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A little more
週末の天気予報は晴れ。降水確率20パーセント。
待ち合わせは、駅前のポストところ。デートは動物園。
動物園なんて子どもっぽいとか友達は言うけど、あたしは動物園が好きだし、彼ものんびり歩いたりするのが好きだから、あたしたちのデートとしては間違いじゃない。
あたしはお弁当を作って、彼と並んでご飯を食べる。それだけであたしは十分に楽しくて、お手軽と言えばお手軽、いろんな意味でしあわせな人間だけど、だからってあたしはそれでいいんだ。
気合を入れて服を選んで、時間をかけてメイクをして、お母さんに「あんたデート? 若い人はいいわねえ」と冷やかされながら、準備万端で家を出た。
突然光が閃いて、すぐに大きな音が響き渡った。
あたしはびっくりして、首をすくめる。家を出たときは晴れてたのに、天気予報では晴れだって言ってたのに。空が徐々に暗くなってくる。まだ、お昼にもなっていないのに。
歩いてる人が、あたしと同じようにびっくりした顔や、不安そうな顔で空を見ている。あたし勘違いしてたかな、と思ったけど、まわりの人たちも雨支度はしてないし、やっぱり天気予報が外れたみたいだった。ただの通り雨なら、いいけど。
楽しい気持ちに影が差してきたところに、走ってくる人が見えて、あたしは大きく手を振った。
「遅れてごめん! バスが混んでて」
「平気。あたし、人待つの好きなんだ。物語のオープニングみたいで」
慌てていた彼に、あたしはにっこり笑う。ごめんな。と言ってくれる彼を見ていたら、それだけで暗くなりかけてた気持ちが晴れていくから不思議。
「行こっか」
彼が手を出してくれたので、あたしは彼の手を握る。あったかい手に掴まって歩き出した。彼は、のんびりしているあたしにあわせて、ゆっくり歩いてくれる。
嫌な気持ちも振り払って、幸せ絶頂、だったのに。
動物園まで、電車とバスを乗り継いで辿り着いたのに、バスに乗っている間から、雨が降り出した。暗い空が、雫を落として窓を叩きはじめて、バスを降りる頃には大雨になっていた。
あたしは傘を持ってない。彼も当然持ってない。二人とも、人気の少ない動物園の前のバス停で、途方に暮れてしまった。
「どっか、カフェとか入ろうか?」
彼は、睫毛にかかった雨を瞬きで振り払うと、あたしを見下ろして少し困ったように言った。
「雨の動物園なんて、つまらないよな?」
天気予報が晴れだったから、昨日の夜に下ごしらえして、今日の朝も早起きしてお弁当を作ってきた。あたしは自分のバッグをちらりと見て、彼に笑う。
「うん、雨宿りしよっか」
一生懸命作ったけど、大雨の中、無理にベンチで食べる気には、あたしもなれなかったから。
動物園のあるあたりは、あんまり町が栄えてなくて、雨宿りが出来そうなお店を探すのにも少し苦労した。結局だいぶ歩いて、ようやく小さなカフェを見つけたときには、ふたりともびしょ濡れだった。
お店に駆け込むと、髪から雫がぽたぽたと落ちて、床に染みを作った。これ、嫌がられちゃうかもしれないな。
「濡れちゃったね」
「素直に、バスで戻れば良かったね」
彼は、困ったように笑った。
「こんなに降ると思わないし、仕方ないよ」
あたしは、バッグからハンカチを出して、彼に差し出した。
「いいよ、お前、自分拭けよ。風邪ひくだろ。俺、頑丈だから」
そんなことを言っていたら、店員さんが奥から出てきた。あたしたちのほかに、お客さんはなし。お店の人が趣味でやってるんだろうなーと思わせる、小さな喫茶店だった。
「いらっしゃい。急に降って来て、災難だったね」
お母さんくらいの年の店員さんは、あたしたちにタオルを渡してくれる。ハンカチを譲り合ってたあたしたちは、顔を見合わせて笑ってから、ありがたくタオルを借りた。
店員さんが案内してくれた窓際の席に座る。お腹がすくにはまだ少し早くて、彼はコーヒー、あたしはミルクティーを頼んだ。
彼は、窓に降りかかる雨の雫を見て、ぼんやりしている。表情は、少し暗いような気がする。外が暗いからだけじゃないだろう。
運ばれてきた熱いコーヒーに砂糖を入れる。あたしは、ポットで来た紅茶をカップに注いで、ミルクと砂糖をたっぷり入れた。甘くないと飲めないから。カップを手にして、飲みながらちらりと彼を見ると、やっぱりなんだか思いつめたような顔をしてる。
「どうしたの?」
声をかけると、彼はようやくぼんやりしていたのに気がついた見たいで、気まずそうに笑った。なんだかぎこちない。
「もしかして、気分悪い? 風邪ひいちゃったんじゃない?」
「いや、そういうんじゃないんだけど」
