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商人と探偵の密談2
どこかに出掛けていたらしいハイド先生が家に戻ってきたのは、空が白み始めた明け方だった。
「おかえり」
「おや。お早いですね?」
「まぁね。朝ご飯はさっき、隣の家のマダムが家の軒先に置いていったよ」
「おぉ~、ありがたい。後でお礼を言いに行かねばなりませんねぇ」
うきうきと玄関口に置かれていた籠の中に入っている、ちょっと堅くなったパンを食卓に置くと、ハイド先生は湯を沸かす傍らで籠の中に入っていた卵を焼きはじめる。
僕はそれを食卓の椅子に腰掛けて、一連の動きをなんとなく目で追った。
「食べます?」
「遠慮しないでどうぞ」
ハイド先生の嫌味とも取れるような冗談を適当にあしらえば、ハイド先生は言葉通りに遠慮なく朝食を用意して、僕の向かい側に座る。
「先生はどこに行ってたのさ。こっちはすぐにでも話したいことがあったのに」
「野暮用ですヨ、野暮用。お話は今から聞きますし、私が何をしていたのかもお話ししますヨ」
紅茶を飲みながら、ハイド先生はパンにかぶりつく。
ハイド先生の齧るパンは焼かれてからしばらく時間がたってしまっていて、表面が乾いていた。
パンの欠片がポロポロと食卓に落ちていく。
質の悪そうなパンだけど、どうしてかそれを羨ましく思った。
僕もああやって食事をしていたんだよな。
この身体になってから食欲というものを感じなくなってしまったようで、たった数日だというのに毎日食べていたパンの味がどんな風だったのか忘れてしまいそうだ。
僕は一つ頭を振ると、昨夜見たものをハイド先生に話す。
「結論から言えば毒薬の直接的な証拠は見つからなかったけど、ノーマン医師……いや、ノーマン夫妻にはフローラを殺す動機があったことはわかった」
「おや? そうなんですか? 三男坊の婚約前の身辺調査ではひっかからなったんですがね」
「その身辺調査なんだけど。フローラの母君の生前についてはどこまで調べた?」
「……あぁ、なるほど。そこが漏れていたと。一通りざっくり調べはしましたが、フローラの母君の関係者とはほぼ縁を切っている状態でしたので、深くまでは調べておりませんでしたねぇ」
やっぱりか。
フローラの乳母や主治医とはいえ、フローラの母親絡みの事ならそう大して調べないだろう。
死者を恨む人間なんて、そうそういないから。
得たり顔で頷くハイド先生に、僕は、僕にできないことをお願いする。
「ノーマン医師の奥方を徹底的に調べてほしい。フローラの母君を恨んでいるのは彼女だ」
「かしこまりました。今日のうちに調べられるだけ調べましょう」
「頼むよ」
また一歩、フローラを救う未来に近づいた。
安堵して深く息をつけば、ハイド先生が切り分けた目玉焼きを飲み込むようにして食べる。
「では次は私から。ラ・ヴォワサンですがやっぱり流通から追うのは正直無理です。というか不可能に近いというのが正直なところですヨ」
「どういうことだい?」
「気がついたら売り物の商品とすり替えられていた……っていう感じですね。しかも無差別。販売経路に使われた商人も有象無象。ご当主の呼び掛けのお陰か、気づいて販売前に廃棄されているようですが、中身を入れ替えれば見分けもつきません。手に入ろうとして入れられるようなものじゃあありませんヨ」
「商人が皆、正直者ならな。……ノーマン医師と繋がりのある商人も調べた方が良いもしれない。闇取引であのミルクを手に入れている可能性もある」
「ですね。ま、今回はノーマンという目星がつけられているので私も気が楽です」
皿の中身を空っぽにしたハイド先生が満足そうに唇を舐める。
行儀が悪いぞ、先生。
「これからどうする?」
「とりあえず寝ます」
「はぁ?」
「こちとら夜通し歩き回って眠気が限界なんですヨ」
これからまた調査に出るものだろうと踏んでいた僕は思わず間の抜けた声を出してしまうけど……ハイド先生が言うことももっともだ。
普通の人間は徹夜で歩き回れば当然疲労する。
休息を必要とするのは当たり前で。
……この程度で休息を必要としないのは、かなり鍛えている人間か、動物とか人間ではない奴らだろう。
その中には、きっと僕も入っていて。
頭の中に、ノーマン医師の奥方の声が響く。
歓喜に満ちた悪魔を喚ぶ声。
その瞳は僕を映す。
「三男坊? どうかしました?」
「……いいや、何でもない。フローラの所に行ってくる」
「そうですか。なら、夜までには帰ってきてくださいね?」
「何かするのかい?」
「は~い」
満面笑顔で頷くと、ハイド先生は懐に手をやり、一つの封筒を僕に見せた。
黒い封筒。
宛名は何もかいていない。
「なんだい、それ」
「ふふ、招待状ですヨ」
「招待状? なんのさ」
「それは勿論……」
ハイド先生は唇の端を吊り上げると、その封筒にキスをした。
その魅惑の行動が何を示すのかと言えば。
「魔女集会……黒ミサですよ」
「黒ミサぁ!?」
予想の斜め上過ぎる返答に困惑していると、ハイド先生は封筒を食卓の上へと置く。
「いやぁ、流通から追えないのなら魔女から聞けば良いと思いまして?」
「……まぁ、ラ・ヴォワサンが魔女だというし? それは分かるけど。それ、どうやって手に入れたんだ」
