激怒のシーリアと笑うノドアメ

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激怒のシーリアと笑うノドアメ

 目が醒めるとそこは5年前に使用していた部屋だった。お腹を擦るも痛くない。服をまくり上げるも白いお腹にちょこんとへそが居座っているだけだ。昨日受けた衝撃は夢だったのか、まったく外傷がない。もしくは高位の治療魔法、治療薬が使われたかしたのだろう。  部屋の窓を開けると乾燥した涼しい風が私の銀の髪をなびかせる。なつかしい風だ。感慨深く感じているとドアにノックがかかった。  「おーい、生きてるかぁ?入るぞー?」  ガチャッ、ガココンッとぎこちない音が扉の古さを表していた。  無造作に開けられたトビラから現れたのは10代前半くらいの可愛らしい少女だった。さくらんぼのような赤い髪、その少女の内面を表すようなクセのある髪質。女の子としては少し短いくらいの髪の長さが、また勝気なところを表現しているようだった。太陽のようなオレンジ色の瞳と猫科を思わせる釣り目が年相応の無邪気さを表しているようだった。ライ麦畑の傍らで風に髪を抑えるしぐさとか超似合いそうな少女。そんな少女は私のより少し小さな修道服を身に纏い、左手で口元を覆い右手で肩に触れるように立っていた。それだけの特徴があれば5年という月日をモノとしない確かな確信を持てた。おそらくこの帰郷で一番合いたかった存在だ。       「ウィ、ウィリアム!?大きくなったね!」  歓喜のあまり立ち上がるとウィリアムに向けて抱き着いた。否。抱き着こうとした。  「うぐぉ」  「触んな汚物」  両手を広げて聖母のように包みこもうとする私に強烈な蹴りを放った。  幸いまだ小さい故力がそんなに入っていないのは唯一の救いだった。それにしても何故このような神の教えに背くような暴力的行為を行うのだろうか。もしかして反抗期であろうか。  最後にウィリアムを見た時はまだたぶん7歳くらいだったから今ではもう12歳のはず、反抗期には十分な年齢だ。なろほど理に適う。学校のせいでウィリアムの成長過程を見守ることが出来なかったことは本当に残念だ。ここにいるのはあの愛しの幼かったウィリアムではない。昔のように抱き着いてこないし、ほっぺにチュウもしてこないだろう。そう考えると涙がこぼれそうだ。しかしウィリアムも大人になろうとしている途中なのだ。子ども扱いされるのに抵抗があるのだろう。ここは私も腹をくくらないといけない。  さらば、チャイルドウィリアム。初めましてヤングウィリアム  「あっのさぁ、目ウルウルさせんじゃなくてぇ、まずは鏡で自分の姿見た方がいいよ。きったねぇからさ」  ウィリアムは呆れたようにそう付け加えた。身に覚えがない。どういうことだ?その答えを知るために部屋の鏡で自分の姿を確認すると。  真夜中に差し込む月の光のように透き通る銀色で背の上半を覆う長い髪(泥にまみれた)  白狼を連想させる凛々しい眉毛。何にも屈することはない強く光る青い瞳が寝起きのせいかダルそうに映る(泥と雑草で薄汚れた顔面)  清廉で見る者の穢れを払うような純白色の聖堂服(泥と放尿で黄茶色に変色した装飾)  粉雪のように真っ白な肌にすらりと伸びた指(泥団子づくりに興じた後のような手)  え、誰だろうこの物乞いは。新しく拾った戦争孤児だろうか。  まあそんなわけなく、正真正銘わたしだ。  「えっ?なんでこんな汚れてるの!?」  驚天動地。近所のちびっ子でもここまで汚れはしない。そもそも何故こんなことに?  驚愕する私を前にウィリアムは片手を広げてやれやれと溜息をつく。  「神父ノドアメが運んで来た時にはもうそんな姿だったよ。ま、久々の神父ノドアメの洗礼を受けたって感じかな。