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薔薇園にて
僕はどうしてか、寮を出ると走って薔薇園に向かった。
「珠希っ」
「のんちゃん、走って来たの? そんなに急いで来なくても大丈夫だったのに」
そう言って珠希が笑う。
あの笑顔だ。
「うん、分かってたんだけど、なんとなく」
そう言うと、珠希は僕の髪をくしゃっとした。
順平にもシュウにもそういうふうにされたけど、でも、珠希にされるのは、なんだか違う。
「どうしたの?」
黙った僕を珠希が覗き込んで来た。近くに顔がある。
ふいに唇に目が釘付けになった。
珠希、空也先輩と、キスしたのかな……?
そんなことを思うと、どきっ、と体に震えが来るくらいに大きく心臓が跳ねた。
「あ、なんでもないよっ。あのね、今日クラスのみんなと仲良くなれたんだよ?」
僕は変な心臓を無視しようと決めて、話し続けた。
「そう。それはよかったねー」
珠希は、にっこり笑ってくれる。
それから、僕は今日あったことをいろいろ話して行った。
ときどき、どうしても珠希の唇に目が行ってしまうけど、なんとか意識しないでおこうって思って頑張った。
ざくざくっと土の上を歩く音が聞こえた。
「あ、アユ。遅かったね。空也先輩は?」
「なんか学級委員とかにさせられちゃってさー。空也? 知らない」
アユが来てくれて、なんだかちょっとほっとした。
今日の僕、なんか変だ。
アユが戻って来て少しすると、空也先輩が戻ってきた。
空也先輩を見ると、またさっきのどきどきが蘇ってきた。僕はふたりに変に思われないよう、こっそり観察していた。
「はい、空也」
「ありがと」
珠希はポットからコーヒーを注ぐと、なにも聞かずにミルクだけを入れて空也先輩に手渡した。
やっぱり好みわちゃんと知ってるのか。って変に感心してしまう。
「そうだ、五月に球技大会あるんだって。ノン卓球だろ?」
サンドイッチをぱくぱく食べていたアユが、急にこっちを向いた。突然話し掛けられたから、少し驚いた。
「そうだね。卓球がいいな」
僕が上手にできる、唯一の運動だし。
「へぇ、のんちゃん卓球うまいの?」
珠希がにっこりと微笑む。またどきどきが始まりそうになるのを、なんとか押さえる。
僕は珠希に煎れてもらったハーブティーをぐいっと飲んで、頷いた。
空也先輩もアユと一緒でバスケに出るみたい。
ふたりで張り合って、勝負をするって言い張っている。
「空也も大人げないねー」
微笑みながらふたりを見ていた珠希がくすくすと笑って空也先輩に言った。その言葉は優しくって、空也先輩を包み込むように感じられた。
相変わらず、空也先輩はアユの髪をかき回したり、ほっぺをつねったりしては笑っている。
それを眩しそうに見ている珠希。
僕はまた、実が言ったことを思い出していた。
『久慈先輩は紫堂先輩を包み込む愛っていうか、耐え忍ぶ愛っていうか……』
「ん? どうしたの?」
気がつくと、珠希が僕のを不思議そうに見ていた。
「え、あ、んんと、珠希は、何に出るの? 球技大会」
僕は慌てて思い付いたことを口にした。
「僕? 僕は当日いろいろと仕事があってね。だから、出ないんだ」
「んーそうだぞー、希、珠希は忙しーんだー」
空也先輩が向かいから笑いながらそう言うと、珠希先輩は微笑みを返した。
なんだか、ふたりはやっぱりすごく特別な感じがした。
「のんちゃんの応援、行くからね」
珠希がそう言って髪をくしゃっと撫でたけど、僕は上の空で頷いた。
部屋に戻る途中。急にアユが僕の手をぎゅっと掴んだ。
「どうしたの?」
「ううん、急いで部屋帰ろう」
アユはそう言ってずんずん進んで行く。
たくさんの生徒とすれ違って、きっと今朝と同じように見られていたんだろうけど、僕の頭の中は別のことでいっぱいで、気にならなかった。
「ノン、なんかあった? 珠希になんかされた?」
部屋の中に入った途端、アユは僕の顔を心配そうにじっと見てそう言った。
「へ……? なんで?」
僕はアユの言った意味がわからなかった。どうして珠希が出てくるのかも。
