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現在10(居酒屋_串松にて_坂本 若菜)
八雲と若菜が付き合いだして、三年目を迎えようとしていた。
三年前、八雲は前任校で、女子卓球部の顧問をしていた。
新人戦前に、大会時間の短縮に基づく、ルールの改正を、県内の高校卓球部の顧問を集めて行う報告会があり、八雲も若菜も参加することになっていた。
ただ、会議終了後、若い世代の教師同士で懇親会をしないかという誘いを、五十嵐という教師からメールで受けていた
強豪校を率いている五十嵐だったが、試合中に選手を大声で叱責したり、ミスが多い生徒を会場の隅で正座させたり姿は、正直好きになれなかった為、懇親会は欠席するつもりだったが、五十嵐から直接電話連絡があり、参加を強く懇願された、挨拶程度の関係だった為、不信には思ったが、参加人数が少ないのかなと考え、主催者の顔を立てる為に、了承することにした。
後日、他の同僚から聞いたのだが、五十嵐はどうやら、若菜に気があったらしく、懇親会もその口実だったらしい。
五十嵐が懇親会の参加を若菜に打診したところ、開口一番に、八雲は来るのかと尋ねたらしい、
なぜだ。気があるのか?と言う事をオブラートに包みながら五十嵐が聞いたところ、若菜は、全くタイプではない。ただ先日の総体で八雲に言いたいことがある。八雲が参加なら、私は行くと返事した。
居酒屋には、十人ほどの若手の教師が集っていた。二つのテーブルにグループ分けされた八雲と若菜は、違うテーブルに座っていた。宴が終わりに近づいた時に、若菜は八雲の前に座った。
完全に男性陣に酔わされて、視線が定まっていなかったが、若菜の顔は怒気を帯びており、声を張り言い放った言葉が
「あんた。私たちのチームを、なめてたの?」だった。
話を聞くと、先の総体で、若菜の高校と、八雲の高校が、準決勝で対戦する事になったが、八雲はエースで県強化選手の小柴こしばという女子選手を、メンバーから外していた。
その結果、善戦したが、八雲の高校は敗退する事となった。
どうやら、小柴を外した事が気に食わなかったらしい。
小柴は、大会の一週間前に、バスケットボールの体育の時間に、他の生徒と接触し膝を痛めていた、養護教諭から報告を受けた八雲は、鬼丸と言う教師に相談した。女子卓球部の顧問は八雲だったが、事実上は男子卓球部顧問の鬼丸おにまるという教師が総監督を務めていた。鬼丸は高校卓球の世界では重鎮で、広い範囲で影響力を持っている教師だった。
養護教諭の報告を、鬼丸に伝えると、激怒し小柴を指導室に呼びつけた。
「大会前に、何を考えている。体育の授業は出る必要が無いと言っただろうが」
小柴は狼狽し、委縮した。
「それで、お前は、試合は出られるのか!出られないのか!はっきりしろ!」
小柴は、直立不動で
「出れます!出させてください。お願いします」と大声で訴えた。
鬼丸は、よし!さっさと練習に戻れ!と言うと、卓球場に戻って行った。
八雲は、「鬼丸先生、彼女は将来がある選手です。今回は諦めさせた方が良いのでは」と話した。
「はあ?おい、勘違いしていないか、お前。飾りの顧問だろうが。現に小柴は出るって言っているじゃないか。お前は何も考えずに、座っているだけで良いんだよ。小柴はフルで出せよ。分かったな。」
鬼丸は指導室から出て行った。
高校総体の学校対抗戦は、男子、女子の会場が別になった。
一回戦から、小柴の動きが、あきらかに悪く、膝を庇う様な動きが見て取れる。
準々決勝では我慢できずに膝を押さえる場面が出てきた為に、八雲は、小柴に次の試合は、控えの田宮たみやを出すと伝えた。
小柴は「そんな事をしたら、鬼丸先生に怒られます。個人戦も出られなくなります。やめてください。それに私が出ないと次の試合は負けます」
八雲は、立ち上がり、小柴を見つめた。
「お前がいないと、チームは勝てないと決めつけるのか。自惚れるな。それと、自分の将来も、広い視野で見つめ直せ。マネージャー、小柴の膝をアイシングしとけよ」
八雲は準決勝、小柴を外し、試合には負けた。
責任を取らされ、翌日以降の試合は、副顧問が呼び出され、八雲は会場に近づくことも許されなかった。
小柴はシングルス競技、予定通り決勝に残ったが、試合中に膝のじん帯を切り、救急車で運ばれる事となった。
