夏、恋い、セカイ。

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夏、恋い、セカイ。

   夏が来るたび、思い出すのはキレイな恋。肉欲とか、打算とかまぁ稚拙なりに在ったけれど、でもただ喋るだけだって充たされた、そんな感じの、恋────きみと。 「やべ、死ぬっ! 焼け死ぬ! この坂無いべ! あああーっ」 「うっさい!」  交通法違反の二人乗り自転車を咎める人はいない。僕らの通う高校は山みたいな高台に聳え、この坂を乗り越えねば辿り着けないと言う状態にあった。夏にはまるで苦行だ。少し平らな辺りに出て本気で思う。  それも三年目。夏のこの坂地獄も半年もすればさよならだ。 「……あと半年だね」 「んー? あー、卒業な。そだなー」  しみじみの彼女にさっぱりあっさりな僕。案の定と言うか、彼女は唇を尖らせた。 「冷たくない? あと半年だよ────きゃっ」  その仕草があまりに可愛かったのでついキスしてしまった。僕と彼女の付き合いは中学二年から。友達の延長線で恋人になり、高校はいっしょに受験で、日常と化した交際は恥じらいなんか端から無くて。勿論キス以上のことだってしたけど、まだキスは照れ臭い。  だけどたまに、ごくたまに、普段は減らず口ばかりの彼女が可愛いところを見せたりする。こうなると僕は堪らなくなって、こんな暴挙に出てしまう。彼女の機嫌を損ねると知っていても。  仕方ないじゃないか。  好きなんだ。  たとえいきなり部屋に来て寝ている間に隠してた秘蔵DVDを捨てられたりしても。僕が悪い。惰眠を貪って寝呆けて曖昧に返事した。しかも彼女には無い、巨乳セレクトで。……コンプレックスって知ってたんだ……ごめん。  ずっと続くって、信じていた。浅はかに、単純に、僕は将来を描いていた。不況だから普通にサラリーマンになって、そこそこ稼いで、マイホームは無くても楽しい我が家を作る。  そこには、当然彼女がいる。  信じていた。信じ切っていた。  僕は、単純だから。  夏祭りだって。笑って彼女が言った。 「良いじゃーん。夏休みですよ浴衣希望!」 「えー? 着て来るの?」 「ばっか、僕じゃありませんあなた様でございます」  指を差す彼女にお道化て言う。彼女は更に声を高くして笑い出した。子供みたいに。 「マジで? えー、面倒ぅ」 「何をぅ? 楽しみ取るなよー。色っぽい姿見せてーっ」 「きゃっ! もぉーうっ」  飛び着いて抱き締めた。陽射しが入り込む廊下。きらきらとすべてが反射して輝いて、強い光は漂白するように、今を、真っ白に染め上げるように。焼き付けるように。  しあわせな、二人。  ずっと続くと信じていた。  五年間、そりゃいろいろ在ったけど、喧嘩だってしたけど、仲直り出来ない日々に怯えたことだって在ったけど。  謝って安堵してそれでも────お別れなんて想像したこと無かった。  想像、してなかったんだよ。  浅はかで、単純で、愚かで、幼い────精一杯の恋。 「凄い人だねー」 「毎年毎年皆さん飽きませんねー!」 「何自棄になって叫んでるの。私たちだって言えないって」 「ですよねーっ」  出店、提灯、石畳。夜を赤々と、とは行かないけど照らす世界は浮き足立って仕方ない。  しかも隣には。 「な、何よ」 「いぃえぇ。うれしいなって」 「な、何が」 「……浴衣、可愛いよ、うれしい。希望通り!」  頬を染めて不機嫌そうな表情へ躍る胸を偽らず顔に出す。うれしくてしようがない。  紺地に赤い金魚。一つお団子に纏めた髪へ挿した簪と同じ。  よく似合っていた。 「はっはっはっ。脱がすの楽しみ!」 「ばかっ」  さすがに面映ゆくなって冗談に変換する。彼女にど突かれた。……うん、効きました。  林檎飴を買って、烏賊焼き買って、友達に冷やかされてじゃれて分かれて、かき氷を食べた。  気が付けば夜更けて地響きを伴った音がする。  始まった。  花火だ。 「……わぁ……キレイだね」 「ああ」 「やっぱ良いね、花火」 「夏の風物詩ですから」 「良いね。……また観たいな」 「来年も来るでしょ」 「……」  おや、と気付く。常なら、テンポ良く返る応えが無い。  途切れた、心地良いレスポンス。不穏が、初めて差し込まれる。 「なぁ、どうしたんだよ……」 「……ないよ」 「え……?」 「─────『ずっと』は、無いの……」  小さく、だのにきっぱりとした声は僕の耳朶に辛うじて引っ掛かった。────何で?  急に、どうしたんだよ。  急に不安になった。杞憂であってほしくて彼女の手を引っ張った。彼女は成すがままで、僕はそのまま掻き抱いた。