一番近くて、一番遠い場所

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一番近くて、一番遠い場所

「あーあ、雨とか最悪・・・。 今日の予報、晴れだったんじゃないの?」 予告もなしに、突然降ってきた雨。 小雨だったらまだいいが、結構な量の雨が降っている。 このままずぶ濡れになって走って帰るのも恥ずかしかったため、女は近くにあった公衆トイレへと駆け込んだ。 中は、公衆トイレだとは思えない程の清潔感が保たれている。 立ったままでいるのも疲れると思い、洋式トイレへ移動し蓋の上に座った。 スクールバッグからタオルを取り出し、濡れた身体を拭く。 ―――暇になったなぁ。 ―――携帯は学校で禁止だから持ってきていないし、することがない。 ―――こんなところで課題をやる気分にもなれないし・・・。 そのようなことをぼんやりと考えながら暇を持て余していると、隣の男子トイレに誰かが入っていく足音が聞こえてきた。 だが、しばらく経っても外へ出る足音は聞こえてこない。 ―――もしかして、私と同じで雨宿りをしに来たのかな? そう思うと、持ち前の好奇心が疼いた。 ―――どんな人だろう? ―――雨が止むまで暇だから、声をかけちゃおうかな。 足音が聞こえるということは、おそらく壁は薄いのだろう。  互いの姿は見えなくても、声だけで会話ができると思った。 「もしもーし」 「・・・」 「あのー、聞こえていますかー?」 「・・・」 「おーい! そこの、男子トイレのお兄さーん」 「・・・俺に言ってんのか?」 返ってきた声は、思ったよりも若い声だった。 自分と年齢があまり離れていないかもしれないと思うと、少しだが嬉しくなる。 「そうそう! いるなら返事くらいしてくださいよぉ」 「こんな時に話しかけてくるとか、信じらんねぇ」 どうやら相手は女とは違い、今会話をすることを嫌がっているようだった。 「まぁまぁ、固いことは言わずに。 お兄さん暇でしょ?」 「いや、俺は今スマホゲーをやっているから忙しい」 「世間ではそれを、暇と言うんです」 「言わないから」 「何のゲームをやっているんですかー?」 「・・・」 返事はなかった。 ―――興味がありそうなゲームの話を投げかけてみたけど、何か嫌そうだし止めておくかな。 無視されても、めげないのがこの女だ。 「お兄さん、私とお話しません? 雨宿りをする男と女が、一つ屋根の下! もしかしたらこれが、運命的な出会いだったら面白いと思いませんか?」 「公衆トイレで運命的な出会いだって? ムードもへったくれもないな」 「まぁまぁまぁ。 それはそれ、これはこれ」 「は?」 男は完全に無視はしていないようで、反応はしてくれる。 すぐに言葉を返してくれるため、話のリズムがとてもよかった。 「お兄さんは、彼女さんとかいるんですか?」 「いないけど。 アンタは?」 「いたらこんなこと、していません!」 それを聞いた男は、フッと鼻で笑う。 「それもそうか。 じゃあ、恋人を求めるためにいつもこんなことをしてんの? 飢えているんだな」 「馬鹿を言っちゃいけませんよ。 お兄さんに運命を感じたから、話しかけてみたんです」 「話しかける前の段階だと、俺の声すらも分からないだろ。 今だって、互いの顔は見えないんだぜ」 「あ、それは大丈夫大丈夫。 私、顔よりも中身重視なんで。 お兄さんがひょっとこみたいな顔をしていても、中身さえよければ私は愛せるので!」 キッパリと笑顔で言い切ると、男がすぐさま突っ込みを入れてきた。 「いや、それ、ひょっとこに失礼だろ」 「え? ま、まさか、本当にひょっとこみたいな顔を・・・」 「んなわけねぇだろ」 冗談だとは分かっていたが、否定されたことに安心する。 「ですよねー。 場所が悪いから声がくぐもっちゃってますけど、割とイケてるんじゃないかなと思っています!」 「どうだかな」 「あれれ? 否定しないということは、なかなか自分に自信あり? ちなみに、私の声からの印象はどんな感じですか?」 「普通」 それを聞いて、女は思わずムキになった。 「ふ、つ、う!? いや、もっと何かあるでしょう! さえずる美しいスズメみたいだとか、西欧の綺麗なハープのようだとか!」 「それ、自分で言ってどう思う?」 「どう思う、って・・・」 ―――・・・。 自分でよく考えてみる。 改めて思うと、途端に恥ずかしくなった。 「・・・すみませんでした。 私が全面的に悪かったです」 「・・・声がどうかは知らないけど、俺はアンタのこと嫌いじゃないよ」 「え・・・」 「“雨が止まないでほしい”って思うくらいには、今の時間を有意義に感じてる」 思いもよらなかったその言葉に、女は分かりやすくたじろいでしまう。 