ご愁傷様」  いや、傷を癒すなら普通は汚れを落とすだろう。不衛生にさせて変な病気になったらどうするつもりだったんだ。てか確かあの時私は………!!  「あー言いたいことは分かるよ。それについてもあの人解答したよ。「神に仕える者として、また一紳士として、うら若き乙女の柔肌を見るわけにはいかない」らしいよぉー」  口調を真似て言うとケラケラと笑うウィリアム。まるでこの状況を楽しんでいるようだった。私も他人事だったおなじようにケラケラと笑っていただろうが、被害を受けたのは私自身だ。断じて許すわけにはいかない。  闘志に燃える私。それを見て考えていることを察したのかウィリアムは無駄だと言わんばかりに鼻で笑う。  「まあ、とりあえず汚れ落としてきな。まるで戦争孤児みたいだよ」  戦争孤児。自分で思う分にはなんとも思わないけど、最愛の妹。ウィリアムに言われたら心に来るものがある。軽く精神にダメージを受けつつも全く気にしてない素振りを示しつつ答える。  「あと超臭うし(くせーし)」  ウィリアムは両手で鼻を抑えて大笑いする。その様子を見た私の精神は言葉にできないくらいのダメージを受けた。なんとか絞り出すような声で返答する。  「そうするよ」  …もうダメかもしれない。  トボトボと落ち武者になった気分で井戸に向かう。まさか、5年間の勉強の果てにこんな仕打ちがあるとは思ってもみなかった。これなら軍人になるなり、豚貴族に嫁ぐなりした方がマシだったかな。いや、あの豚貴族はないな。  現実逃避気味に過去について思いをはせる。成長したかっこいい姿を見せて称賛と尊敬を一網打尽する目標が崩れ落ちた。私は何のために5年間も学校で勉強をしていたんだ。それもこれも全て神父ノドアメのせいだ。朝食のスープにヘドロを混ぜてやる!  …それにしても良い風が吹くなぁ。今年は豊作になるだろうな。  森の音楽隊がミィンミン、チュンチュンと鳴く森の中。気持ちいい。本当に気持ちいい。街には森なんてほとんどなかったから5年ぶりの森。しかも実家の森だ。昨日は神父糞眼鏡のせいで地獄の行進だったけど今は身軽。超身軽。 おそらく世界中の森の中で一番綺麗で気持ちいい森はここだろうな。騒々しい蝉の鳴き声も許せそうだな。…ちょっと贔屓目しすぎたかな。  そんなこんな思考の渦に浸っていると井戸に着いた。懐かしい。昔は魔法なんて使えなかったから毎日井戸に水を汲みに来たっけ。あーあ、私の魔力総量がもっと大きかったらなぁ。井戸の水を全く利用しないで済んだのに。  魔法のちからで生成する水は基本的に多くの不純物を含んでいるため、飲料水には向かない。飲料水用にするためには通常の数倍の魔力がかかるため非効率的なのだ。幸いなことに我らがマカロニ王国は水資源が豊富にあるため、水をいくらでも使える世界的に見ても希少な国家なのだ。  えいさこいさと水の入ったかごを引き上げる。ここの井戸は穴が深くて引き上げるのに苦労する。しかも孤児院を兼ねてる教会用なのでかごが馬鹿みたいに大きい。ちびっ子なら3人がかりで引っ張らなければならない代物なのだ。   あぁ、寝起きの労働はきついなあ。そんなことをぼんやりと考えてかごを引っ張っているとあっという間で、あと数mくらいのところまで来ていた。よし、もうひと踏ん張り!そう思って力を振り絞ると突然 背中に冷水がかかった。否。かけられた。  「ひゃっ!」  驚いてパッと手を離したのが運の尽き。ポッチャンっ!と音を立てて井戸の彼方に消えていくかご。あわあわとしていると後ろから軽薄さがにじみ出たゴミみたいな声がした。  「おやおやそこで何をしているのですか?シスターシーリア」  沸々と湧き上がる怒りを抑えて振り返る。