力一杯。 「……痛いよ。花火終わっちゃう」 「……ごめん」  抗議はされたが抵抗は無い。僕の胸に顔を埋めた彼女は花火が観られないだろう。僕は放せなかった。怖くなったんだ。  彼女はここにいる。確かに、腕の中に、いる。  彼女を収めたまま、見上げた最後の花火はひどく鮮明で─────かなしくなった。  このときから、在った予感なんだよね。きみはわかっていたんだよね?  僕ときみは、“永遠じゃない”って。  これで終わった夏祭り。だけども僕ときみは変わらず会い、遊び、二人で宿題を片付け、ふざけ、はしゃぎ、恋をしていた。  恋をしていた。  二人に積もった五年間と、何らこの毎日は変わらなかったのに。  二学期が始まる直前。きみが来た。特におかしなことじゃなかった。家の行き来は僕ときみには何の特殊性も無かったんだ。当たり前のことで。  だから、きみを見た瞬間の胸騒ぎが異質過ぎて気持ち悪かった。 「どうしたん? ……あー、良いや。まぁ入れよ」 「ううん、ここで良い」 「何だよ。急ぎの用なんか? だったらメールとか電話でも、」 「私、二学期いない。学校辞めるんだ」  時が止まった。遮られた言葉並に行き場を亡くしたのは、僕の体内時計だった。いや、意識感覚かな。細胞はこの刹那だって死んで生まれていたに違いない。  死んだこと無いけれど、“息の根を止める”ってこんな風なのかな。他愛ないことを考えなければ、本意で死んでしまいそうだった。  その間も、彼女は僕の回復を待ってくれなかった。 「お父さんがね、仕事、失敗したの。知ってるでしょ? ウチ、小さな工場なの」  彼女の家は町に古くから在る鉄工所だった。不況の煽りを受けて経営不振。小さな町らしく、噂は僕の耳にも届いていて、けれど僕は信じていなかった。  持ち直すよ、と笑っていたはずだった。そのはずだった。  それが、それなのに。 「でもね、ウチの技術を買いたいって会社が在るんだって。大きな会社で、お父さんごと欲しいって。工員のみんなも連れて行くから首にならなくて済むんだって。選択は任せるそうだけど」  淡々と紡がれる彼女の家の現状。僕の意識感覚は未だ、戻らない。 「私も、付いて行く」 「……どこへ……?」  どうにか、それだけ言えた。目線を落として語っていた彼女が、顔を上げる。 「タイ」  僕の知らない地名だった。少なくとも僕は知らない。  知っているのは、国名の、だけで。 「“タイ”って……あの国じゃないよね?」 「他に私は知らないけど」 「冗談だろ……?」  掠れた低音。自分はこんなに低かったろうか。違う気がする。酷い、声だもの。やっと絞って出た、声だもの。絶対、僕はもっと別の声だった。  陽射しは僕を灼く。喉が痛い。渇いて罅割れている。汗はだらだら出て流れているのに。その分喉へ回る水分が無いのだろうか。そのくせ寒い。ゆえの声だったのかな。けどさ、ゆるしてよ。  この不協和音に、僕は有りっ丈の祈りをぶち込んだんだから。  冗談、であってほしい。  冗談だって言ってよ。  冗談だって笑ってよ。  そうしてくれたら、僕も笑うから。 「……お父さんがね、残って良いんだよって言ったんだ。叔母さん、ここから一駅の場所に住んでるんだ。そこにご厄介になれば良いよって」 「……だったら!」 「お母さん、疲れてるの」 「……っ」 「お母さん、ずっとお父さん支えてた。今度は、私の番だから」 「……」  迷いの無い潔い瞳だった。僕は焦って困って、空回って黙った。  引き止める、理由なら在るのに。  だけれどこの理由はあまりに拙くて。彼女の決意が翻ることは無いのは一目瞭然だった。  黙るしか、もう僕には残ってなかった。 「だから、お別れしに来たの」 「……嫌だっ……!」  噤んだ口が一転、競り上がる想いを迸る。嫌だ、何で……! 「べ、別に、良いじゃないか! 別れる必要なんか無いよ!」  近所迷惑なんか知らない。僕は叫んだ。今叫ばなければ、終わってしまう。  そんなのは、ごめんだ。 「駄目だよ……。お別れしよう」 「何で? 距離を気にしてるの?」  国境を越えるから? そんなもんが何だよ。  そんなもんが、何だって言うんだよ! 「僕は平気だよ? 飛行機が在る。会う手段なら幾らだって在るじゃないか! そ、そりゃあさ、今みたいにしょっちゅうは無理だけど、」 「そう言うことじゃないの」  言い募る僕に、かなしげな眼差しを彼女がくれる。嫌だ。嫌だよ……。 「……あのね、世界はね、自分の目が見える範囲で、自分の手が届く範囲しか知覚出来ないんだって」  彼女は言う。もっともだと考える。そうだと理解出来る。  何より知っている。