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その7
何度アンコールが起きただろう?ついに最後の曲が終わった。
DXホールの関係者はここまで誰もピットに入って来られなかった。しかし永久に、というわけにはいかない。
鳴りやまぬ大アイヴィー・コールの中、俺たちは顔を近づけ合って素早く相談した。
「アタシ、戻るよ。全部アタシの責任だから、ちょっくら怒られてくる。」
「そうはいかねえよ。俺たち全員の問題だ。」
ゴンが反論する。
「アタシも一緒に行くわよ。まさかこんな年寄りを責め立てないでしょ?」
松下のおばちゃんが進み出た。
「いや、おばちゃんはダメだ。どさくさに紛れて写真を没収されたらアウトだ。」
「やっぱりアタシ一人だね。行くよ。」
アイヴィーが一歩踏み出す前に、ショージが口を開いた。
「あのさ。みんな忘れてると思うけど、これからギヤでオール(ナイト・イヴェント)だぜ。」
あ、忘れてた。
そうだった、これから「ズギューン!」も俺もライヴなんだ。
「ここまで大騒ぎになってよ。もう頭下げるの、今日でも明日でも一緒だろ?だから、どうせなら、アイヴィーも一緒に行こうぜ。」
そう言ってショージはニヤリと笑った。相変わらず理屈はよく分からんけど、今夜はやけに冴えてるじゃねえか。
ゴンとショージが協議する。
「せっかく、ここで4人でライヴやったしな。これでギヤが3人ってのも寂しいよな。」
「どうせ俺たちパンクでチンピラだからよ…って、こないだもそんな話、したっけ。」
「アイヴィー、どうする?」
黙り込んでいたアイヴィーがニカッと笑った。
「そうだね~。どうせ大変なことになるなら…もうひと騒ぎしてから叱られますか!」
松下のおばちゃんは呆れたような顔をしていたが、もう何も言わなかった。
周りがザワザワし始める。観客はどうしていいか分からないようだ。そろそろ邪魔が入ってもおかしくない。
と、ショージが大声で叫んだ。
「みんな、今夜はありがとーっ!」
純粋なアイヴィー・ファンからの「お前、誰?」というような視線とともに、バラバラと拍手が起こる。ショージは構わず続けた。
「アイヴィーと俺たち、これから逃げますっ!だからみんな協力してくれっ!ホールと反対側の道を開けてくれっ!スタッフが来たら邪魔してくれっ!以上、ヨロシクッ!」
もう、メチャクチャだ!しかし観客はおおむね了解してくれたようだった。DXホールと逆側の人垣が徐々に左右に分かれ、そこに道ができた。
「よしっ、行くぜ!みんなギヤで会おう!」
俺たちは一斉に走り出した。アイヴィーに近づいたり握手を求めてくる無神経な輩もいたが、それも周りの人間に引き留められた。比較的スムーズに移動できる。
松下のおばちゃんは観客に紛れて姿を消したようだ。どうせおばちゃんは走れないし、俺たちのように目立つことはない。仲間たちが助けてくれるだろう。
無数の群衆の間を抜け出し、急に静かになった公園の中を俺たちは走った。みんなが散り散りになり始めた。誰かが追ってくる気配はないが、それぞれが別のルートでギヤに向かった方が賢明だ。
ふと横を見ると、俺と並んで走っていたアイヴィーの足がつんのめった。かなりのスピードで、派手に転びそうになる。
俺はアイヴィーの手を掴んだ。彼女は俺の手を支えに踏ん張り、何とか持ちこたえた。
俺はアイヴィーの手を握ったまま走り続けた。他のメンバーは姿が見えなくなっていた。
公園を飛び出し、一本道を突っ切り駅の方へ向かう。歩道橋しかない交差点は、車道に出て車の間をすり抜けた。ぶつかるほどの距離ではなかったが、何台もの車がクラクションを鳴らした。
すれ違う顔にアイヴィーを認めた者はいない。もう大丈夫なのかもしれない。でも、見つかったら誰よりも大変なのはアイヴィーだ。今夜のギヤで、彼女に歌わせてやりたい。
だから、俺が守る。
何としても守ってみせる。
二人きりで俺たちは走りに走った。
やっとの思いで駅に飛び込んだ時も、まだ俺はアイヴィーの手を握ったままだった。
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