商人と探偵と魔女の密談

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商人と探偵と魔女の密談

 黒ミサを抜け出した僕がハイド先生の家に帰ると、コルセットの残骸を身体に巻き付け、床にひっくり返っているハイド先生がいた。  何をやっていたのさ、ハイド先生…… 「さ、これで大丈夫」 「いやはや、レディ。こんな格好で申し訳ない。しかも治療までしてもらって」 「ふふ、いいわよ。迷惑料みたいなものだからオマケしてあげる」  ラ・ヴォワサン……いや、カトリーヌがくすくすと笑う。  僕と一緒に黒ミサを抜け出したカトリーヌはどうやらワケアリのようで、僕に帰る家があると知ると一緒に着いてきた。  そのお陰で触れない僕の代わりに家の中で転がっていたハイド先生を介抱してくれたんだけども。  ベッドの上で身体を横たえているハイド先生が、満足そうに頷く。 「それにしても、予想以上の手柄を持って帰ってきましたねぇ」 「うん、それはそうだけど。ハイド先生は何していたのさ」 「ご覧の通りの有り様ですヨ。黒ミサに行くために女性になろうとして、コルセットを巻く際に腰をぐきっと」 「うん、聞かなきゃ良かったかもしんない」  呆れて溜め息をつけば、ハイド先生は「いやぁ~」と誤魔化すように頬をかいて照れ笑いをした。  そこ、照れるとこじゃないんだけど?  ああもう、ハイド先生のお茶目に付き合ってると話が進まない。  僕は強制的に話を切り変えることにした。 「さて……じゃあ先に改めて自己紹介でもしようか。僕はミルワード商会の三男、デリックだ。気づいていると思うけど、今は幽霊」 「私はハイド・スウィートマン。ミルワード商会のお抱え探偵でございます」  簡単に僕とハイド先生が自己紹介すると、カトリーヌはようやくローブから顔を出す。 「私はカトリーヌ・モン・ヴォワサン。占いと薬師を生業にしているわ。よろしくね」  金色の長い髪と紫色の瞳。  魅惑の赤い唇。  年はおそらく二十代前半くらいだろうか。  智と色に満ちた雰囲気を纏って、カトリーヌは僕らの前に現れた。  ……いや。カトリーヌ、じゃないか。 『ラ・ヴォワサン』が、現れたんだ。 「……よろしくしたいところだけど、僕はあなたに聞きたいことがあるんだ。それに答えてもらわないことには、よろしくはできないかな」 「言っておくけど、ミルクの件は私じゃないからね?」 「そう、ミルクの件……て、え?」  ミルクの件は私じゃない? 「あなたの名前がついているのにか?」 「カモフラージュでしょう、そんなの。そのせいで私は家を追われ、職を追われ、とんだ災難よ」  え、そ、それじゃあ。 「振り出しに戻ったってことか……?」  嘘だろう……?  呆然として僕はカトリーヌを見つめる。  ここまで来て、また手をすり抜けた。  フローラを救うための道筋が……。 「……あなたはご自分が追われていると分かっていて、何故ここに?」 「それはもちろん、私の名前を騙る人間を見つけるためよ」 「ほう……目星はついているのですか?」 「残念ながら、星の巡りでここまで来ただけなのよ。犯人は分からないわ」 「そうですが……」  ハイド先生の問いにカトリーヌは首を振って答える。  ハイド先生もカトリーヌの答えに落胆したのか、渋い顔になる。  カトリーヌはハイド先生のベッドの傍らに椅子を持ってくると、足を組んで座った。 「そういうあなた達は? あなた達もミルクについて調べているんでしょう?」 「そうだけど……どうしてそれを?」 「全ては星の巡り……と言いたいけどね? 私、占い師だけど、根拠のない未来を言ったりはしないの」 「ほう。つまり?」 「本物の女占い師って、あなたと同じなのよ商家お抱えの探偵先生? 情報はお金を出してでも買うわ」 「なるほど、なるほど」  う、占い師って、そういう職業なわけ……?  カトリーヌから感じる謎の圧にちょっと身体が引いた。  