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11 マリリンの予言の書
常連がカウンターを占領していた。店の奥から、伊乃、春乃姉妹。峰 美鈴。そしてマリリンの四人が並んで座り、昆布茶、日本茶、コーヒー1に対して水9の薄いコーヒーと、クリームソーダ―をそれぞれが食していた。
「あら、マリリン珍しい書き物?」
春乃がマリリンのほうを覗き込むように聞く。
「ええ。少し面白いから」
「面白い?」
春乃の問いにマリリンは「ふふふ」と笑い、妙子のほうを見て、
「たえちゃんの嵐、物凄い渦を持っているんですよ」
といった。
妙子が眉を顰める。
「ものすごい渦ってなになに? 不倫の末の泥沼とか、そういう奴?」
「誰が不倫してるんですか?」
妙子が春乃に突っ込む。
「不倫……そうね、不貞って文字は出てるね」
春乃が勢いよく妙子を見る。
「してませんよ、ここにいるのに」
「だからじゃない。ほら、あの工事の人、あの、ほら、何だっけ、いつも弁当を取りに来る人、」
「辻方さん?」
「そう、そいつ、たえちゃんのこと好きよ」
「奥さん想いの人ですよ」
「っていうけどね、男なんてすこーしあいだが開くと、ふらふら―ってよその女がよく見えてくるものなのよ」
からん
「いらっしゃい。
と言いますけど、辻方さん、お子さん生まれるって、今帰ってますよ」
「そう言いながらよ、絶対そうに決まってるって。じゃないと毎日弁当取りに来ないわよ」
「たまたまでしょう」
「何、何の話?」
春乃は驚いて振り返る。立っていたのは 安田 晃平だった。
「あら、晃平。また図体でかくなった?」
「ンなわけ。それで、何の話?」
「え? あぁ、たえちゃんとこに弁当もらいに来る男が居るんだけどね、そいつ、絶対たえちゃんが好きだって。不倫しようとしてるって話」
「まじか?」
晃平が妙子を見る。
妙子は苦笑いを浮かべながらコーヒーをカウンターに二つ置く。
コーヒーは一つを晃平が、もう一つを中村 達樹が手にして窓際のボックス席に座った。そこにはすでに巻き髪の女が座っていて、隣に晃平が来るのを露骨に嫌がり、達樹を座らせた。
「何飲む?」と聞いたのは晃平だが、
「愛奈ぁ、オレンジジュースがいいですぅ」
と達樹に向かって言ったが、達樹は鞄から書類を取り出し晃平のほうに差し出しながら、
「ここのところだけど、変更箇所の、いまいち説明が解らないんだが、」
「あ? あぁ。妙子、オレンジジュース一つ。
えっと? あぁ、そこぉ。杉本さんに説明お願いしたけど?」
「なんか要領得なくてね、」
「まぁ、あの人職人だから、口下手なんだよなぁ。……えっとね、そこは」
晃平と達樹は向かい合い図面を真剣に見ている。
愛奈ぁ。といった女は不服そうな顔をした。
「オレンジジュースと、サンドイッチ」
妙子が机に運んでくると、
「弁当って、頼めば作ってくれるの?」
と達樹が顔をあげた。妙子は達樹のほうを見て、
「弁当箱持参。一日500円から」
「ほぉ……頼もうかな。何時に取りにくればいい?」
「火曜日は休み。時間指定してくれたらそれまでに作る」
「毎日違うから、」
「一時間あれば作れる」
「じゃぁ、頼もうかな」
「いいよ」
妙子はそういってカウンターに下がる。
晃平と達樹の打ち合わせが終わった頃、やっと、二人がコーヒーを口にしてため息をついた。
「あぁ、さっきの話し。妙子お前不倫するのか?」
「なぜに不倫開始前提かな?」
「あれ、違うの?」
「たえちゃんに嵐の相が出てるらしいのよ。それでね、その中に不倫ってのがあるらしいわよぉ。あなた既婚者?」
春乃が達樹を指さす。達樹は笑顔で、
「いいえ、一人ものです。片思い中ですけどね」といった。
「あら、そう。じゃぁ、違うのかしらね?」
と春乃が妙子に聞く。妙子は首をすくめる。
「ねぇ、ねぇ、他には何が出てるの?」
「苦痛。嫉妬。狂気」
