似た者同士の僕ら

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似た者同士の僕ら

「最近調子はどう?」 「ええ、だいぶ身体が楽になりました」  陽光がたっぷりと入る部屋の中、カトリーヌがフローラの脈を測り、目蓋の裏の色を見て、最近の体調の変化を尋ねる。  あるべき医者と患者としての姿にほっと安堵しているのは、きっと僕だけじゃないだろう。  診察結果を簡単に書き込みながら、カトリーナがフローラに話しかける。 「そうねぇ。顔色も良くなってきたし、そろそろお散歩でも始めるといいかもね」 「お散歩……ですか」 「ええそう。体力をつけないと、いつまで経ってもベッドの上の住人よ」  カトリーヌにそう言われたフローラは窓の外を見た。  一瞬眩しそうに目を細めたけれど、すぐに窓から視線を反らせてしまう。  うつむくフローラの表情は少し陰っていた。 「どうしたんだいフローラ。外は今春だ。君の好きだった花が沢山咲いているよ。レディントン伯爵の庭だって、ちょっといじらせてもらって君が気に入りそうな花の苗を植えさせてもらったんだよ」  届かないと知りながらも、僕はフローラの手を握りながら声をかける。  フローラは思い詰めたように瞼を臥せる。  フローラのことも、僕のことも知っているカトリーヌが、小さく嘆息をついた。  ラ・ヴォワサンのマザーズミルク事件が解決してからの日常は、毎日がこんな感じだ。  ノーマン医師はラ・ヴォワサンのマザーズミルク事件の首謀者として捕まった。  世間に広まっていた『ラ・ヴォワサンのマザーズミルク』だけれど、ノーマン医師が自分用に確保してもらっていた厩舎の牛のミルクを、奥方の実家が普通のミルクだと思い、他所に販売してしまっていたことが原因だったらしい。  気づいたノーマン医師が、出所を悟られないよう、別名義で購入、闇市などで拡散し、あちこちに広めたという。  どうして『ラ・ヴォワサン』と名付けたのかと聞けば、奥方から聞いた魔女の名前を適当に使っただけだという。  当然、奥方は魔女の疑惑が上がり、魔女裁判が行われるかと思ったけれど……まぁ、あの気狂いだ。  奥方は精神病患者として、もっときちんとした医者の元で更生することに。  レディントン伯爵が魔女裁判なんて野蛮なことはせず、道徳的な方法をとったのは二人に対しての贖罪だったのかは僕には分からない。  まぁ、勝手に名前を使われたカトリーヌは微妙な顔をしていたけれどね?  一部の魔女は家系として名を継ぐものらしく、カトリーヌも魔女の家系の出だという。だから魔女のコミュニティでは『ラ・ヴォワサン』はある意味有名人だということで、良い迷惑だと渋い顔だった。  そのカトリーヌも魔女であることは伏せて、僕からの紹介ということで今はフローラの主治医におさまっている。  事件が完全に沈静化するまでハイド先生のところに居候しつつ、フローラのところに通ってくれるらしい。  その頃にはフローラの身体もそれなりに回復するだろう見込みだ。  フローラの身体はノーマン医師によってかなりの毒に犯されていたようだけど、幸か不幸か、死なないように調整されていた結果か、毒に耐性がついているようで、正しく養生すれば問題ないらしい。  勿論、余命一年になんてさせないってカトリーヌが笑っていた。  それをフローラの隣で聞いた僕がどれほど嬉しかったか。  そんな僕だけど。  残念ながら……未だに幽霊をやっている。  ハイド先生が「元の身体に戻すまで報酬は受け取れませんヨ」とか言って僕が身体に戻る方法を探してくれているけど……正直、期待はしていない。  魔女であるカトリーヌですら知らないものを、ハイド先生が見つけてくるのは無理だろう。  僕はいつ身体に戻れるのかは分からない。  あの事故から、何日も日が経っている。  飲まず食わずでいる僕の身体はもう死にかけのミイラだろう。  怖くて見に行く勇気もないから見ていないけど、きっと変わり果ててるに違いない。  だから僕は、幽霊でいるのをこれ幸いと、フローラを見守ることにしたんだ。  例え声が届かなくても。  例え手が触れられなくても。  元気になったフローラを、この身が消えるまで見守るんだって。  