そこには細い目を更に細めてニヤニヤと笑う痩身の男、神父ノドアメが立っていた。  一度ならざる二度目までも、私に恥をかかせたノドアメ。途端に頭が熱くなった。あ、完全に頭きた。  しかし私の頭はどこか冷静な部分があったのだろう。すぐさま武力行使はせずに昂然とした口調で言葉を返す。  「見て分かりませんかね?この泥を落としに来たんですよ。気が付いたらこんな泥だらけでね。はぁ、なんでなのでしょうね」  軽く皮肉を込めて返すと神父ノドアメはキョトンとした表情を浮かべて言った。  「いやいや、そんなのあなたが弱いのがいけないんでしょう。先に攻撃した来てきたのもあなたですし、あなた自身のせいではありませんか?女神アデスもおっしゃいました。喧嘩をしたくなければそもそも喧嘩を売るなとね」  「そうですかね。先に喧嘩を売ったのは神父ノドアメだと思いますが。女神アデスはおっしゃった。私の言葉を自分の都合の良いように使う者には聖堂騎士団を使わすと。あれれ、私も焼き討ちですか?」  「喧嘩を売る?何を言っているのですか、あんな悪戯に気づかないあなたが馬鹿だっただけでしょうあんなの以前のあなたなら簡単に気づけていましたよ。歳だけ上がって能力が落ちるとはどんな怠慢ですか。女神アデスはおっしゃった。怠慢とは、私が最も嫌悪する行為だ。怠慢な者には聖堂騎士団を使わせようと。あらら、私も張り付けですか?」  ああ言えばこう言う。しかも私の言葉に対応する引用で返してくる。馬鹿らしい。本当に馬鹿らしい。頭に上った血がいくらか下に降りてきたみたいだ。落ち着いてきた。よし戦略的撤退。無視しよう。  「……」  神父ノドアメは無視されたことに気づいたのか。一瞬沈黙する。  この時わたしは5年ぶりに後悔することになった。5年という時間は短いようで長い。考えてもみれば17年間の人生の約三分の一だ。故に甘く見ていた。そして忘れてしまっていた。神父ノドアメが最も激怒する行為について。  「……」  嫌な空気になった。どんよりとした嫌な空気だ。覚えがある空気だ。僅かな沈黙後ノドアメは口を開く。嫌な嫌なを口から放出するが如く言葉をはく。  「そうそう、私の大事な義足を壊してくれましたねぇ。あの義足お気に入りだったのに、どうしてくれるんですか」  なんも変哲もないトーン。が、それ故に恐怖(デジャブ)が起こる。  バサッと鳥が羽ばたいた。一羽だけじゃない。バサッバサッバサッバサッバサと何重にも羽音が続いた。  彼らもなんらかの異変を感じ取ったのだろう。否。知っているのだろう。覚えているのだろう。完全にアノ雰囲気だ。5年前幾度か感じたアノ雰囲気だ。   予定変更。全力で話しをそらそう。  「神父ノドアメ義足だったんですね。知りませんでした意外です。私がいない間に足もげたんですか?」  「いやぁ、大昔ちょっとやってしまいましてね。非売品なのに食い逃げされてしまいました」  「へぇ、あなたから足を食い逃げねぇ。ドラゴンか何かですか?」  「そうですね、ドラゴン、うん、ドラゴン…ドラゴンですね。あの野郎に足を持っていかれてから私は義足をつけているんですよ」  よし!話しをそらせた。この調子だ。  「へぇ、冒険者でも昔やってたんですか?」  「そうですねぇ。冒険者を少々ね。それで右足を食われましてネェ。それで一番のお気に入りだった義足をあなたに壊されてしまいましてネェ。どうしてくれるんデスカ」  グニャッとノドアメの顔は黒く歪んだ。  やばい。黒いモヤが出てきた。失敗だ。くそ、アレが来てる。  この時の私は軽いパニックに襲われていた。冷静に物事を判断できる女と呼ばれた私の脳もこの時ばかりはエラーを起こした。  「へ、へぇ、どのくらい冒険者やってたんですか?」  もう間に合わないと直感。