自分が読んだ本の受け売りで、自分が彼女に教えたのだ。  彼女がここで流した目線を僕に向ける。悪戯っぽく笑って。いつもみたいに。  これまでの五年間みたいに。 「覚えてる? 前に教えくれたんだよ?」 「うん。僕がね」 「うん。そう─────でね、だとしたら、やっぱり別れたほうが良いよ」 「っ何で!?」 「私は、あなたの世界からいなくなるから。私たち、もう同じ世界を見ることは出来なくなるから」 「そんなのっ……」 「あとね、もしね、あなたの世界にあなたと同じ世界を見る人が現れたら……私はその邪魔をしたくないの」  信じられない科白だった。信じられない。 「何言ってんの? 浮気するの心配してるの? 無いよ、有り得ないよ!」  目移りなんかする訳無いのに。疑っているのだろうか。腹が立つ。だとしても、今はそれどころじゃない。  否定しなきゃ。「きみしかいない」と、言わなくちゃ。  けども彼女が僕の思いを切り捨てる。甘い考えをデリートしてしまう。 「それが嫌なの」 「え?」 「あなたを縛りたくない。何より私が嫌なの。いつか、あなたはあなたの世界に来る誰かを愛するよ。愛したら、私への好きなんて消えちゃうから。次にはきっと私を邪魔だと、要らないと思うから。嫌なの。私が、そう扱われるの耐えられないし……希望を持ちたくないの。期待したら、こうなったとき裏切られたとかあなたを恨む。そんなの嫌なの。だから……」  キレイなままで。  私を、すきなあなたのままで。  私がすきなあなたのままで。  ごめんね自信が無いよ。  ごめんね。  さようなら。  僕は学生で。あと半年で大学生で、社会人にもなれて、あと一年半すれば成人する。  間に合わないよ。彼女は行ってしまうのに。  まだ高校生の僕たちには新幹線すら遠い旅行だ。飛行機を乗るなんて、殊更未知だ。  こんな小さな町で育ったんだもの。小さな世界しか知らないんだもの。  狭い世界しか感じられないんだもの。  離れたら、ましてや海を跨いでしまったら、別世界みたいにしか考えられないに決まってる。  異世界の住人になってしまった相手を、想える覚悟なんか恐怖に負けてしまうよ。  僕たちは泣いた。泣きながら別れて、多分お互いにそれぞれ泣いたのだ。  二学期。彼女はいなかった。あれは夢ではなかった。現実だったのだと思い知る。  教室は騒いだが誰も僕に訊きに来なかった。あの日から僕はまともに食事を取れず、まともに眠れなかったせいでかなり窶れていたから。有様を見て皆が遠慮したのだろう。話題すら、湧かなくなった。  その内、受験は激化して。卒業まで加速した。あっと言う間に高校生活は終わり、僕も急な進路変更で一浪したものの無事進学し、成人し、二十三の年、晴れて社会人となった。  今日は空港に来ていた。これから、海外赴任で出立する。  タイへ。  搭乗時間を待つ僕の手にはチケットと手紙。一浪を経た大学を修了して、三年、二十六になる年に届いた。  彼女の、手紙だった。  タイの生活が楽しいことなど何気ない内容が綴られていた。僕の近況を尋ねてもいた。  正直、最初は戸惑った。返事も書けない内に仕舞い込み、正視さえ避けていたくらいだった。  彼女を忘れたことは無い。文系だった僕は三年の二学期に理系へ進路を変更し担任や学年主任とバトルを繰り広げた挙げ句浪人したのだ。この所業だって彼女が忘れられなかったからだ。  白状すると、大学在学中は恋人が二人いた。だけれども。 「……」  二十八になる僕は、一端のエンジニアになっていた。笑ってしまう。文系が一から理系を学んだのだ。一心に。  彼女が、忘れられなくて。  アナウンスが流れた。僕は飛行機へ向かう。手紙の中身を反芻しながら。 “すきなひとは、できましたか? 私は、良い出会いがなかなか有りません。結構格好良い人がいるんだけど、何て言うか日本人がやはり良いようです。いい加減、順応性低過ぎ。付いて来てくれた工員は家族みたいなものだからそんな気にならないし。そちらはどうですか? 先に結婚していたらショックだな。置いてけぼりを、食らった気分”  手紙から二年経ちました。 「“そちらはどうですか?”」  僕は、きみがわすれられません。なので、会いに行きます。  再び、きみの世界へ行きたいです。僕の世界にきみを収めたいです。  二年の合間、きみの世界は誰か住んでしまったでしょうか? もし、誰もいないなら。  僕を受け入れてください。そうして。  僕と同じ世界を、いっしょに。     【Fin】
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