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◇◇◇
今まで、自分は何も間違ったことはしていないと、そう思っていた。
麻薬を好きな相手に──頭領に使ったことだって、彼が私より人間を大切にしているから振り向いて欲しい程度にしか思っていなかったのだ。
自分の意志に反して、他人に好き勝手されることの恐ろしさを……想像すらしていなかった。
謝りたくても、もう会うことも叶わない。
むしろ、謝ることで自分の後ろめたい気持ちを軽減したいだけなのかも知れないと思うと、この後悔はずっと抱えていくしかないのだと……そう思った。
薄々感じていることだけれど、孝一さんは麻薬をとても嫌っている。
薬を自分の私利私欲の為に使ったことを知った彼は、きっと私のことを軽蔑しているだろう。
それでも私は……。
彼の優しく触れる手の温かさに。
名前を愛しそうに呼んでくれることに。
人を大切にしている彼の心のぬくもりに。
……泣きたいほど、惹かれている。
眩しい光が射し込む廊下を、ともすれば泣きそうに歪んでいく顔を何とか引き締め、無心で磨きあげていく。
ゆっくりと近付いてくる足音に視線を上げると、宮田が心配そうな顔でこちらへ向かってきた。
「姉さん、体は大丈夫ッスか?1日くらい休んでも…」
「いいの。大丈夫よ。宮田さん、心配して下さってありがとう。」
心からお礼を伝えると「大丈夫なら、いいっす。」と照れた様子で宮田は頭をポリポリ掻いた。
何気ない日常が、こんなにも穏やかで、幸せだったなんて。
鬼の村で過ごしていた時とは違う、世界に色のついたような温かさや穏やかさ。
頭領を好きな時は、何がなんでも自分と幸せになって欲しかったが…孝一さんを想う気持ちは以前のものとはだいぶ違っていた。
もちろん、私と共に居てくれるならそれが一番嬉しいと思う反面、彼が幸せに過ごしてくれていることが何より幸せだと思う。
ふいに、泣きたいような気持ちが沸き上がってきて、溢れないよう必死で心に蓋をした。
「今日のご飯はオムライスらしいですよ。」
沈黙を破ったのは、宮田の献立報告だった。
「オムライス、ですか?」
「え、姉さん…まさかオムライスを知らないッスか?!」
この世の終わりのような表情をされて、私はたじろいだ。
「う、うん。知らない…。」
「マジッスか!もったいない!めちゃくちゃ美味いんで、今日もりもり食べて下さいッス!!」
キラキラした瞳で力説され、思わず首を縦にふると、彼からは満面の笑みが返ってきた。
「孝一さんが俺の好物を今日の朝飯にしてくれたんスよ。ほんと、頭が上がらないッスね。」
「そうだったの。…優しい孝一さんらしいわね。」
「ッスね!じゃ、俺厨房行ってくるんでまた後で。」
「ええ。いつもお手伝いありがとう。」
オムライスが楽しみという気持ちが体中から溢れだしている宮田は、元気に駆けていった。
さて。私もお手伝いに向かおう。
手に持っていた雑巾を桶に入れ、廊下の端に寄せて邪魔にならないようにしてから、私も厨房へと足を運んだ。
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