否。気づきながらも無意味な言葉は出てくる。女神アデスはおっしゃった。人とは愚かなもので、絶命することが分かっていても足掻き、藻掻くものだと。まさにそれだ。  少しずつ、少しずつ変質するカレは喉からではないどこからか発声する。  「15年くらいデスカネェ。その15年で最愛の右足を失いマシテネェ。その上一番お気に入りだったギソクをあなたに壊されマシテネェ。どうしてクレルンデスカ」  半分以上が黒になった彼はなおも会話は途切れない。それが恐ろしいモノへと変質しつつもどこか人間らしさを残しているように思えた。もしくは思いたかった。  黒いモヤが増える。アレが来る。アレが来てしまう。  「あはは、今何歳ですか神父ノドアメ」  乾いた笑いが出る。半分諦めている。もしくは覚悟を決める合図だった。  「サァ特に数えてないのでワカリマセンネェ。数えキレナイ時間共にした右足を失った悲シミを埋める最愛で最高のギソクをアナタにコワサレテシマイマシテネェ。‥‥‥ドウシテクレルンデスカ?」  強く強く握りしめる女神の印。ふとチュンチュンと弱々しく鳴く声が聞こえた。器用に片目だけ動かして見ると、一羽。羽を痛めているのか上手く飛べてないスズメが怯えている。  あぁ、かわいそうに。  現実逃避からか普段なら抱かない感情が湧き出る。もしかして今いい奴を演じれば英雄(ヒーロー)がやってきてこの絶対絶望の状況を救ってくれるのでは?と考えたのか。自分事でありながら定かではない。そんな風に他人事のようにぼんやり思っていると、今度は紛れもない黒い点が現れる。  あぁ、もう完全に来てしまった。  ウジャウジャと蛆のように黒い点が湧いてくる。黒いモヤが周囲を囲んだその瞬間、目に見える世界が異物に変質する。  あえて表現するのなら「モウニゲラレナイ」  良からぬ何かと形容すべきナニカかが集まっていた。  それは クロククロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロ ナニカ。  暗暗としたナニカが跳梁跋扈する。  いつの間にかクロイ点は目ん玉になってグルリグルリグルリグルリと私を見つめる。  地面から、小石の後ろから、蟻の目から、口から、触覚から、足から、腕から体から、草の間から、井戸の隙間から、井戸の中から、木陰から、木の根っこから、木の枝から、木の葉から、木の穴から、蝉の足カラ、蝉の体カラ、蝉の体内カラ、蝉の目カラ、スズメの目カラ、足カラ、体カラ、クチバシカラ、雲カラ、太陽カラ、月カラ、星カラ、そらカラ、神父ノ頭カラ、髪カラ、左目カラ、右目カラ、鼻カラ、ミギノハナノアナカラ、ヒダリノハナノアナカラ、クチカラ、ハカラ、ヒダリノミミカラ、ミギノミミカラ、クビカラ、ミギカタカラ、ヒダリカタカラ、ミギウデカラ、ヒダリウデカラ、ハラカラ、コシカ  歌うように嗤うように踊るように大小様々なソレは明確な悪意を持って私に近づく。  無数のソレが私の顔に集まった。ジロジロと舐め回すようにその血走った赤い目で私を覗く。目をつむることは許されない。目をそらすことも許されない。目をえぐり取ることも許されない。心臓が跳ねるように鼓動する。消える寸前の火のようなものだ。最後に消えまいとあがくその姿。世界の法則を捻じ曲げようと試みる哀れな存在。私の心臓はまさにそれと同じように思われた。その場で舌を噛み切って死んでしまいたくなる。この世の全ての苦しみと全ての絶望を同時に味わうような感覚。生きているのに殺される感覚。いずれも異なるが類似する感覚。訳が分からなくなってくる。私は誰で、私とはなんだ。自然と自問自答を繰り替えす。永遠と思われる地獄の時間を味わう。永久を費やしても答えが出ない問を一生かけて解けと言われているような感覚。