「え、え、ちょッ・・・! い、いきなりそんなこと言われたら、ドキドキしちゃうじゃないですか!」 「吊り橋効果じゃね?」 「ロマンないですねぇ」 「公衆トイレなんかで、ロマンを求めんなよ」 「乙女はいつでも、夢を見る生き物なのです」 「ふーん・・・」 この後、少し沈黙が訪れた。 だがあまりの恥ずかしさに耐えられず、誤魔化すため他の話題へ変える。 「・・・雨、止みませんね」 「だから、止まない方がいいって言っただろ」 「なッ、またそういうことを言う!」 「・・・傘、持っていないのか?」 そう言われ、大袈裟に溜め息をついた。 「持っていたら、こんなところで雨宿りなんてしていませんよ。 もしかして、お兄さんは持っているんですか?」 「・・・持っていないけど」 「ですよねー!」 「嘘。 本当は持っているんだ」 あまりの否定の速さに、一瞬言葉を失ってしまう。 「・・・え? マジですか!?」 「マジだよ」 「・・・その、帰らないんですか?」 「・・・」 疑問を沈黙で返した男。 そんな彼の心情を、女なりに考えてみた。 「・・・あ、もしかして、私に気を遣ってくれてます?」 「そういうわけじゃない」 「私も、お兄さんと話してるの凄く楽しいですよ」 「なッ・・・!」 「ふふ。 今、顔が赤くなりましたね!」 「なってねぇから!」 「とか言いながら、私が本当に見ていないのか確認しているお兄さん、かわゆ」 そう言って、クスリと笑う。  「・・・え、マジで見えてんの?」 「そんなわけないでしょう? 見えててほしかったんですか?」 「あまりからかうなよ」 「見えないから楽しいんです」 溜息交じりの言葉に、女は変わらず笑顔で返す。 「・・・それは、否定しないけど。 俺も容姿より中身派なんだ。 鼻ちょうちんみたいな顔だったら、流石に嫌だけど」 「えぇ!? 人ですらない!?」 「冗談だ」 これも冗談だと分かっていた。 だから即座に否定されると、多少気分が上がってしまう。 「素直でよろしい。 許して差し上げます」 「随分と上から目線だなぁ・・・。 歳はいくつ?」 「乙女に年齢を聞くんですかぁ? 減点です!」 「年齢を気にするような歳じゃないだろ? 流石にその辺りはわきまえているから」 「おぉ、それは素晴らしい!」 意外と大人な対応に、思わず拍手を送った。 「・・・俺は18」 「おっと。 先制攻撃ときましたか」 「寧ろ全面降伏だろ」 「じゃあ、それよりも“下”とだけ言っておきましょう」 「そう。 俺、年下が好きだぞ」 あまりのストレートな発言を聞いて、少しだけドキッとしてしまう。 「・・・え、いきなりですね? 私は年上が好きですよ」 「利害の一致だな」 「うーん。 何か違うような気もしますが」 考え込むようにしてそう返すと、大きく息を吐く音が聞こえてきた。 「ふぅー・・・」 「・・・え、もしかして深呼吸!? 公衆トイレで深呼吸って、正気ですか!?」 「馬鹿を言うな。 傘を貸してやるから、もう帰りなよ。 これ以上話をしていると、俺の調子が狂う・・・」 「え、何本持っているんですか?」 話をしているのは楽しいが、止む当てもないのにずっとここにいるわけにもいかないのは、自然だった。 「一本だけど」 「そしたらお兄さんの分がないじゃないですか」 「いいんだよ。 俺は走って帰るから」 「そんなの悪いです! というか、お兄さんは雨宿りをしに来たんじゃなかったんですね」 そう尋ねると、男は悩むことなくすぐさま答える。 「あぁ。 傘を差しながらじゃ、スマホゲーができないからな」 「うわ。 歩きスマホは駄目ですよぉ、危ないから」 注意すると、数秒後に素直な返事がきた。 「・・・善処しておく。 ほら、早く帰れ」 「でも・・・」 「年下は黙って、年上の言うことを聞いておけばいいんだよ」 揺らがない男の意思に、女は溜め息をついて折れたフリをする。 「・・・分かりました」 「よし」 「とでも言うと思ったか!」 「は、はぁ!?」 「一緒に帰りましょうよ! そしたら、二人共濡れなくて済みますし!」 「いや、でも・・・」 「家は、どっちの方面ですか?」 「・・・坂城町、だけど」 まさかの回答に、女は目を丸くした。 「えッ、本当ですか!? 私も坂城町住みです!」 「マジか」 「本当に運命を感じちゃいますね!」 「あ、あぁ・・・」 「じゃあ、行きますか」 「・・・そうだな」 二人は同時に公衆トイレから出る。 その瞬間――――互いの姿を見て、またもや同時に固まった。 「って、お兄ちゃんかーい!」                                                                 -END-
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