いざ、BL部へ!

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 エントランスを抜けてエレベーターへ。今までは女性誌だったが、今日からは階も違う。でも一度は普通に女性誌の階で降りてしまうというお決まりのぽかをやらかしつつ、目的の階へと早めに到着した。  会議室の場所を確認したものの、まだ入る気にはなれない。自販機へと向かいカフェオレを買って側の長椅子に腰掛けていると、知っている人がこちらへと近づいてくるのが見えた。 「あ」 「ん?」  長めのボブに明るい目元。好青年という感じの人は案外顔立ちが整っている。身長が高く、着ている黒のスーツもとても似合っているその人は、桃を見て器用に眉を上げ、少し驚いた顔をした。 「えっと……確か西井だよな? 女性誌の」 「あっ、はい! おはようございます、山田先輩!」  思わず立ち上がり深々とお辞儀をすると、彼・山田一平(やまだいっぺい)は慌てて胸の前で手を振った。 「よせって、そんな大仰な」 「でも」 「そもそも、俺は部署の先輩でもなければ偉くもない平なんだ。新人研修の時にちょっと話したくらいの相手に大げさなんだよ」  苦笑いの山田に、だが桃はとても落ち着かなく、ちょっと嬉しい気持ちになっていた。  入社して数日間、新人研修があった。新卒や編集未経験者を集めてのそれは、編集業界の過酷さを十分に伝えてくれるものだった。  正直ついていけるのか不安になっていた桃に声をかけてくれたのが、他でもない山田だった。大学を出てすぐ、右も左も分からない桃は山田の親身さや明るさ、「大丈夫」という言葉にとても励まされた。  そうして1年、女性誌で先輩達のアシスタントとして雑務中心に頑張ってきた桃の密かな憧れの相手なのだ。 「あれ? でもここって女性誌の階じゃないよな? どうした?」  桃の前を通り同じように自販機でお茶を買う山田が、自然と隣に座る。こちらを見て疑問そうにする彼に、桃は膝の上に手を置いて俯き加減に話した。 「実は、今日から新しい部署に配属になりまして」 「え?」  驚いた山田は、だがそれ以上にちょっと気の毒そうな顔をしている。そんな表情を見てしまったからか、不安が一気に溢れてきた。 「あの、よく分からなくて。BL企画編集部っていうらしいのですが、お姉様達は面白がって教えてくれないし……調べてみたんですが……その…………」 「あ…………戸惑うよな」 「はい……」  思わず遠い目をしてしまった。  BL、つまりはボーイズラブの事らしいのだが、そもそも男の桃にとっては未知との遭遇。想像もできなければ触れてもこなかった分野だ。  調べた限り、男同士の恋愛を取り扱っているらしい。試しにネット書籍で適当な物を購入して読んでみたのだが…………頭も心臓もついていかなかった。ガチムチな男の人同士が裸になってあれやこれやであはんうふんで…………ようは、撃沈したのだ。  隣の山田は苦笑い。それでも元気づけようとしてくれるのか、肩を軽くポンと叩いてくれた。 「まぁ、慣れるって」 「慣れですか?」 「そう! もしくは運命の一冊にでも出会えばはまるかもしれないぞ」 「え! いや、でも……」  男の自分が男同士の恋愛にはまるっていうのは、なんだか想像ができないことだ。  彼女いない歴=年齢ではあるが、好きになった子は女性ばかり。アイドルだって好きだし、漫画やアニメでも憧れは男、可愛いと思うのは女性だ。  そんな自分がBLに浸かるってことは、つまりゲイになるって事なんじゃないのか? 今のところそんな様子はないのだが。  それでも山田はにこにこしている。まるで心配ないと言わんばかりだ。 「なんとかなるって。それに、そういう部署に配置換えになったなら触れていかないとな。BLに抵抗ありありで先生の所に原稿お願いになんていけないだろ?」 「はい。ってか、先生の担当なんてしたことありませんよ!」 「そうなのか? 女性誌で何してたんだ?」 「お姉様達にくっついてアシスタントです。便利家電が本当に便利なのか、実際に使ってみたり、お手軽料理の検証したり」 「それも面白そうだな」 「便利家電とか、好きなんですか?」  ちょっと意外な気もするが、山田はにっかと笑って頷いた。 「一人暮らしだから、やっぱな。こういう仕事だと不規則だし、でも飯とかコンビニに頼り切りってのも不健康だし、簡単に作れるとか嬉しいだろ?」 「確かに。俺も一人暮らしなんで自分で検証して良かった商品とか、購入しました」 「マジで! 何買ったの」 「お掃除ロボはとりあえず。あと、卓上のフライヤーとか、低温調理器とか」 「意外と揃ってんな。料理するんだ」 「休みの日だけです」  一人暮らしを始めるまで料理なんてまったくだ。そして今の世の中、料理なんてしなくても食べて行く方法はいくらでもある。コンビニ、カップ麺、外食。そのせいか少しお腹周りが気になる今日このごろ。 「勿体ないな、それだけ揃ってんのに」 「山田先輩は料理得意なんですか?」 「昔からやってるからな。なんなら家事全般得意」 「凄い!」 「だろ?」  ニッと笑う山田につられて、桃も笑う。気づけば緊張は解れて、なんだか上手くやれそうな気がしてきた。  カフェオレを飲み干して空き缶入れへ。それに合わせて山田もお茶のペットボトルを手に立ち上がった。 「あれ?」 「行くんだろ、会議室?」 「え? はい。でも、山田先輩どうして……」  そんな事分かるんだろう?  疑問に思っていると、山田は苦笑した。 「俺も今日から部署異動。行き先はお前と一緒、BL企画編集部さ」 「……えぇぇ!」  驚きに声が出て、山田は可笑しそうに声を上げて笑った。
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