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厨房に入ると、沢山のお皿に盛られた黄色が美しい半月のようなものがあった。
中にはこんもり赤いご飯だけが盛られているのもあって…上に乗せられている黄色は卵なのだと、お手伝いの田端さんが必死にフライパンで作っているので気付いた。
「お待たせしました。私も手伝います。」
「響ちゃん、おはよう。宜しくね。」
「はい。」
焼いた卵はコンロ横のお皿に乗せておけばいいから。と言われ、頷き返して早速調理に取りかかる。
出来上がった卵焼きは、宮田とその仲間達が赤いご飯に盛り付けてくれていた。
田端さんの手際の良さは素晴らしく、私が3枚焼いてる間にあっという間に倍の6枚を完成させていた。
「あとはもう出来るから、響ちゃんもご飯行っておいで。」
「本当にいつも、ありがとうございます。」
「響ちゃんも、いつもありがとうね。」
お礼を言われるほどお手伝いしていないのだが、朗らかで優しい笑顔の田端さんに私も微笑み返して厨房を後にした。
食事をしている広間には、すでに皆集まっていたので慌てて席に着いた。
「揃ったな。では、頂きます。」
「頂きます!」
お膳に置かれたスプーンを手に取り、卵と下のご飯を一緒にすくって口へ運ぶ。
ふわりと甘い香りと味が口に広がり、卵のまろやかさがとても美味しかった。
ガツガツ米粒を散らしながら食べる宮田は、ペロリと平らげてしまいお皿を持って席を立つ。
「おかわり行ってきますが、他に欲しい人がいれば挙手お願いするッス。」
パラパラと手が上がり、人数を数えた宮田は卵焼いといてもらうよう伝えとくッスー!と元気に告げて部屋から消えた。
私も食べ終わったら田端さんのお手伝いへ再度行こうと決めて、少し食べる速度を上げていると。
ふいに、前に座る孝一さんが私に視線を送ってきた。
「響。食べ終わったら俺の部屋へ来い。」
「はい。かしこまりました。」
私が返事をすると、硬い表情をした孝一さんは都築に目配せをした後、部屋を出て行った。
一体、何の話をされるのだろう。
まさかここを出ていけと言われるのだろうか。
いや。取引が終わるまでは、まだ私に利用価値はある。
でもそれが終わってしまったら……。
体の力がストンと抜けてしまったように、スプーンを持つ手が重くなった。
今さら食べる速度が遅くなろうと、大して時間を引き延ばせる訳もなくて。
何も無くなってしまったお皿にため息を落とし、私はゆっくりと立ち上がり孝一の元へと向かった。
「お待たせしました。響です。」
「入れ。」
「失礼致します。」
眉間に皺を寄せ難しい顔をした孝一さんと、向き合って座る。
逃げ出したくなるような重苦しい空気に、唾を飲み込む音を立てることさえ憚られた。
「…実はな。今朝坊っちゃんから取引の提案がきた。」
「え?」
自分が考えていた話題をかけ離れていたためか、うまく思考が働かなかった。
目をパチパチさせると、んーと唸った孝一さんはこちらを見てポツリと呟いた。
「おかしいと思わないか?昨日の今日だぞ。」
「…確かに、少し変ですね。」
「いや、大いに変だ。仮に響をどうこう出来たとして、その見返りに俺に取引を持ちかけてくるならまだ分かる。昨日アイツは邪魔されて、お前とご飯を食べただけだ。怨み言を言うなら分かるが……ここで取引するのは、罠の可能性が極めて高い。」
「それでも…受けましょう。それが孝一さんのやりたいことに繋がるなら、私は実行すべきだと思います。」
「……。」
腕組みをして考え込んでしまった孝一さんに、私は詰め寄った。
「坊っちゃんは、取引は私とすると言ってるんですか?」
「……あぁ。そうだ。」
「そうですか。」
まだ私でも、孝一さんの役に立つことが出来る。
そう思うと自然と笑みが零れた。
「何故笑う?」
「私が孝一さんの役に立てるなら、嬉しいと思って…。昨日は失敗しましたが、今度は必ずやり遂げます。相手から出されたものには手をつけませんし、隙を見せませんから、どうか。」
必死に孝一を見つめると、根負けしたように大きく息を吐いた。
「──分かった。」
私用だと言っていたスマホを操作して、文章を打ち込んでいる。
じっくりと内容を確認した後、送信し、スマホを乱暴に横に置いた孝一は、真剣な眼差しで私を見た。
「取引は明日だ。詳しい場所、時間、取引方法が分かり次第また知らせる。もう下がっていいぞ。」
「はい。」
「それと……」
言葉を切った孝一さんは、切なくなるほど甘く優しい目をしてハッキリ告げた。
「取引が無事に終われば、お前を解放してやれる。」
あぁ。やはり。
取引が終われば…私はここから去らねばならないのだ。
今目の前に座る愛しい男には、会えなくなる。
この優しい瞳を見ることは出来なくなるんだわ…。
胸がぎゅうと絞られるようで、俯いた私は小さく「分かりました。」と呟いて、風のように部屋を飛び出した。
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