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午前1時を回り、名残惜しいけれどこれ以上飲むと金銭的にも酔いの回り具合的にも危ないと判断した私は、カウンターで会計を済ませて店を出ることにした。
「マスター、今日も美味しかったです。ご馳走さま」
「いつもありがとう。またね」
「はーい」
鞄の中に財布を突っ込み、見納めに孝弘さんの横顔を眺めておく。
「それじゃあ、私はこれで。今日はありがとう」
「ん、気を付けて。また今度」
言葉は短いけれど、声音は柔らかい。
下心はさておき、そばにいて気楽で居心地がいいし趣味も合うし、『また』という言葉通り彼に会えたらいいなと思いつつ、高いスツールから下りた。
しかし――。
「わっ!」
自分で思っていたよりも酔っていたようで、しかもそれが足にきていたため、上手く力が入らず体勢を崩してしまう。
慌ててスツールに手を伸ばすけれど、滑らかな革張りに指が掛かるはずもない。
踏ん張りも利かず大きくよろけて、転ぶことを覚悟した時だった。
「……っ、危ねぇ」
腕を掴まれ、それと同時に背中へ手が回る。
力強い腕で支えられて転ばずに済み、ほっと息が漏れた。
「大丈夫?」
「大丈夫……、ありがとう」
バクバクと心臓がうるさい。
あわや転倒という危機と、そそっかしいところを見せてしまった羞恥、危なげなく支えた腕の力強さ。
――そして、でき過ぎた状況に対する動揺。
ただお礼を言うことしかできない私をよそに、孝弘さんはマスターを呼んだ。
「マスター、俺もチェックお願い」
「送ってくの?」
「そう」
「さすが孝弘くん。ちょっと待ってて」
無造作に差し出された万札を受け取り、バックヤードへ引っ込むマスター。
流れからして私を送るのが決定のようだけれど……。
(え、ちょっと待って)
確かに別れが名残惜しいなとは思っていたものの、いざ急展開が起きるとときめきより動揺が勝る。
「え、いや、大丈夫……」
「迷惑ならやめるけど、遠慮だったらやめない」
「でも、飲み途中じゃ……」
「ちょうどグラス空けたところ。それに、このまま帰しても、心配で落ち着いて飲んでられないから」
少し高めのヒールもあいまって足元がおぼつかない私を見下ろし、「転びそう」と眉をひそめる孝弘さん。
心底気にかけてもらっていることは察せられるし、予想以上に酔いが足にきているため、支えられるのは正直助かる。
「はい、お釣りね」
「どうも。また来る」
「お待ちしてます。2人とも、気を付けて帰ってね」
結局、笑顔のマスターに送り出され、孝弘さんに身体を支えられながらお店を出たのだった。
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