その2

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その2

数日後。松下のおばちゃんの携帯電話が鳴った。 「はーい、松下です。」 「おばちゃん。いま大丈夫?」 「ゴンちゃん、大丈夫よ。ミーティング終わったの?」 「いま帰ってきた、疲れた。今日はいろいろあり過ぎて精神的にクタクタだ。」 「疲れてたら、電話は明日でもいいわよ。」 「いや、いい。おばちゃんに報告しとかねえと、落ち着かない。」 「アイヴィーちゃんたち、どうだった?」 「みんな喜んでくれたよ。」 「良かったわねえ。言った通りでしょう?」 「ああ。アイヴィーなんかいきなり抱きついてきやがって『サイコーだよ!』なんて言ってさ、ビックリしたよ。でも嬉しかったよ。」 「アイヴィーちゃんらしい反応だわね。」 「ジャッキーはビールおごってくれたし、ショージは『女だったら俺の嫁にする』とか抜かしたから蹴っ飛ばしてやったけど。嬉しかったよ、ホッとした。」 「あの子たちなら、ちゃんと分かってると思ったわ。で、バンドはどうすることになったの?」 「アイヴィーが言ってくれたよ。『アタシの時もみんな待っててくれたから、今度はアタシの番』だって。」 「そうよ。必ずそう言うと思ってた。」 「俺も迷惑かけたくないから可能な限りライヴは続けて、出産近くなったら本数を減らして。もし万が一、出産とライヴがかぶったら、アイヴィーがギター弾くってよ。」 「あらあら。あの子、ギター弾けるの?」 「コードくらい、作曲する程度には弾けるよ。今からシンに本格的に教わっておくって。」 「アイヴィーちゃんがギターヴォーカルでスリーピース(3人編成)。それはそれで撮ってみたいわね。」 「あくまで重なっちゃった場合だけどな。で、生まれてからいつまで出てこられないかは分からないけど、そこからはヘルプ(一時的なメンバー)で誰かに頼むよ。それは俺が責任持って準備する。」 「シンちゃん、ヘルプやらないかしらね。」 「アイツは女とはバンドやらない信条があるらしいよ。昔、アイヴィーとその話で言い合いになったって。」 「それはいかにもシンちゃんらしいわ。じゃあダメね。」 「とにかくみんな『ズギューン!』として結婚も出産も全面的に応援してくれるって。ありがてえよ、ホントありがてえ。」 「良かったわねえ。」 「そっちは、な。」 「お家の方はどうだったの?」 「ああ、おばちゃんが前もってお袋に電話してくれて、マジ助かった。あれがなけりゃもっと大変だった。まあ、結局は泣かれたけどな。」 「お母さんの気持ちもよく分かるわよ、アタシだって人の親だもの。」 「あれはホントにこたえたな。で、親父に代わってひと通り怒鳴られて、とにかく来月に相方連れて一回実家に帰ることになったよ。本当はすぐにでも行かないとだけど、安定期を過ぎてからじゃないと長旅も大変だろうって。」 「それはそうね、母子の健康が一番大事よ。」 「うちの実家でどうするか相談して、それから相方の実家に挨拶に行くよ…挨拶で済む気はまったくしないけど。」 「奥さんのご実家はどうなの?」 「考えたくもない…とりあえず聞いた限りでは、俺は打ち首にされるらしい。」 「冗談でしょ、それ?」 「それくらい怒り狂ってるってこと、向こうの親父さんがな。『大事な娘が東京で立派に働いてると思ったら、どこの馬の骨かも知らないバンドの男に人生を台無しにされて』ってなもんだ。そりゃ殺してやりたいよな、はあ~。」 「まあ、あちらのお父さんもまだ冷静にはなれないだろうから。落ち着けばまた違った感情も湧くだろうしねえ。」 「そんな日が来るとは思えん。消えてしまいたい。」 「消えちゃったらバンドできないでしょう?がんばりなさいよ。あちらのご家族にゴンちゃんの誠意を認めてもらって、晴れて家族にならないとね。」 「俺の下半身が恨めしい。」 「起きちゃったことは振り返らないの。過ぎない嵐はないのよ、何を言われても、黙って耐えればいいんだから。」 「…がんばります。終わったら、ご褒美が待ってるからな。」 「あら、何かあるの?」 「アイヴィーがさ、ミーティングの場でタダシに電話して…ギヤで結婚パーティやってくれるんだよ。記念に大騒ぎしようって。相方のことを考えて、当日は全面禁煙だってよ。」 「それはいいわねえ、アタシも絶対行くわ。禁煙と言えば、ゴンちゃん、タバコ吸ってないでしょうね?」 「まあ何とか。実家に電話した時ほどタバコ吸いたいと思ったことは今までにもなかったのに、全てが試練すぎる。」 「偉いわ。お父さん頑張って!」 「とりあえず夢の中で一服する。じゃあお休み。」 「お疲れ様。ゆっくり休んでね。」 「ああ、おばちゃんホントありがとな。泣きたいくらいありがたいけど、もう涙も出ないよ。」
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