当初は、試合中のケガと言う事になっていたが、その後、養護教諭からの訴えが有った事や、鬼丸と対立する協会関係者が、強く指摘しだして、鬼丸は一線から退く事になった。
酔っている若菜に、小柴が体育の授業で膝を痛めていた事、準々決勝で膝の異常を八雲が気づいた為にチームから外した事、シングルスは、鬼丸が強引に出場させた事を説明した上で、
「だから、坂本先生のチームを、なめてなんていませんでしたよ」と語った。
八雲の話を黙って聞いていた、若菜がなぜか、突然泣き出した。
狼狽えた八雲が、袋に入っているオシボリを手渡そうとした時に、
五十嵐がいきなり、八雲の襟を掴み「何をしたんですか!若菜さん、泣いているじゃないですか」今にも殴りかかろうと言う雰囲気だ。
その時、若菜が、勢いよく椅子から立ち上がって、八雲を見つめたかと思うと、
「八雲先生、私と付き合って下さい。お願いしますぅ」
虚ろな目で言うと、机に突っ伏して眠ってしまった。
同期の女性教諭が、タクシーに乗せて帰って行ったが、次の日に若菜から電話が掛かってきた。
初対面なのに大変失礼なことをしてしまった、謝罪をさせて頂くチャンスを下さいと言うことだったので、翌週の週末に英嗣の店で、八雲と若菜は、会うことになった。
週末、串松に着くと店の近くから、焼き鳥の香ばしい香りがする。中から複数の談笑する声が聞こえる喧噪から、今日も忙しそうだ。
八雲がドアを開けると、小学二年生の陽介が、客の食べ終えた皿を片づけている所だった。
「あ、八雲さん、こんばんは。お疲れ様です。」
八雲は、その小さな頭を撫で、頑張ってるなと挨拶した。
陽介の後ろから、配膳していた亜希が顔を出した。
「おつかれ。週末の夜なのに、しょぼくれてんな。女の子でも連れてデートとか出来ないもんかね。全く。」
いつもの様に、英嗣と喧嘩したのか亜希は機嫌が悪い。
「大体さ、八雲は、着ている服にセンスの欠片も・・」
と言いかけた時だった。
「八雲先生。すいません。学校からの業務連絡でした。」と串松の前まで一緒に来ていた若菜が、スマホを片手に串松に入ってきた。
亜希は口をポカンと開けたまま、数秒固まったが、ダッシュで厨房に戻ったと思うと、次は英嗣がダッシュで厨房の入り口から顔を出した。
「まじか」
そんな中、陽介が、八雲と若菜に
「すみません。今日はカウンターしか、空いてないんですけど、大丈夫ですか?」とカウンターの席に案内し「八雲さんはビールですよね。お姉さんは?」と料理のオーダーもとりはじめた。
陽介はオーダーを英嗣に伝え、八雲と若菜の二つ隣のカウンター席で、ノートを広げ、勉強を始めた。
こんな時の陽介は、本当に小学生なのかと関心する。
これは、興味津々で、チラチラと二人を見ている、亜希と英嗣への防衛ラインで「八雲さんの邪魔をするなよ」という陽介なりの気配りなのだ。
「すごく、しっかりした男の子ですね」陽介は亜希の子供で、自分も関心するという事を伝えた。
若菜は、先日泥酔して失礼なことを言ってしまったと謝罪し、自分の高校時代のことを話し始めた。
卓球の強豪校にいた若菜は、同じ高校の兼近京子かねちかきょうこと言う同級生がいた。二人は千葉大会のシングルスの表彰台に、必ず登壇するようなライバル選手であり、中学からの親友でもあった。
所属していた高校の監督は、科学的根拠より、精神論を優先するような人で、練習は地獄の様な日々を送っていた。
ある日、練習中にミスをした選手に、水の入ったプラスチック製の水筒を、その監督が投げつけた。
水筒は選手の顔をかすめた後、床に落ちその中身が床一面に広がった。その時、たまたま隣の卓球台で練習をしていた兼近京子が足を滑らせてケガをし、病院に運ばれた
その後、明らかに動きが悪くなった兼近から事情を聞くと、膝をケガしていて、一時的に激しい運動を避ける様に医者から言われたことを若菜に告白した。
若菜と兼近で監督のもとに行き、膝の件を話したが、監督は大会も近く、その程度のケガは気合いで乗り切れると、押し切られた。
その三日後の練習中に膝を押さえて倒れた兼近は、選手生命を絶たれ、精神的に病み、学校を退学、今は引きこもりの生活を送っている。
八雲の発言と、兼近京子の話が重なって、涙が出たのだと語った。
若菜が、あらためて「本当にすみませんでした。」と頭を下げた。
八雲は「気にしていませんよ。それよりも坂本先生の生徒に対する気持ちを見習わなければと思いました」
その後も、各々の学校の事、顧問をしている部活動の状況等を語り、ちょっと小休止の様な感じで、
