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消毒液の匂い。規則的な機械音。看護師や医師の声。
ここに通い始めてもう2年になる
306号室。いつもの病室。
「どう?元気にしてた?」
そんな問いに彼女はゆっくりと顔を向けた。
「病院食は味が薄くて…」
「そっかそっか。
今日はいいもの持ってきたんだよ」
出したものは多くの写真。
美しい街並みや風景、美味しそうな食べ物。全て私が撮ったものだ。
「綺麗な景色だねえ。」
写真を眺めながら彼女は呟く
「ここ、近くで美味しい海鮮丼が食べられるんだよ。
海も綺麗でしょ。」
「本当に綺麗」
その場にいるような気持ちになって欲しくて、自分が見た景色感じたこと全部伝えた。
「ここはね。お母さんが就職祝いに連れて行ってくれたんだ。
景色もそうだけど街並みが本当に綺麗で現地の人も優しかったんだよ。」
「そうなのかい。良かったねえ。
聞かせてくれてありがとう。
お姉さんの見た景色が頭に浮かんだよ。私も行ってみたいなぁ。」
ふと写真をまとめる手が止まった。
「……本当はね、そこ全部一緒に行ったことあるんだよ。お母さん。
同じように景色見て、色んな体験して、写真撮った。」
母とみたあの風景を、あの匂いを、2人で感動した夜景を、来年来ようと約束したあのお店を。
母は覚えているのかどうしても知りたくなった。
「…なにか言ったかい?」
耳が遠くてなんて笑う顔はしわが暫く見ない間に増えた 。
就職して以来母が倒れるまで何かと理由をつけて帰らなかった。
心配性な母は会うと会えない間に思った質問を全部聞いてくるのだ。
仕事は?恋人はいるの?一人暮らしは寂しくない?ウザったいと思うこともあったが今はもう言われないと思うと少し寂しい。
何度母に会っても私は『お姉さん』だった。それでももしかしたら、とほんの少し期待した。
「……ううん。何でもない。」
母の記憶に私はない。
小さい時に見た大きな背中も私の手を優しく包んだ手も今では小さく随分痩せてしまった。
少し疲れたな。今日はもう帰ろうか。
するとポツポツと母が話した
「うちにもお姉さんぐらいの娘が居てね。正直者すぎるところがたまに瑕で、全然会えないからどうしてるのか心配だよ。
小さい頃は人見知りでいつも私の後ろに隠れてたの。でも、大きくなって発表会で堂々としてるのを見たらなんだか嬉しいような寂しいような気持ちになったのを覚えてるわ」
つまらない話をしてしまったわねって母は笑った。
母の言葉を頭の中で何回も復唱する。その度に視界が滲んでいく。
「娘さんはね、元気でやってるよ。上司に怒られてばっかで大変だけど、毎日楽しんでるよ」
私は今ちゃんと笑えているだろうか。震えている声は気づかれずに済むだろうか。
母は安心したように笑った。
「そうかい。良かったよう。」
私はその笑顔を見ていたい。
「また娘さんの聞かせてよ。」
そう言って私は今日1番の笑顔を見せた。
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