あれ、私は今何を考えて、何をしているんだっけ。なんだっけ、ナンだっけ!ナンダァッケェ!!あ、優しい。優しい クロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイクロイ クロイクロイクロイ  ……が、しかし言ってしまえば所詮はそれだけだ。  ピキッ  永遠に閉じ込められた世界。はぁ、久しぶりに喰らったけど最悪の気分。人格破綻者の気分を味わった気分。これなら泥にまみれて一日過ごした方が遥かにマシだな。はぁ、  ピキピキッ  生きているんだか死んでいるんだか何が何だかわからない感覚、全く持って気持ち悪い。これなら嫌いなグリンピースを茶碗一杯食べたほうがマシだなぁ。いや、微妙だな。はぁ、  ピキピキピキッ  あーうっとしい  生命を感じさせない無機質な瞳に向けて強く強く握りしめた拳で黒い世界を破り開けた。言葉に形容すればただそれだけのこと。  ガシャン!窓ガラスをたたき割るのと似た感覚。音を立てて崩れ落ちる世界のなか笑い声が響いた。  その声はどこか軽薄ではあったがいくらかの優しさが含まれているように感じた。  「おかえり。なんだ成長してるんだね」  「ただいま、当たり前です。5年もたって成長しない人なんていないですよ。1人例外を除いて」  「そうですね、最初にやった時は死んだんじゃないかって思うほど顔面蒼白にさせていましたよね、それで一言も発さずにただただワタシタチの目を見て泣きながら睨んできましたね。昔は睨むことしかできなかったのに、大きく成長しました」  完全に流した。これ自分がやられたらブチ切れる癖に。なんて自分勝手なんだ。  「そりゃどうも。それで、まさか私の成長を確認するためだけにこんな大がかりな魔法を使ったんです?」  「否定はしない」  「いや、否定してくださいよ。たかがこんなことで私の可憐で小さな心臓を揺らさないでください」  「たかがとはなんだ、たかがとは!成長するために学校に行って、逆に退化して帰って来たなんて例が一体いくつあると思ってるんだ」  「はぁ」  なんで逆切れ。頭おかしいんじゃないかな。  「その証拠に未だに虐殺癖も治っていないみたいじゃないか。え?ミスサイコパス?」  「いや、なんですかそれ。まるで連続殺人鬼みたいな風に言わないでくださいよ」  「何言ってるんだ。対象が違うだけで大量殺害しているだろ?例えば蝉とかな。彼らは地中という暗くて寒い暗黒世界からの脱却をかけて数年の時間成長することを勤勉に行っている素晴らしい生命体だ。そんな彼らの努力を嘲笑うように無意味な虐殺するなんて悪魔といって過言ではない。その癖がなくなっておらず歳だけを重ねるなんて成長ではなく、退化だろう。」  なんだ。こんなに喋る人だったか?  「いやいや、蝉ですよ?人じゃないんですよ。人に騒音という害をもたらす害虫ですよ?そもそも私は煩くしないなら殺害なんてしないですよ。意味ならそれですよ、私が蝉の騒音によって溜まったストレスのせいで非行に走ったらそれこそ退化ですよ。その退化を消滅させるために私は彼らに幾何かの沈黙を要求しているだけですよ。私だって司教共みたいな頭でっかちじゃない。存在否定をしていない。声量をいくらか抑えてくれたら死を要求という行き過ぎた行動を起こさないです」  「ふむ。つまり理由があれば主観的判断の基殺害を行ってもいいと?それこそ司教の頭でっかち的発想。言い換えればアデス教的発想ですね。」  「それの何が悪いんですか?アデス教的発想。つまりアデス教の信者たる私たち聖職者にとっての素質でもあるんじゃないですか?」  「あなたは気づいているはずだ、その論拠は言い訳に過ぎないと。私を言い負かしたい。