誰が悪魔か

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誰が悪魔か

「それにしても、ハイド先生は無茶を言う……」  薄暗い路地の中、僕はそうぼやいた。  毒薬の件を話した後、僕はハイド先生に「もっとちゃんとした決定的な現場を取り押さえてください」と言われて、ノーマン医師を張り込むことになった……んだけど。 「でも良く考えてみてくれよ。今の僕は幽霊だ。物には触れないから見つけた証拠品を持ち帰ることはできないし、もし何かがあった場合、使いの使者も送れない。できることと言ったら誰にも気づかれないことくらい。こんな僕がどう役に立つと思う? ねぇ、ノーマン医師」  僕は迷わず足を進めるノーマン医師の背中に向かってそう声をかけた。  当然、ノーマン医師は僕の声を無視して歩き続ける。  その背中をじっと見て、僕は溜め息をついた。  先生に話をするだけして、今後の方針を決めて伯爵家に戻ったら、ちょうどノーマン医師が帰るところだった。  フローラの顔を一目だけでも見たかったのをぐっと我慢して、ノーマン医師の後をつけてきた訳だけど。 「……ノーマンはこんな所に住んでいるのか」  伯爵家に出入りしている医者が、伯爵家の直轄地であるこの町の中でもスラムまがいの区域に家を持っているとは。 「やましいことがあるのか、それともただの偽善者か」  こんな所に住む医者なんて、闇医者か、貧民を無償で治療する阿呆ぐらいだろう。  ノーマン医師の場合は前者か?  見てしまった毒薬のせいでどうも穿った見方しかできないけれど、これはもう限りなく黒に近いグレーだと僕は思っているから。  大胆にもノーマン医師の後ろを堂々と着いていくと、暗い路地にある民家の前でノーマン医師が足を止めた。 「ただいま。帰ったよ」 「おかえりなさい、あなた」  ノーマン医師を出迎えたのは、妙齢の女性だ。  柔らかく微笑んで、温かい火の灯る部屋の中へとノーマン医師を迎えいれる。  ごくごく普通のありふれた家族像のような二人の様子に、僕は意表を突かれた気分になった。 「……確か、ノーマン医師の奥方はフローラの乳母だったな」  扉が閉められる前に、行儀が悪いと思いつつもこっそり家の中へと入る。  ノーマン医師の家はこじんまりとしていた。  机の上には彩りを添えるように花が花瓶に飾られて、暖炉で灯っている薪がパチパチとはぜる音がよく耳に馴染む。  ノーマン医師と奥方が室内に入り、二人で話しながら夕食の支度をしていく。 「伯爵家のお嬢様のご容態はどうですか」 「あんな身体でよく頑張ってると思うよ。今回のには焦ったが……後一年は頑張って欲しいな」 「そうですか……。伯爵様もお可哀想に。愛した奥方様の忘れ形見も手放さざるを得ないなんて……。子を亡くす痛みほどつらいものはありますまい……」 「本当にな」  部屋の中を見渡しながら二人の会話に聞き耳を立ててみる。  この話しぶりだと、奥方はノーマン医師がフローラの処方のことは知らない……? 「くそ、ノーマン医師の話し方だとどちらとも取れるな……」  心の底からフローラを心配しているのか。  だけど彼の鞄の中にあるものは、フローラを殺す毒薬。  その言葉は「後一年で殺す」という意味にも取れる。  イライラしながら他に何か無いのかとノーマン医師夫婦の話に耳を傾けるけれど、それ以上の収穫は得られないまま食事を終え、夫婦は就寝時間を迎えてしまう。  口数が多い質ではないのか会話もほとんど無い。  奥方が先に就寝し、ノーマン医師は少しだけ仕事があるといって別室に行く。  そこに何か証拠があるかもしれないと思って着いていったけれど、ノーマン医師は別室にあった薬棚から薬を補充しただけで、すぐに就寝をしてしまった。  仕事怠慢なんじゃないかあの医者。  僕は半眼になりながら、扉が閉まった後もノーマン医師の薬棚を調べた。  怪しいものがないか。  毒薬が他にないのか。  念入りに調べるけれど。 「……お手上げだ。僕に医者ほどの薬の知識はない」  並べられている薬草の名前はともかく、そこから生成されたであろう薬は全て医療用の異国の文字でラベルが書かれていたり、ラベルすら貼られていなかったりしてしまっていて僕には分からない。  僕は自分の手のひらを見つめる。  誰にも気づかれないこの身体。  その利点を活かして不法侵入紛いのことをして証拠を抑えようにも、僕に証拠を見つけるだけの能力がなければ無意味。 