雨と記憶

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 けど、彼の記憶は戻らなかった。  自分が誰なのかは分かっているけど、それ以外のことは全く思い出せない状態。  何か一つだけでも景色を覚えていれば、そこから辿ることができるけど、それがなかった。  思い出そうとしても鍵がないとどうしようもない。    それなら  もう、思い出さなくていいんじゃないか  そこまで辛いことがあった場所に帰る必要はない。  このままここで二人で生活しても。  そう話したら、彼は寂しそうな顔で  ありがとうと言った  気持ちは嬉しいと。  彼はここに居続けることを望んでいなかった。  それを寂しいと思うことは間違っている。  そう分かっていても、自分の思いを否定できなかった。  モヤモヤとしたものを抱えたまま、ただ時間だけが過ぎて  一年前のきょう  彼が、思い出したと言った。 「本当に?」  と訊くと、頷いた。  嘘を言っている目ではなかった。  そして 「ありがとう」と「ごめん」を残して出て行った。  何も訊かずに黙って彼を見送ったのは、勇気がなかったからだった。  話したくないのなら、と半分は彼のせいにした。
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