だけどそんな僕の決意を揺るがすように、フローラの心にはしこりとなって「僕の死」というイメージが巣食っているそうだ。  カトリーヌ曰く、そのしこりのせいで身体の回復が遅いらしい。  フローラが、生きるのを拒否しているのだという。  せっかく生きられるようになったのに、それじゃあ意味がない。  僕はその歯痒さをこらえて、フローラの側に寄り添う。 「そういえば、お嬢様。聞いた話なのですが」  フローラの診察を終えたカトリーヌが、唐突にフローラに話しかけた。  何の話だろうか。 「デリック様をフローラ様から振られたというお話は本当なのかしら」 「っ、カトリーヌ!? 何を聞くかと思えば!」  そんな心の傷を抉るようなことを!  フローラに見えないことを良いことにカトリーヌを睨みつければ、カトリーヌはフローラの目を盗み「黙りなさいな」と口を動かした。  な、なにを~!? 「ふる……とは?」 「あら。世間一般で言う恋人たちが分かれる際、別れを申し出ることだけど……デリック様との婚約破棄、フローラ様から切り出されたと聞いたわ」 「か、カトリーヌ!」  聞きたいような、聞きたくないような、そんな質問の内容に僕はおろおろとフローラとカトリーヌの顔を見比べる。  フローラはカトリーヌの問いに対して、臥せていた瞼をあげた。 「確かに……お父様に伝えて婚約破棄をしたのは私です」 「っ、フローラ……!」  そんな……! 「僕が悪かったのか? 君の病を治してあげられなかったから、失望したのかい? それとも貴族のような高貴さもない商人の息子とはやっぱり結婚したくなかった? ごめん、フローラ。気づいてあげられなくて。気づいてあげられていたら、君の憂いを僕が断ち切ってあげたのに……!」 「……女々しいわよ、坊や」 「カトリーヌ様?」 「いいえ、なんでも」  フローラの是の声に、僕は思いつく限りの言葉で彼女に懺悔するけど、それを聞いていたカトリーヌに毒を吐かれてしまって、第二の矢が僕の心を抉った。  め、女々しい……。 「女々しいからフローラは僕を振ったのか……?」  虚しい自問自答は、カトリーヌによって黙殺される。  呆然としてフローラのサファイアのような瞳をじっと見ていると、その瞳がふと優しさと、悲しさと……いろんな感情が混ざって夜の海のような青へと変わった。  フローラの小さく愛らしい唇がそっと動く。 「あの人に私は相応しくないんです。こんな死にいくだけの女がいつまでもあんなに素敵な人を縛りつけておくなんて、罪深いでしょう? あの人には幸せになってほしかったんです」  フローラは聖母のように慈愛に満ちた微笑みを浮かべると言葉を続ける。 「私はあの人に沢山の幸せをもらいました。それは天へと昇っていく私の両手からこぼれてしまうほどの幸せ。最初は私がすぐに死んでしまうから、契約だけの婚約だと思っていました。でも予想以上にあの人の与えてくれる優しい時間が愛しくなってしまったんです。馬鹿ですよね、未来がないと知っていたはずなのに……」 「フローラ……」  いつも微笑み、あまり自分の心の内を明かしてくれなかったフローラの想いを、僕は初めて聞いた。  そんな健気なことをずっと思っていたなんて……。 「最後まで隣にいようとは思わなかったの?」 「……そんなの、私にいる資格なんてありません。こんな、金も手間もかかる女……いても邪魔なだけでしょう?」  自嘲するフローラ。  僕は眦をつり上げる。  フローラでも、さすがにその言葉は許しがたいものがある。 「そんなことを言うもんじゃない! 僕が君をそんな風に思うものか!」 「……デリック様はあなたの事、そう思うような人だと思わないけど」 「デリック様は優しいので。でもきっと、他から見たら体裁も良くはないでしょう?」 「体裁とか、そんなものいらない! 僕は君を愛しているんだ……! 僕は君といられればそれだけで良かったんだ……!」  どうして届かないんだろう。  僕の愛は、そんな世間の外聞に埋もれてしまうようなものなのか! 「……フローラ様はデリック様を侮りすぎね」 「え?」  カトリーヌが呆れたように息をつくと、フローラが困惑したように首を傾げた。 「今回の事件の解決、デリック様の執念のようなものだったのよ。彼は最後まであなたが生きる道を模索した。その結果がこれ。あなたの病の元凶を突き止め、私が来て、不治の病だと思われていたあなたの治療をすることになった。