というか笑って同意するハイド先生も怖いな。  似た者同士ってこういうことを言うのかもしれない。 「では、私たちの目標は一致しているということで問題は無いと?」 「ええ、そうね」 「ラ・ヴォワサンの毒入りミルク……これの真犯人を見つけるということ。その協力者になっていただけると」 「もちろん」  ハイド先生とカトリーヌが着々と協力の算段をつけていくけど、待て待て待て。 「その……カトリーヌは魔女なんだろう? 彼女をかくまうつもりなのかい。彼女が魔女だと知られた時、僕らも火炙りだぞ?」 「あら……僕らって言ってもあなたは幽霊じゃない」 「今はね。一応、身体は生きてるらしい」 「そうなの?」 「そうだよ。……ちなみに、僕は魔女ラ・ヴォワサンに身体への戻りかたを聞きたくもあったんだけど」 「そういうことなら残念。星の巡り次第だわ。私にはどうすることもできない」 「そうか……」  肩をすくめるカトリーヌ。  ハイド先生もあてが外れたからか、気まずそうに視線を下げてしまう。  はは……仕方ないさ。  最初から期待はしていなかったしね。  僕の身体に関してはやっぱり、気長に考えるしかないよ。 「……こほん。ではさっそく、お互いの手札を見せあいましょうか」 「そうね」  場の重くなってしまった空気を振り払うために咳払いをして、ハイド先生はカトリーヌと話し合いを始める。  僕はそれに耳を傾けた。  僕が知っていることはほとんどハイド先生も知っているから、余計な口出しはしない方が話しやすいだろうしね。 「まず私たちですが、ミルクを使って暗殺を企てている人物を知っています。長期的な犯行のようですので、ここからミルクの経路を調べられないかと思っていますが……毒入りミルクをどうやって判断するか、製造方法等が不明なため、確証が得られません」 「普通の瓶や樽に入っちゃえば分からないものね」 「そういうことです」  やれやれと首をすくめるハイド先生。  カトリーヌはそれににっこりと笑いかけた。 「それなら私から朗報。私、毒入りミルクの作り方を知っているわよ」 「は」 「え」  二人のやり取りを聞き流していた僕の耳に、まさかまさかな言葉が飛び込んでくる。 「毒入りミルクの作り方を知っているのか!?」 「ええ。なんなら治療法も」 「治療法も……!?」  そ、それなら!  僕はカトリーヌに詰め寄った。彼女の肩に手を置こうとして……手がすり抜けて、勢い余って地面に転んでしまう。 「うわっ」 「あらま」 「興奮しすぎですヨ、三男坊」  無様に床に転がった僕を見て呆れるハイド先生。  くっ……! そんな目で僕を見るなよ!  ハイド先生の視線が痛くて目を逸らせば、不思議そうな顔をしているカトリーヌと目が合う。 「どうしたのよ、幽霊の坊や。そんなに息巻いて」  僕はぐっと息を飲み込むと、立ち上がって、改めてカトリーヌの前に立つ。 「カトリーヌ、お願いがある」 「あら」  首を傾げるカトリーヌに、僕は頭を下げた。 「フローラを……僕の婚約者を助けてほしい。毒入りミルクを使って暗殺を企てている人間は、僕の婚約者……いや、元婚約者か。ともかく、フローラっていう女の子を狙っているんだ」 「なるほど。だから幽霊の坊やはこの事件に首を突っ込んでいるのね」  くすくすと笑うカトリーヌ。  でもすぐに真剣な顔を作るとこう言う。 「治療してあげるのはいいけど、この事件を解決してからになるわよ」  そんな! 「どうしてだ!? 今もフローラは苦しんでいるのに……!」 「言ったでしょう、私はお尋ね者だって。今、私が表に出るのは危ないわ。治療と事件解決が逆になったらどうなると思う?」 「逆になったら……?」  カトリーヌが言いたい事か分からなくて、僕は一瞬思考が止まった。 「未だ謎に包まれている毒入りミルク。その毒に蝕まれた人間を治療した女薬師なんて……それこそ自分が犯人ですって言っているようなものよ」 「だからってフローラを見殺しにするなんて……!」 「三男坊、落ち着いてください。