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――波の音だ。
一点に集中していた意識がたちまちかき乱される。
時計の音は徐々に小さくなり、
代わりに不規則な波の音ばかりが鼓膜を占領してゆく。
目を開けて、慌てて周囲を確認する。
見たところ室内に変わった様子はないが、決して聞き間違いではない。
どうやら音は布団の奥、足元の方から聞こえてきているようだ。
ふと、小学校の頃に読んだある本の内容を思い出した。
どこかの国の兄弟姉妹が、
衣装箪笥を抜けた先の世界で英雄になるという物語。
本の読み過ぎと笑われるかもしれない。
でも、もしかしたら、
わたしにもあんな冒険が待っているのではないだろうか――
少し迷って、わたしは頭から布団の中へもぐり込んだ。
真っ暗ななか、腹這いの姿勢で音のする方へ進んでゆく。
布団の奥へ奥へと潜ってゆくにつれ、波の音はどんどん大きくなっていった。
布団って、こんなに長かったっけ。
そう思うと同時に磯の香りが鼻をかすめる。
あっと思ったときには、指先に湿った砂の感触を覚えた。
指と指を擦り合わせる。
粗塩に似た、硬くてザラザラした粒。
間違いない、海辺の砂の感触だ。
次の瞬間、視界がパッと開けた。
布団の外へ出たのだ。
耳を塞ぐものがなくなり、波の音がよりはっきりと鼓膜を震わす。
布団の外に広がっていたのは、見慣れた部屋なんかじゃない。
夜の闇と静寂に包まれた、広漠とした砂浜だった。
わたしは反射的に今来た背後を振り返った。
敷布団は砂に、掛布団は冷たい海水へと変わっていた。
きっと、今帰ろうと思ったところでそう簡単には帰れない。
直感的にそう感じたけれど、
不思議と恐怖や孤独といったマイナスの感情は湧いてこなかった。
かといって、激しく胸を打つ高揚感が湧いてくるわけでもない。
自分でも奇妙なほど平静な心持のまま、わたしはその場で立ち上がった。
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