1章 ホットココア

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――波の音だ。 一点に集中していた意識がたちまちかき乱される。 時計の音は徐々に小さくなり、 代わりに不規則な波の音ばかりが鼓膜を占領してゆく。 目を開けて、慌てて周囲を確認する。 見たところ室内に変わった様子はないが、決して聞き間違いではない。 どうやら音は布団の奥、足元の方から聞こえてきているようだ。 ふと、小学校の頃に読んだある本の内容を思い出した。 どこかの国の兄弟姉妹が、 衣装箪笥を抜けた先の世界で英雄になるという物語。 本の読み過ぎと笑われるかもしれない。 でも、もしかしたら、 わたしにもあんな冒険が待っているのではないだろうか―― 少し迷って、わたしは頭から布団の中へもぐり込んだ。 真っ暗ななか、腹這いの姿勢で音のする方へ進んでゆく。 布団の奥へ奥へと潜ってゆくにつれ、波の音はどんどん大きくなっていった。 布団って、こんなに長かったっけ。 そう思うと同時に磯の香りが鼻をかすめる。 あっと思ったときには、指先に湿った砂の感触を覚えた。 指と指を擦り合わせる。 粗塩に似た、硬くてザラザラした粒。 間違いない、海辺の砂の感触だ。 次の瞬間、視界がパッと開けた。 布団の外へ出たのだ。 耳を塞ぐものがなくなり、波の音がよりはっきりと鼓膜を震わす。 布団の外に広がっていたのは、見慣れた部屋なんかじゃない。 夜の闇と静寂に包まれた、広漠とした砂浜だった。 わたしは反射的に今来た背後を振り返った。 敷布団は砂に、掛布団は冷たい海水へと変わっていた。 きっと、今帰ろうと思ったところでそう簡単には帰れない。 直感的にそう感じたけれど、 不思議と恐怖や孤独といったマイナスの感情は湧いてこなかった。 かといって、激しく胸を打つ高揚感が湧いてくるわけでもない。 自分でも奇妙なほど平静な心持のまま、わたしはその場で立ち上がった。
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