「ちょっと座ろ」
そう言ってソファに座る。
「なんか、ランチの時もずっと元気なかったし、どうしたのかと思って」
「元気? だけど?」
「うそだっ」
アユは怒ったみたいな顔して、唇をぎゅっと噛んでる。
でも、僕、ほんとに元気だし。アユが心配することなんてないんだよ? でも……。
でも、もしも僕に元気がないように見えたんだとしたら、きっと、考え事してたからだ。
「あの……アユ、心配してくれたんだね。でも、僕ほんとに元気なんだ。ただ、考え事してただけ」
「考え事って?」
アユはまだ信じてないみたいに、僕をいぶかしげに見てる。
「あの、うんと、えと、あの」
僕は、今日実から聞いたことを、言っていいのか分からなかった。それに、男と男、のこと。アユはどういうふうに思うんだろう。
「ノンー」
アユはため息混じりに僕の名前を呼ぶと、ソファにどさっと背中を預けた。
「よし、喋れるおまじない」
ほとんど仰向けになりながら、ノンはブレザーのぽけっとからなにか出した。それをテーブルに出す。
それは、いろんな色の銀紙に包まれたチョコレートとボンボンだった。
「さっきランチの時、空也が持って帰っていいって言ったから、カゴにあったの全部もらってきたんだ」
そう言ってアユは笑う。
昔っから、アユはいっつも服のどこかに甘いお菓子を持っていて、僕になにかあると、それをくれた。
「アユ……」
「なぁんて顔してんだよ、ほら、これうまかったぞ。食べてみて」
そう言ってアユがくれた丸いボンボンを口に入れる。チョコの中からブランデー漬けのチェリーが出てきた。
「おいし……」
「だろ? で? なに考えてたの。俺には話せない?」
そう言って弟にまっすぐに見つめられると、僕は情けなくなって、ふるふると首を振った。
「じゃ、話して」
「うん……あのさ、今日順平と実と話してて、いろいろ聞いたんだ。それが気になってて……」
「うん、」
「あのね、アユはどう思う? オトコとオトコが付き合ったりとか、キ、キ……スしたりとかするの」
「キッ!?」
僕がやっとのことでそう言うと、アユはがばっと顔を起こして僕を見ていた。
「キス! したのか?? されたのかッ? 珠希に?」
「エッ? 違う、そんなことしてないよっ」
どうしてそこで僕と珠希の話になるのか分からなくって、僕は目を丸くした。
「なんで珠希と僕?」
「え? あ、いや。違うんならいい」
変なアユ。
「ねえ、どう思う?」
「どう思うって、ノンはどう思ってんの?」
「僕は……正直、わかんない。だって、女の子ともつき合ったことないんだよ? アユはモテてたし、キスだってしたことあるでしょ? でも、僕はないし。だから、よくわかんないんだ。でも、ここってそういうこと、多いみたい。男と男が付き合うとか、キス、するとか」
「ああ……んん」
アユは小さな声で、もごもごと何か言った。さっきまで僕に話せってすごい勢いだったのに、急にしゅんとしてしまった。
不思議に思いながら、言葉を続ける。
「でもね、僕考えてみたんだ。もしも誰かが誰かのことすっごく好きなら、男でも女でも関係ないのかな、って」
「んん、」
相変わらずアユは押し黙っている。
もしかして……。
「アユ、もしかして、好きな人出来た?」
「はあッ?」
僕がそう言うと、アユは我に返ったようにおっきな声を出した。
僕はテーブルに転がっていた青い包み紙のチョコを剥いて、アユの口に放り込んだ。
「んあ、なにいきなり」
アユは口をもぐもぐさせながら、驚いた顔で言う。
「アユだって。僕になにか話したいことあるんじゃないの?」
絶対、そうだ。
ごまかされないぞ。
僕はそう思って、アユの目をじいいいっとみつめた。
「え? そんなの、ないよっ」
アユの言葉がたどたどしくなって、よけいに怪しい。
僕は瞬きもせずに、アユの目から目を離すまいとした。
「うぐ……負けた、そのビームに」
アユは両手で自分の顔を覆うと、ばふっとソファに倒れた。
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