私に対する攻撃性から思ってもいないことを言っているに過ぎないと。あなたは5年前に主張していましたよね?現アデス教はおかしいと。他の広域宗教。いわゆる3大宗教の中でも異端だと。その間違いを正したい。そのために宗教から逃げるのではなく、立ち向かうのだと。故に自分自身も聖職者となってその間違いを改革するのだと。違いますか?」  「……」  「沈黙は肯定を意味する。つまりあなたはこの5年間で増長した。いや、違いますね。あなたは変化することを成長だと勘違いしている。変化することが正しいと信じている。しかしどこかでそれは違うと理解もしている。その狭間に揺れている。そうではありませんか?」  「……」  「昔から変わっていませんねぇ。自身の間違いを認めたがらない姿勢。それゆえの沈黙。それゆえの眼線。それゆえの頬張り。それゆえの握りこぶし。あなたはどこか自身の矛盾に気づいている。そのことを再び考えなさい。変化することが成長なのではない。変化しないことが成長なのでもない。その意味を深く深く自問自答しなさい。そしてその考えを他人にぶつけなさい。それこそが成長の唯一の道標だ。シーリア、あなたは本当の意味で成長したいですか?あなたは本当の意味で自分の考えを実現させたいですか?今度は沈黙は存在しないよ。しっかりと声にして意思表示をするんだ」  「…はい」  「うん。よろしい。間違いを認めることが出来る姿勢は素晴らしい。シーリアは、退化した点をあるが全体的には成長したみたいだな。うん、偉い偉い!これなら安心して『教育者』を任せることが出来る。」  「はい…えっ」  「うん。よろしいよろしい!決まりだ。よろしく頼むよシーリア=アデス。ミズアメ村3代目教育者殿?」  「え、いやいやいやいや!えっ!?もしかして嵌めました!??なんかそれっぽいこと言って私の心に隙を作っておいて面倒ごと押し付けようとしてますよね!???」  『教育者』とは、アデス教の教えから外れる「悪子」を生み出さないようにするための役割。子どもにアデス教の素晴らしさと道徳を説く存在。大体、鬼のような凶悪面の大男がその役割を担う。異端者を出した場合絶対に処刑される存在。少なくとも新人シスターに担わせるような役目ではない。ちなみに私が小さい頃の『教育者』な神父ノドアメ。超怖かった。  「いやいやそんなことはない。まさか君は私が任を降りるためにあれやこれやと言葉巧みに追い込んだと主張するのか?まっさかまさかそんな狂言を言われるとはやはり君はー」  「ジャァカシィ!おかしいと思ってたんだ。神父ノドアメはこんな風にめんどくさい説教を垂れるやつじゃないって!そもそも放任主義者だっただろ!一回もノドアメに蝉のことでキレられたこともないし!それに蝉殺したのだって村の入り口だぞ!村長宅にいたお前が気づくわけがない!カマかけやがったな?」  抑えられていた感情が火山のように噴火するがごとくだった。神父ノドアメは友人を歓迎するように両手を広げて笑った。  「半分せい解。うーん、洞察力は成長しているかもねたぶん。しかしシーリアはもう承諾をしてしまった。詐欺だと思うかい?しかし私はなにも間違ったことは一つとして言っていない。君は一度行ったことを曲げる人間じゃない。これくらいは知っているよ」  ニヤニヤと笑いその場でターンをし始めた。  う、うぜぇ。しかし確かにノドアメの言うとおりだ。私は言ったことを曲げることはしない。否。してはいけないことだと考えている。しかしそんなこと表立って何度も主張したりはしていないはずだ。もしかして、意外と見てるのか?  「うん?何を驚いているんだ。『教育者』なんて聖職者なら誰しもが通る道だろう。