そこに隠されたメッセージ、あなたはちゃんと読み取った?」 「隠されたメッセージ……?」 「そう。……あなたに生きてほしいっていうメッセージ」  フローラがサファイアの瞳をまん丸にする。  僕も同じように目を見張ってカトリーヌを見た。  カトリーヌ、あなたって人は…… 「生きる……」 「あなたと同じ。デリック様だってあなたに幸せになってほしいと願っていたからここまでしたのよ。そんな人が、お金がかかるからって言ってあなたを邪魔だと言うとでも?」 「で、でも私……!」  くしゃりと顔を歪ませ、とうとうフローラが感情のままに言葉を吐き出す。 「私なにもあげられないんです……! こんな身体じゃデリック様が望むように温かな家庭を育んであげられない……! それに私はこれ以上ない罪を犯しました! あの人を轢き殺したんです! そんな女が幸せになるなんて駄目よ……!」  はらはらと真珠のような涙をこぼすフローラの肩に触れようとして……止めた。  僕こそフローラの隣にいる資格はないんじゃないか。  だって今、フローラの心に深い傷をつけているのは僕だから。  僕が馬車の前に飛び出さなければ。  僕が今、きちんとした身体で彼女を抱きしめてあげていられたら。 「フローラ……」 「デリック様……っ、愛しています、愛しているんです……っ! どうして、どうしてあなたが先に逝ってしまうの……! どうせなら、私も一緒にあなたと逝きたかったのに……!」 「……僕も、僕も愛しているよ、フローラ。 ごめんよ、悲しませて。僕はずっと君の隣にいるよ。でもごめんね。生きてくれ。僕のためにも、生きて……」  声を手で抑えて嗚咽をもらすフローラに、僕は声をかける。  たとえ届かなくたって、僕は何度でも君に愛を捧げよう。  フローラの嗚咽と悲しみが静かに響く部屋。  しばらくすると、カトリーナがおもむろに切り出した。 「……落ち着きなさいな。勝手にデリック様を殺さないように。人が生きることに絶望した時、その魂は歩みを止める。魂が歩みを止めれば、肉体も歩みを止める。これの意味、分かる?」  カトリーヌの言葉に、涙を頬に伝わせるフローラがかろうじて首を振った。 「いい、え……」 「あなたと同じなのよ、フローラ。病は気から。治る気がなければ治らない。……目を覚ます気がなければ目を覚まさない」  それは……。  カトリーヌの言いたいことを察して僕は戸惑った。  それは、僕に生きる気がないから、幽霊のままだということ……? 「似た者同士ね、フローラ。デリック様はあなたにフラれたのがショックで寝込んでいるのよ。決してあなたの馬車に轢かれたからじゃないわ。……だからね? 早く元気になってお見舞いに行きなさい。そしてあなたが自分の言葉で、今の気持ちを伝えなさい」  優しく微笑んだカトリーヌ。  ふわりと綿で包み込むような優しさが、フローラと僕を優しく包んで、そしてーー 「私生きたい……! デリック様の隣で……!」  フローラが顔をあげた。  その瞳に、希望と、生きる者の熱が灯る。  有り得るはずがないのに、その視線が、僕と、絡む。  あぁ、これだ。  僕はこの瞳が見たかった。  そう理解した瞬間、僕の心に温かな春一番の風が吹いた。  みずみずしい緑の匂いが、僕の身体をつき抜けていく。  世界がしゅわしゅわと弾けて溶けて、混ざっていく。  僕も。  僕も……! 「僕も生きたい……! フローラの隣で……!」  溶けていく世界。  それは比喩でもなんでもなかった。  僕の意識は歓びに染まりながらもブラックアウトしていく。  不安なんてない。  僕は帰るだけなんだ。  僕はようやく気がついた。  僕はフローラと生きたかったんだ。  フローラの、その言葉を待っていたんだ。  現実だろうと、あの世だろうとどちらでもかまわないけど。  でも彼女がこの現実で生きるのなら、僕もここで生きたい。  僕もここで生きるなら身体に帰らないとーー  完全に意識が落ちる前、僕の頭にカトリーヌの声がピアノの鍵盤を叩くかのように明快に響いた。 「言ったでしょ? 星の巡りだって」  その声に、僕は「そうだね」と笑ってやった。
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