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1.帰還者の後日談
声が聞こえた。
薄暗い空間で、どこからともなく透き通るような声が、孤独に漂う僕の耳に入ってきた。自分と相手の所在は不確かで、その声の主もわからないのに、僕はその声に何故か安心していた。
その声を僕は頼りにしようとした。でも、浮かんでいるだけの僕は、いくらもがいても全然移動出来なかった。いや、真っ暗だから移動している感覚がないだけかもしれない。でも、耳に薄っすらと入ってくるその声は、近づくことも遠ざかることもない。
疲れ果てた僕は、やがてジタバタするのをやめた。正直、この暗闇に浮かんでいてもさして感覚は変わらないし、この方がずっと楽だった。
ところが力を抜いてみると、その声が頭上から近づいてくる感覚がした。そこへ意識を向けてみると、小さな光の点が見えた。最初は星のように小さかった光は、真っ暗な世界を眩しいくらいの白で塗り潰していく。白に染まる世界の中、僕はその声に向けて手を伸ばしていた。
気づくと、何かが僕の視界を遮っていた。ぼやけていてよく見えないが、微妙に動いている気がする。視界をハッキリさせるため、僕は目を擦ってから、もう一度目を強く見開いた。
そこには、凛々しい顔付きをした美しい少女がいた。少し不安げな瞳で僕のことを見下ろしている。あれ、どうしてこんな状況になっているんだろう? まったく訳が分からず、僕は首だけ倒して辺りを見回した。
見覚えのある本棚、勉強机、小さいテレビ、そして衣紋掛けにかけられた新しい制服。……なるほど、ここは僕の部屋だ。
安心した、どうやら変なところで眠り込んでしまったわけではないらしい。しかし、そうなると、どうして僕の部屋に女の子がいたのだろうか?
「……」
「……起きたか? 陸哉」
「うおぉっ!」
ビックリして思わず飛び退いた瞬間、僕の後頭部に鈍痛が走り、僕は、後頭部を抑えながらベッドに沈むように頭を埋めた。
「だ、大丈夫か、陸哉」
「思いっきり打ってしまった……」
どうやらベッドの頭に思いっきりぶつけてしまったようだ。杭をドスンと打ち込まれたような痛みに呻きながら、僕は頭をなんとかして持ち上げた。
よく見れば、僕を見つめていたのは、この家で一緒に暮らしている少女、アレイナだった。
僕が苦しむ姿に狼狽してか、彼女は小麦色のポニーテールを揺らしながらオロオロと部屋の中で右往左往していた。
「ああ、どうしよう。すまない、私が驚かせてしまったか。こういう時、ここではどうすれば……」
「アレイナ落ち着いて。僕大丈夫だから、冷静に、ね?」
「と、とりあえず治療だ、何か役立つもの……と、わぁっ!」
すると、何かに蹴躓いたアレイナが、倒れ込んできた。
僕は、驚きの声をあげる暇もなく。
「あぶっ!」
彼女の真っ向からの手刀を頭に食らい、再び意識を失った。
朝食の時間、アレイナは僕に何度も謝罪した。
「本当にすまない。家主殿に言われて君を起こしに来たのだが、何度声をかけても起きないから心配になって……」
「いやぁ、僕もちゃんと部屋を片付けてなかったのが悪かったんだよ。ほら、ご飯冷めちゃうから、謝る前に食べちゃいなよ」
僕は笑って答えつつ、アレイナに食事を促した。罪悪感を軽減しようとしたつもりだったけど、至って真面目な彼女は食卓に両手を付いて、長い髪を垂らしながら何度も頭を下げた。
「くっ、これではまるで、私が陸哉の寝首を掻きに行ったみたいではないか……」
「その言い方だと本当に悪意あるみたいになるからやめようか」
拳を握り締めて悔やむアレイナを僕が落ち着かせようとしていると、後ろから家主が食事を運んできた。
一見優しそうに見えて悪意しか感じられない笑顔で、
「じゃあ、アタシが喜んでアンタの寝首を掻いてあげようかな。朝からイチャつかれてイライラしてたし、丁度良いわぁ」
「ひとっ走りしてくるみたいな感覚で僕の首を狙うな!」
「冗談に決まってるでしょ。ほら、今持ってきた味噌汁には混ぜてないし」
「風里姉ぇ。今聞き捨てならないカミングアウトが聞こえた気がしたんだけど、それ以外には何か混ぜてるのかよ!」
僕の訴えは、なんとも言えない微笑みで流されてしまった。流石に冗談だとは思うけど、なんだか背筋に寒気が走ってしょうがない。
昔からこの人は怒らせると怖いけど、ここ最近は特に機嫌が悪い。僕がアレイナをこの家に連れて来て以来、僕に対してやたら意地悪なことを言ってくるようになった。
風里姉ぇは深くため息を付くと、食事する時に邪魔になるからだろう、肩まで伸びた髪を背中に除けた。
「ホント、陸哉は冗談が通じないわねぇ。ほら、そんなこと気にしてる暇があったら、ご飯冷めちゃう前に食べちゃなさいよ」
「いや、その冗談のおかげで僕の食欲すっかり冷めかけてるんだけど……」
と、苦笑いしながら僕はぎこちなく箸を進めた。
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