彼はそこで言葉を止めてしまった。
「ちょっと、実は今日、大事な話があって」
「うん。なに?」
あたしはカップをソーサーに戻して、改めて彼の顔を見る。言葉を待つあたしを見て、彼はまたぎこちなく笑ってから、あのな、と言葉を切る。それからまたしばらく、つぶやくように言った。
「俺、他に好きな人ができた」
何を言われたか分からなかった。
あたしはいつもそう。ぼんやりしているから、予想してないことが起きると、何も出来なくなる。何が起きたか分からなくなる。歩いていて急に知らない人に怒鳴られたときとか、ぶつかってすごい罵声を浴びせられたときとか、びっくりして言い返すことも出来ない。いっつも、しばらくたってから「あんなのおかしい」って思うんだけど。
だからあたしは今も、何が起きたか分からなかった。
いつものデートで、楽しくおしゃべりして、仲良く雨に降られたりして、その上で彼の言葉は普通の流れじゃないもの。そんなこと言われるなんて思わないじゃない。
あたしは言われたことを反芻して、ようやくびっくりした顔で言葉を返した。
「あ……。ああ、そうなんだ」
鈍いあたしは、まだまともな反応が出てこない。だけど彼は、一言出してしまって勢いついたのか、テーブルの上に頭をガバッと下げた。
「だから、ごめん。ほんとごめん、別れて」
雨の音が、ガラス越しに響いてくる。
あたしはぎこちなく彼に返事をした。
なんて言ったか覚えてない。なんでとか、どうしてとか、ひどいとか、言った気もするけど、よく覚えてない。
顔をひきつらせて、それでも無理やり笑って「仕方ないね」って言ったのだけ、覚えてる。
駄々こねたって仕方ない。だって、もうあたしのことよりも好きな人が現れたんだもんね。それってもう、変えられないことだものね。
じゃあ、仕方ないね。別れるしかないもんね。
色々考えても、うまく言葉にならなかった。ずっと黙ってた。
嫌いになったわけじゃないんだ、もっと好きな人ができたんだって。彼は言うけど。
だけど、それって、わたしの気持ちはどこへ行ったらいいんだろう。
嫌いになったわけじゃないけど、わたしのことも別に好きじゃないわけじゃないけど、もうこうやって一緒に遊んだりはできないんだね。あたしはまた大好きなのに。
あたしはその空気に耐えられなくて、またぎこちなく何かをつぶやいて、お店を飛び出して来てしまったのだった。
雨がやめば、空も晴れ上がるように、あたしもすぐ、忘れられればいいのに。
勝手に思い出デートにするなんて、ひどいよ。しかも、雨のせいで台無し。
大好きって、ひどいって、彼の前で泣けば良よかったのかな。よく分からない。
「お前、自分のやりたいこととか我がままとかあんまり言わないし、俺、どうしたらいいのかなって、ちょっと思ってた」と彼は言っていた。
不安だったのだ、と。本当に好かれてるのか、分からなかったと。
あたし、わがまま、言ってる。今日の動物園だって、あたしが行きたかった。いつもより気合の入った服、メイク、髪型。楽しくてたまらない顔。それだけじゃ、分からなかったのかな。
晴れた日は好き。
みんな、焼けるから嫌いって言うけど、あたしも日焼け止めとか塗っちゃうけど、でも、ジリジリと肌が焼けるような日差しも、カラリとした軽い空気も、好き。まぶしいのも好き。
動物園も好き。あったかい空気が好き。家族が、恋人たちが、友達同士のグループが、いろんな人が、笑いながら歩いてるのを見るのが好き。
――だけど、ほんとは、雨の動物園も、風情があると思うよ?
寂しいと思うけど、つまらないとは思わない。それだって、一つの顔じゃない?
彼が言いたかったのは、そういうことなのかな。笑ってすぐ頷いたらダメだったのかな。
あたしは鈍くて、のんびりしていて、なんでも幸せになれちゃうお手軽なヤツだから、彼がいいなら、あたしはそれでしあわせだからいいやって、思ってた。
もっと言葉にしないといけなかったのかな。なんだかもう、分からない。
傘もなくて、おろしたばっかりの服もびしょ濡れで、メイクもぐちゃぐちゃで、一生懸命セットした髪からも水が滴り落ちて、お弁当も役に立たなくて、なんだか余計にすごく悲しくなって、大声で泣いた。どうせ雨の幕で、誰にも聞こえないだろうし。聞こえたってどうでもいい。
今は、全開で泣いてしまうんだ。我慢しないで、悲しくて悔しくて、やるせなくて寂しいのも、全部出してしまうんだ。そんな感情、彼のせいじゃなくて、彼のためになんて泣いてるわけじゃなくて、雨のせいだから。
晴れたら、また笑えるように。
だから。
全部雨のせいってことにして。
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