出された料理に、二人が手を付けた時に、陽介が、パッとノートを閉じて、立ち上がった。
「八雲さん、お先に失礼します。また、算数を教えてください。」
と八雲と若菜に、お辞儀した後、「ママ、先にオヤスミするね」と亜希に言い、アパートの2階に帰って行った。
陽介が串松から出て行き、扉を閉めたのを見ると、亜希は、餌のプレートの前で、お預けを食らった犬が、「よし」と、ご主人様に言われたかの如く、食い気味に二人の隣に座る。
「こんばんわ、私は城石亜希子。ここのアルバイトで、八雲の高校時代の同級生なんだ。」「俺も俺も。同級生」と松木がカウンターから顔を出し、自己紹介をした。
「私が今、話をしてるじゃん。英嗣は料理を作ってなよ」亜希は、再び笑顔で、若菜に振り向き、
「なになに?同じ学校の先生なの?」
「坂本若菜と言います。八雲先生とは違う学校に勤務しているのですが・・・実は」
と、先日の事を話し、謝罪をしに今日は、来たと話した、しかし、八雲に告白したことは、酔っていて、覚えていない様子であった。
「え!と言う事は、文句を言うために八雲に会いに行ったって事?あなた、いいわ。いい!私は気に入った。」
英嗣は「素直に勘違いしたことを認めて、謝るってなかなかできないですよ。素晴らしい事だと思います。僕は」と、完全にナンパの悪い癖が出ている。
亜希と英嗣は、交互に若菜を質問攻めにしていたが、若菜も、どうやら二人と馬が合うらしく、すぐに打ち解けていた。
そのうち、奥の常連客の山田さんから「大将、バターコーンをお願い」とオーダーが出ても、英嗣は「ワリィ、今日売り切れたわ」と言い出し、「生ビールお代わり!」と亜希に言われても、「ごめん、ちょっと今取り込み中」とか言い出したので、いたたまれなくなった八雲は生ビールを注いで、常連客に持って行った。
帰って来た時に、二人がニヤケ顔だったのが気になったが、「八雲、これバターコーンのお詫びって、山田さんに持って行け」と、枝豆が入った皿を渡され、「できるだけ、ゆっくりでいいぞ」二人のニヤケ顔に、更に拍車が掛かっていた。
一時間もたたない内に、亜希は、若菜の事を、若菜ちゃんと呼び、若菜は、亜希さんと呼んでいる。
「若菜ちゃん。タクシー来たよ」
次の日、部活動の朝練があるという事で、若菜は、先に帰る事になった。「今日は、八雲の奢りだからお金はいいよ」と亜希が勝手な事を言ったのだが謝罪の為に来たので、払わせてくれと若菜は譲らなかった。
「あんたって子は」と亜希は軽くハグをしていた。
会計を終えた若菜は、ドアの前で振り返り「今日は、本当に楽しかったです。私も早く皆さんの仲間になれる様に頑張ります」と言ったので、
こんなに仲良くなれば、もう友達だろう、変なこと言うなと八雲は思ったが、
冗談で「いや、坂本先生。それは、オススメしないですよ。気を付けて帰って下さい」と笑顔で返事をしたところ、笑いが起きるどころか、亜希が「おまえは!」と凄い形相で睨み、英嗣も「まじか!」と天を仰いでいる。
「若菜ちゃん、タクシーまで送るよ!」と亜希は若菜を連れて串松を出て行った。
再び、カウンターに座り、ハイボールを飲もうとしていた、八雲の元に、英嗣がやってきて、「八雲、おまえさ・・・」と何かを言いたげな時だった。
突然、店のドアを、亜希が荒々しく開けて入ってきたかと思うと、八雲の額にストレートを放った。昔、ダイエットの為にボクシングをしていた亜希のパンチは体重が乗っている
「いってぇ~、お前は何を!」
亜希も、本気で入ったのか眉間に皺を寄せながら、拳を押さえている。
「瑞穂の時もそうだったけど、おまえは、全く成長してねえな、この鈍感アンポンタンが!」
英嗣は、「八雲、あのな、若菜ちゃんの最後の言葉は、お前と付き合いたいって事だろ。」
「そうなの?」
後日、八雲と若菜は交際を開始した。
相関図
八雲 直毅(城北高校の物理教師)
坂本 若菜(高校教師・八雲の恋人)
松木 英嗣(居酒屋_串松のオーナー)
城石 亜希子(居酒屋_串松のアルバイト)
【八雲、濱野、松木、城石は、高校の同窓生】
城石 陽介(城石 亜希子の息子)
小柴(八雲が前任校で顧問をしていた卓球部のエース)
鬼丸(八雲が前任校で顧問をしていた卓球部の総監督)
兼近京子(坂本若菜の親友)
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