シーリアには1週間後から『教育者』になってもらうからそのつもりで準備してくれよ」  「いや、1週間は無茶ですよ。それはさっきの話に入っていない」  「女神アデスはおっしゃった。無茶とは時折怠慢な者が惰性に使う言葉だ。そんな怠惰な者には」  「聖堂騎士を派遣する…ですか?」  「正解。流石はシーリア、勉強熱心だこと」  「私新米ですよ?新米に担わせる役目ではないはずです」  「何言ってるんだい。初めてのことに挑戦する時は誰しもが新米なんだよ。シーリア、遅いか早いなら早い方がお得じゃないかな」  ノドアメは優しそうな笑顔を浮かべているが決して譲歩することはない様子だ。頑固なノドアメが一度口にしたことはよほどのことがない限り撤回することはない。つまりー  「……やるしかないってことですね1週間で」  諦めたようにそう言うと神父ノドアメは一転。ニヤニヤと笑いながら両手を広げた。これは「その通りだ」と言いたいのだろう。私は溜息を一つ付くと答える。わかりました、教育者の役目を全うします、と。  出来る事なら、否やるからには成功をさせないといけない。責任を負うということはそういうことだ。だからあんまり口数を多くしないように工夫していたのに。クソ。しかし何故だろう。どこかワクワクする気持ちがないわけだはない。それに先ほどのノドアメの言葉も気になる。いくつかの点に於いて正確に核心を貫いたとされる発言を脳にとどめておく。私が迷わないように。 *********************************** スタスタスタっと部屋に帰っていくシーリアを見送ると彼はその辺をぶらりと歩いた。  「……」  スズメだったものを発見した。彼はブツブツと唱えるとソレは火炎に包まれた。蟻だったものを発見した。火炎に包まれた。蝉だったものを発見した。火炎に包まれた。あっという間に灰になり土と同化したのを確認すると、興味が失せたように空を見上げる。  太陽がサンサンと眩しい光を放っているのを強く睨むようにのぞき込む。瞬間、強烈な煌めきが彼を襲った。眼鏡は溶け落ちる。それでも我を張るように睨み続けていた。光熱は赤い眼球を燃やし続ける。常人なら発狂している苦痛を味わいながらも未だ視線を下げずに強く強く覗きこんだ。すると諦めたのか異常な煌めきはどこかに去っていった。ステップを踏む感じで軽い様子で。  「イヤラシイ奴だ。ずっと見ていたな」  彼は損傷した眼球に鋼鉄の右手を当てた。手を離すころには眼球にはなんの異常も残っていなかった。  「人の子に興味を持ちやがって。近いうちに来るなこりゃ。俺の右手を取った挙句俺の子まで取ろうとは業腹だな。クソビッチめ」  苦々しく呪詛を吐き捨てる。そして思考する。  シーリアは間に合うかどうか。いや、間に合わせなければならない。あの子は賢い子だ。あの子は私の予想を上回ってくれる。心配はいらなー  プンッと異臭が匂った。  トボトボが似合いそうな足取りでシーリアが歩いてくる。その顔は見るからに落ち込んでいる、まるで結婚記念日をメルアに忘れられたトルクのような表情だ。どうしたのだろう。そう思考するもシーリアの頬を見ればすぐに答えが分かった。クスっと笑いながら答え合わせと言わんばかりに声をかける。  「どうしたの」  「いや、」  シーリアは赤くなった頬に手を当てて小さくなる。どこかしょんぼりしている様子で言葉を繋ぐ。  「…体の汚れを洗い忘れた状態でウィリアムに抱き着いちゃって……」  そう言うと頬から手を離した。頬にはずっしりと足の裏で蹴られた跡が付いていた。  笑いながらノドアメは思った。これは猛烈に詰めないと間に合わないなと。        
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