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「ナツキさんは」
台の上に材料を並べながら、マスターが言う。
「クッキーを焼いたことはありますか?」
「はあ。まあ、何回かだけなら……」
曖昧な答えを返しながら、わたしは手首のゴムで髪を束ねた。
料理をするからではない。
初対面の、しかも男の人の前で髪を乱したままでいたことが、
急に恥ずかしくなったからだ。
「頼みますね、明日の商品にするんですから」
「えっわたしが商品を作るんですか?」
面食らってそう尋ねるわたしに、
「だって、先ほど手伝ってくれるって言ったじゃないですか」
と怪訝そうな顔でマスターが返す。
「いや、その……手伝うって、ボールを押さえてたりするくらいじゃ……」
「そんなの駄目ですよ。自分で作るクッキーが一番美味しいんですから」
陽気な調子でマスターが言う。
まるで理由になってない。
そもそも、わたしは手伝うなんて一言も口にしていない。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ」
そんなこと言われても困る。
正直に言うと、何回か作ったことがあるというのは全くの嘘で、
本当に作っているのはいつも母なのだ。
わたしは毎回、ただそれを横で見ているだけ。
クッキーなんて到底作れるはずもない。
しかし非日常を求めたのは事実だ。
このまま何もせず帰るよりは、
クッキーの作り方だけでも覚えて帰った方が、
まだ勇気を出して布団にもぐった甲斐があったと言えるだろう。
わたしはとうとう意を決して、マスターからエプロンを受け取った。
もうどうにでもなってくれ。
「よし、じゃあ早速始めましょう。僕が横から指示を出すので、ナツキさんはそれに従って進めてくださいね」
寝間着の上にエプロンを巻いて、わたしは調理台の前に立った。
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