「そんなの勿論、捏造に決まってるじゃないですか~」
にっこり笑って言うハイド先生に僕は呆れる。
「……不安しかないなぁ」
「そうなんですよねぇ。なんとか黒ミサの情報を掴んだのまではいいんですが、彼女達はこの黒い封筒でやりとりをしていることしか掴めなかったんですヨ。なので実物の用意はできませんでした」
「不安しかないなぁ」
大事なことなので二回言わせてもらう。
でもそこまで情報が分かったのなら、ハイド先生なら封筒の中身まで知っていそうなものなのに。
「その黒い封筒の情報はどこから? 胸くそ悪い話だけれど、この国では魔女は異端だ。悪魔に魂を売るという魔女は皆火刑。このレディントン領地で黒ミサが開かれているのなら、大事だぞ」
「安心してください。この手紙は別の領地で入手したものです。ラ・ヴォワサンのミルクの件で、各所では魔女裁判が横行していますから」
……なるほどね。
黒い封筒の出所は分かった。
ハイド先生がかなり危ない橋を渡って情報を得ていたことも分かった。
分かったけど。
「使えなきゃ意味ないよね。情報が古いし……何よりこの町の魔女も同じようにやり取りしているとは限らない」
「そこは『魔女の伝統』らしく、どの町でも同じらしいですヨ? 魔女は魔女だけのコミュニティがあります。彼女達が死なないための、彼女達の秘密要塞が。そこが厄介なんですけどね~」
笑っていたハイド先生もここにきて一緒に溜め息を吐く。
黒封筒は魔女同士でのやりとりに使われて、黒ミサの場所や時間などもこれでやり取りがされるという。
魔女から魔女へ手渡され、読み回し、最後の魔女は黒封筒を暖炉にいれて灰にするらしい。
徹底しているからこそ、裏切り者もすぐ分かり、そういった者が処刑にかけられ贄にされるのだという。
魔女裁判の火刑すら、魔女にとっては一種の儀式なのだとか。
冷酷な魔女のコミュニティの一面に、少しだけ背筋が凍った。
「おそらくはこの町にも魔女はいると思います、が……」
「魔女はすべからく火刑だ。それと分かっていて魔女だと名乗る人間はないだろう」
「そうなんですヨ~」
徹底された閉鎖機構。
そこに隠された秘密に触れれば事件は解明するのだろうか。
「魔女裁判が横行するなか、魔女を探すのは至難の技……。ミルク事件がここまで大きくなる前にどうにかするべきでしたと思いません?」
ぶつぶつと愚痴を言うハイド先生。
ハイド先生がこういうのも仕方ない。
せっかく見つけた突破口が、まるで針に糸を通すくらいに小さいものだったから。
食べ終わった食器を雑に片付け始めたハイド先生の背中を見ながら、僕は昨夜の事を思い出す。
悪魔を喚び、僕を悪魔と呼んだ女性の事を。
魔女はすべからく火刑になると言ったのは僕だ。
ハイド先生は魔女と繋がりを得た後、彼女達をどうするのだろうか。
「ハイド先生」
「は~い」
「……もし、魔女を見つけたらどうする?」
「とりあえずラ・ヴォワサンのことを聞きますけど?」
きょとんとした顔でそう言うハイド先生に、僕は頭を掻いた。
「あ~、違う。そうじゃなくて。魔女の……裁判の話だ」
少し聞きづらくて声が小さくなるけど、ハイド先生はちゃんと聞き取ってくれたようで「あぁ」とポンと手のひらを打った。
「時と場合に寄りますね。私は悪魔なんて迷信を信じていません。黒ミサも子供のお遊戯と同じ程度でしょう。いちいち目くじら立てて火炙りにしてたら薪が足りませんヨ」
「な、なるほど……?」
そのわりには僕のことを幽霊だってからかうし、ラ・ヴォワサンの黒魔術に頼る気満々だけどね??
よく分からないハイド先生の行動指針に苦笑した僕は……深く息を吸ってハイド先生に話す。
「ノーマン医師の奥方はおそらく魔女だ。昨日の番、儀式らしきものをしていた。ノーマン医師には心の病だと思われているみたいだった。彼女を調べれば、黒ミサにも近づけると思うよ」
「ほほほーう。そんな素晴らしい切り札が! もう、知っていたのなら早く教えてくださいヨ!」
「それが分かったら十分でしょ」
目を輝かせたハイド先生が僕に詰め寄ってくるけど、僕はそれをすり抜けて背を向けた。
やらないといけないことは沢山あるし……僕に残されている時間もそうないだろうから。
「……フローラの所に行くつもりだったけど、気が変わったよ。僕は先に行ってノーマン夫妻を見張るとしよう。魔女のことが分かれば一気に駒は進むだろうからね」
「は~い。お気をつけて~」
ハイド先生に過去の事は託して、僕は僕にできることをすることにする。
奥方から魔女について分かれば良し。
ノーマン医師から毒薬について十分な証拠が手に入ればもっと良し。
誰にも見つからないからこそできる、僕だけの仕事だ。
商人の息子だから一番得意なのは金勘定と商品の目利きだけだけど……少しでもハイド先生へ渡せる情報が手に入れば何でも良い。
商人は転んでもただでは起きないんだ。
欲しいものはなんとしてでも手に入れるんだ。
だから僕は、たとえ悪魔と呼ばれようと立ち止まらない。
こんなにも強欲な僕ら商人は、悪魔のような生き物といっても過言はないからね。
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