「ハイド先生、配役を間違えているでしょ……」  額に手をやり溜め息を吐く。  無力すぎて笑えてくるな。  少しだけ埃っぽい部屋の中で、僕は一人虚無感に襲われる。  何も収穫のないままぼんやりと窓辺に背中を預けて、月明かりも差し込まない暗い部屋の中を見ていると。 「……ん?」  かすかに木が軋む音がした。  なんだろうか。  キシキシと……誰かが歩く音か?  僕は扉の向こうを見やる。  向こうの部屋か。  扉……は、触れない。  けど。  ……本当はやりたくないんだけどなぁ。  扉に手を触れる。  少しずつ奥へと腕を差し入れる。  すり抜ける。 「……ほんと、僕が幽霊だなんて笑ってしまうよね」  一人で笑いながらも、ぐっと一歩を踏み込む。  そして踏み込んだ先の部屋には。 「奥方……?」  月明かりすら届かない部屋の中で、ノーマン医師の奥方が暗闇の中で一人立っていた。  何かを呟きながら、奥方が机の上にあった花瓶を移動させて何かを並べている。 「Abandonner l'amour……」  並べているのは……石?  いや、宝石か?  奥方は石を机の上に並べるとその中央に手を差しのべる。  そして果物ナイフを握りしめると。 「我が血を捧げます……」  指を傷つけ、宝石が並べられた中央へと血を流す。  これは……。 「……フローラ……憎き我が親友の娘……悪魔よ……その命を贄に産まれよ……」 「……」  気狂いか。  黒魔術の真似事なんてするなんて、悪趣味な。  迷信でしかないそんなものに手を出すなんて気がしれない……けど。 「ラ・ヴォワサンを追ってる時点で僕も同類か。むしろ、こんな身体の時点で僕の方がよっぽど悪魔に近い……」  頭を振り、自嘲しながらその儀式のようなものに目をやると。  ノーマン医師の奥方と目が合った。  どうせその視線は僕を通り越すだろうと思って、はすに構えて見ていると。 「あぁっ! 悪魔よ! 私の呼びかけにお応えしてくださったのですか!」 「……なっ!?」  奥方が僕に向かって手を伸ばした。  奥方に僕の姿が見えたのか!? 「どうしたお前! 大丈夫か!」 「ああぁ、あなた! 今ここに悪魔が! 悪魔がいたのよ! 私の声に応じてくれたのよ!」 「くそ……! 落ち着け! 薬はどこだ!」  寝室から飛び出て来たノーマン医師が、取り乱す奥方を抑えつけながら薬を何とかして飲ませる。  もがく奥方と、苛つくように薬を飲ませるノーマン医師。  その傍らで呆然とその光景を見ているだけの僕。  やがて部屋の中は静かになって、ノーマン医師は大きく溜め息を吐きながら、うわ言を言う奥方を寝室へと連れていく。 「くそ……レディントン……貴様のせいで……!」  憎々しげにそう言ったノーマン医師の瞳には暗い色が灯っていて。  ……僕はその気迫に飲み込まれそうになった。  数歩、後ろに後退りすれば、視界が変わる。  家の壁をすり抜けて外に出てしまったのに気がついたのは、目の前が何の変哲もない石壁になったからだ。 「フローラ……」  目の前の光景は、僕にかなりの衝撃を与えた。  ……ノーマン医師が、いいや、ノーマン夫妻がレディントン伯爵家を憎んでいる。  フローラを殺す動機は確かに彼にあった。  だけど、いったい何が原因だ?  婚約前の身辺調査で読んだ、ノーマン夫妻に関する情報を思い出す。  ノーマン医師はフローラの主治医。フローラの母の主治医でもあった。  ノーマン医師の奥方はフローラの乳母。フローラと同時期に産まれた子供を病で亡くしている。  同じ子供なのに、自分の子が死んで、フローラが生きている事への逆恨みか? 「……いや、違う」  ノーマン医師の奥方はフローラのことを「憎き親友の娘」と読んだ。  つまり、真に彼女が憎んでいるのは。 「既に亡くなられているフローラの母君か……?」  フローラの母はフローラを産んで間も無く亡くなっていると聞いている。  もちろん調査はしているはずだけれど、情報は古ければ古いほど価値が落ちていく。  だけどこの目で見て、耳で聞いた以上、もう一度調べる価値はあるはずだ。  僕は顔を上げると、ハイド先生の家へと向かう。  誰も気づかなかったノーマン夫妻の憎悪と怨嗟。  これに気づいたのは僕だけ。  これを阻止できるのも、僕だけ。 「……フローラ。君に死んでほしいと願っている人間は、僕が地獄に連れていくよ」  たとえ、僕の命と引き換えにしてもね。
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