孝一は、もう用は済んだとばかりに出ていこうとしたので、私は慌てて引き留めた。
「どうするのですか?」
「坊っちゃんとのやり取りは、今後俺がする。お前は会うときにまた来てくれたらそれでいい。以上だ。」
「そんな…」
「何だ?何か不都合なことでもあるか?」
疑念の色を含んだ声に、私は何も言えなくなる。
「……いいえ。」
声を絞り出した私を冷たい瞳で見つめていた彼は、答えを聞くなり興味を失ったようにさっさと出て行ってしまった。
今までのように、スマホのことを教える必要が無くなったことは分かる。
でも…彼と過ごす1日の終わりの他愛のない時間が私は好きだった。楽しみにしていたのだ。
彼は朝食の後、宮田とのアレコレがあってから私のことを「響」と呼ばない。
優しく、大切そうに名前を呼ばれることはもう無いのかも知れない。
……そう思うと、私の胸はシクシクと痛んだ。
最初のコメントを投稿しよう!