「……やだ、怖い」
春乃が眉をしかめる。
「実害はないけど、負が近づいてきてるから気を付けて。あとは、何か新しいことを始めるべきね」
「漠然としてますね」達樹が苦笑しながら言う。
「占いってこんなものよ」
とマリリンは笑った。
「占いだーいすきぃ。私も占ってくださいよぉ」
「……あたし高いわよ。そんじゃそこらの占い師と違うから。相談料一回一万するけど、いい?」
マリリンの言葉に、高すぎる。と文句を言いながら愛奈は黙った。
「それ、当たりますか?」
達樹の言葉にマリリンが達樹を見る。
「当たるかどうかはその人次第よ。気を付けて。と言って気を付けて何事も無ければ占いを信じてよかったと思う。気を付けなくても、何事もなく過ぎれば人は忘れる。そういうものでしょ?」
「そうですね」
「……でも、そうね。たえちゃんの場合は、かなり当たると思うわ」
マリリンはほくそ笑むと、立ち上がり出て行った。
「相変わらずわけわかんない格好してるな、あの人?」
「今はアラジンにはまってて、ジャスミン姫なんだって」
「姫ねぇ。占いのできる姫って、呪われそうだけどな」
晃平の言葉に妙子は鼻で笑い、マリリンの使ったグラスを片付ける。
三時を過ぎ、人の出入りが無くなった店内。冷やし中華が流行り出したのだから、常連のおじいちゃんたちはざるそばを食べ始めるころだ。そのためにせいろを取り出そうと、カウンター上に在る吊戸棚からせいろを取るため、カウンターの椅子に膝乗りする。
カウンターの椅子は回転するので不安定で、太腿をカウンター机に押し付ける。
「まったく、ここに片付けるの、もう辞めなきゃ」
と言いながら手を伸ばす。
「あと、(重ねるの)五つにしなきゃ、十個は怖いわぁ」
そういえば、これを片付けたのは晃平だ。背の高い晃平が、使うときに言えば下ろしてやると言って片付けたのだ。来ていた時に頼めばよかった。
少しずつずらしてくる。足元も揺れるし、一番上のせいろも揺れている。
からん
「あ、いらっしゃいませ、ちょっと、待って」
「大丈夫。抑えるから」
耳元にかかる声。瞬間熱を帯びる体。
達樹が妙子の後ろに立ち、十分すぎる背丈でせいろを手で押さえ、その体で妙子の背中を支えた。
「いいよ、離して」
そういわれ、妙子が手を放す。
「どこへ置く?」
「あ、カウンターの上」
「うん」
短い返事。ゆっくり、妙子の前に降ろされていくせいろ。
すっかり、達樹の腕の中に納まった。
「あ、ありがとう」
「うん」
…………
「あの、どいて」
「うん」
達樹が手を放し、後ろに下がった。
妙子は椅子から降りて、せいろにかぶせていたビニールを外す。
「忘れ物?」
「いや、近く通った」
「さっき帰ったところじゃない」
「みんながいたからね」
妙子の目に、陽が傾き、赤い庇に陽が当たりオレンジ色の光が店内に広がっていく。こういうのを、フラッシュバックというのだろうか? あの、中学の時のあの瞬間を思い出す。
「―は、よくないよ」
「え?」
「不倫。勧めないよ」
「いや、無いから。私も嫌だから」
達樹の顔が少し和らいだ気がする。
「好きな奴、居るの?」
「え?」
「居なかったら、付き合わない?」
「……片思い中でしょう?」
達樹が妙子の側に近づく。
「うん。妙子にね」
どきどきどきどき
からん
「あっちぃねぇ。たえちゃん、レイコー」
常連が入ってきた。
達樹はしらっとカウンターに座り、妙子はせいろを持ってカウンター中に入った。
妙子が常連の相手をし始めた。
達樹がカウンターに置かれたマリリンのメモを見た。
苦痛、嫉妬、狂気はそれぞれ丸で囲んでいて、それらから線が出ていて、渦を作るように書かれている。その中に、新しいことと夢も丸で囲んでいた。
(夢、か)
達樹もまた、少し前に見た夢を思い出していた。
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