どのみち、彼女を伯爵家に送るのは無理です。ノーマン医師がいる限り」 「……っ」  ハイド先生の、言う通りだ。  ノーマン医師がいる限り、フローラの治療の一切は彼に委ねられている。  ノーマン医師を微塵にも疑っていない伯爵に、もしフローラを治療しようとするカトリーヌが毒を盛ったと証言されてしまえば、元も子もない。 「……分かった。でも約束してくれ。事件が解決したら、フローラを治療してほしい」 「それは喜んで。その代わりにちゃんと報酬は頂戴よね」  カトリーヌは片目をつむって、僕をからかうようにそう言った。  僕は苦笑して肩を竦める。 「本当に似ているね、ハイド先生とカトリーヌは。事件が解決したら、僕の口座に請求しておいて。僕はこんなんだから、ハイド先生に遺言状でも偽造してもらってくれ」 「おや、そんな手間な事、嫌ですヨ。保留にしているだけで、三男坊を生き返らせることを諦めているわけじゃないので」  つんとそっぽを向くハイド先生に乾いた笑みを返せば、カトリーヌが面白そうに目を細める。 「幽霊の坊やのことについては、そうねぇ……。こういうものって何かのきっかけで治ることもあるし、時間が解決することもあるから。体質なのか、坊やみたいな幽霊に会うのも始めてじゃないから何となく分かるのよ。それこそ、星の巡りだってね?」  星の巡り……か。  言葉はいいけど、それは結局、運ってことだろう? 「前向きに考えたいね」 「悩み過ぎるのはよくないわよ? で、本題だけど……」  カトリーヌは持っていた荷物……黒ミサに持ってきていた藤籠の中から一つの瓶を取り出した。  中には乾燥した草が入っている。  三つ葉のような丸い葉に、綿毛のようなつぶつぶとした可愛らしい花。  見慣れないけど、毒々しくはなく、普通に野山に生えていそうな植物だ。 「これは?」 「『ラ・ヴォワサンのマザーズミルク』に含まれている毒の正体よ」  この植物が? 「この草をどうやってミルクにいれるんだ。こんなものが入ったら一目で分かるし、味も変わるんじゃないか?」  煎じたら一発で分かるだろう、こんな植物。  じろじろと植物の入った瓶を見ていると、カトリーヌが人差し指を左右へ「ノンノン」と振る。 「ミルクそのものに入ればね? この草、人間にも有毒だけど……家畜にも有毒なのよ」 「家畜……。なるほど、そういうことですか」  僕がカトリーヌの言葉を噛み砕くより早くハイド先生が理解する。  僕も、家畜、家畜……と呟いて、ピンときた。 「もしかして、その草を食べた牛から摂れるミルクが、毒入りミルクになる……!?」  カトリーヌが満足そうに頷く。 「正解。これ、家畜が摂取すると毒が分解されずに体内に蓄積されていって、肉やミルクにも毒素が含まれてしまうのよ。だからこれからすることは……」 「その草を牛に食べさせている酪農家を探すこと……! ハイド先生!」 「は~い」  僕は声を張り上げる。  今まで見えなかったものが一気に繋がった気がした。  毒草を食べた牛。  毒入りミルク。  主治医の妻であり、フローラの乳母。  何をするべきか明快な答えを得た僕は、善は急げとばかりに部屋の出入り口を目指す。 「ノーマン医師の奥方の実家を調べよう! 彼女の実家は酪農家だ!」 「そう言うと思っておりましたヨ」  よいしょ、とハイド先生がベッドの上で身を起こした。 「腰はもういいのかしら?」 「治療の賜物か、少し動くくらいどうってこともありませんヨ。身体のない三男坊の代わりに動くのが私の役目ですから」  あぁ、ハイド先生。  やっぱりあなたは頼もしいよ。  幽霊の僕だけじゃ、ここまでたどり着いても、実際に行動が起こせないから。  目の前に見えた光明に、身体の奥底から沸き上がるような高揚感が生まれる。  もう少しだ。  もう少しだよ、フローラ。  君が生きる道を、僕は見つけたよ。
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