ソフトクリームの甘さ

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ソフトクリームの甘さ

 部内恋愛禁止だとか、でもその実水面下ではお盛んだとか、あとは三角関係だとか。そういうのはありふれた話だろう。俺が抱えているのはそんな単純なものではなかった。もっと捉えどころがなく、それでいて確固たるものだ。形にするならば荒れ狂う炎ではなく、綺麗な輪郭を描いて青く輝く炎だろう。それは一見冷たく見えるが、触れることなんてできないほどに熱い。  恋愛禁止、大学の軽音部でそんな決まりがある訳はないし、我がバンドでもそんなルールはない。ただ、俺は宏輔とあの日に約束をしてしまったのだ。  菜央を守ること。そして、彼女には触れないということ。  菜央は俺と同じく軽音部の部員で、我がバンドのキーボディストだ。彼女はメンバーの1人、ベーシストの宏輔が見つけてきた。繊細だけれど、凛とした存在感のある魅力的な人だ。それは彼女自身にも、彼女が奏でる音にも共通している。  宏輔からバンドメンバーとしてスカウトしたい人がいる、と相談されたのは、3年前のことだ。俺が高2で菜央、宏輔、もう1人のメンバーの裕太が高1の年だった。冬に片足を突っ込んでいるような、冷え込みの強い秋の日だったのを記憶している。宏輔は普段から口数が少なく、こういう重大なことについても1から100までを話すことはしなかった。きちんと自分の中で整理されたことだけを話すから、本意が伝わらないということはない。新メンバー加入という、バンドにとって重要なことだから話してほしいという思いもあったし、正直腹を立てたこともあった。けれども、それ以上にあまりに宏輔が深刻そうなので問いただすことが憚られたのだ。あの、固く決意した顔を見たら誰だって頷くしかないだろう。そのときに聞くタイミングを逃してしまったから、いまだに菜央をどうやって見つけてきたのかも知らない。彼らは当時同じクラスだったけれど、菜央が初めてバンドに顔を出した頃は特に仲がいいという雰囲気ではなかった。それどころか音楽と関わることに抵抗をもっていたようで、弾けない、の一点張りで宏輔の誘いを断ってばかりいた。諦めずに勧誘し続ける宏輔をみて、気が乗らないのに無理に引っ張り込む必要はないと思っていた。誘うからには上手なのだろう。ただ、宏輔はそれだけで執着するような人ではないはずだ。どちらかといえば周囲と一定の距離を置くタイプだから心底意外だったのである。宏輔がそこまで関心をもつ理由はどこにあるのか。当初俺の興味はもっぱらそこにあった。  だが、そんな余裕があったのは菜央の演奏を聴く前までだった。音楽と距離を置きたいと思っている人の出す音ではなかった。こんなに素晴らしい音楽を奏でる人を埋もれさせてはいけないと直感した。高等部軽音楽部の部室で菜央の演奏を聴いた俺は、いや、恐らく俺たち3人ともが、菜央と同じ世界を見たいと思ってしまったのだと思う。それは菜央が一人でどこかへ連れて行ってくれるということではなく、俺たち4人が揃ったら必ず何かが起こるという予感のようなものだった。宏輔が菜央にこだわった理由が、ある意味言葉で言われるよりも明確に分かってしまった瞬間だった。 「あの子の音楽の世界を守りたいんだ」  本人がダメなら親から固めてしまおうと、菜央のお母さんに入部の許可をもらいに行った日の帰りのことだった。宏輔はぽつりとそうこぼした。普段と変わらない淡々とした口振りで、それ以上の説明はない。充分だった。溢れんばかりの思いが、言葉の奥にある切実さが、見えてしまったのだ。黒く、深い光を湛えていた瞳を今でも覚えている。 「分かった。協力するよ」  黒い光に魅入られるまま、そう口にしていた。同時に、自ら線を引いてしまった。菜央と宏輔と、自分との間に。何も始まってもいないのに引き下がってしまった。そして、宏輔の目線の先にいる子は、その日から俺自身が目で追ってしまう子になってしまった。
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