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すれ違い
「オレ、歩に何かしたかなぁ」
空也先輩は夕食の舌平目をフォークでつつきながら、ぼそっと呟いた。
いつも空也先輩の隣に座っているはずのアユが、今日はいない。
「んー、思い当たることが多過ぎてなんとも言えない」
珠希は笑い混じりに答える。
珠希は、知ってるってこと? 空也先輩がアユにキスとかしたって。
「のんちゃん、ソースついてる」
珠希がどんな顔をしているのか気になって見上げると、ナプキンで口元を拭われた。
「あ、ありがと」
なんだか恥ずかしくなってうつむいた。僕も珠希や空也先輩と同じお魚料理を頼んだのに、上手に食べられなくってさっきから格闘している。
すると、ふわっと髪の毛をかき回された。
「球技大会のことでクラスの交流を深める為にも当分の間はクラスメートと食事するからってごめんなさいメールはいってたけど」
珠希がそう言うと、テーブルの向かいからも手が延びて来た。
「そっかー。手が寂しい」
空也先輩の手は、珠希のよりも強く僕の髪の毛をかき回した。
「それに、俺んとこにはメール来てねーよ」
ぼそっとつぶやいた声が聞こえてしまって、思わず胸がちくっとした。
アユが友達と御飯を食べているのはほんとだけど。
僕、よけいなこと言ったのかな。
空也先輩が悪い人だとか思ってないけど。でも、実が言ってたこともあるし。
あんまり空也先輩に近付かないほうがいい、って。アユにそう言っちゃったから。
もしかしたらそのせいでアユは空也先輩を避けてるのかもしれない。
なんだか罪悪感を感じてしまう。
空也先輩はなんだか元気がない。
珠希は、いつもと変わらない。
だけど、みんなが言ってるのが本当だとしたら、空也先輩とアユは近付かない方がいいに決まってる。
アユだって空也先輩のこと好きじゃないって言ってたし。そしたら……。
珠希の気持ちが、かなうかもしれないんだよ、ね。
「のんちゃん、どうしたの? 元気ない?」
「え? ううん、ううんそんなことない」
思い耽っていたから、珠希にそう聞かれて慌てて答えた。
「そう? ね、あとで僕の部屋、一緒に来てくれない?」
「え?」
……行っちゃだめだ。断るんだ。
そう思ったのに、気がついたらこくんと頷いてしまっていた。
僕はまたあのペガサスの部屋に来て、落ち着かない気持ちになっていた。
キッチンの方で音がして、少しすると珠希が手にマグカップを持って戻ってきた。
「はい。カフェオレ。甘くしといた」
「ありがとう」
コーヒーのいい香りがする。
「のんちゃん、ほんとは、さっきなに考えてたの?」
ソファの隣に座った珠希が、心配そうな顔で僕を見ている。
まるで、昨日のアユとのシーンを再現してるみたい。僕は顔に出さずに考え事をするっていうのが下手みたい。
「あ、んと、べつに。ぜんぜん元気」
それに、言い訳も下手くそだ。珠希は困ったような顔で僕を見下ろしている。
だけど、聞けないよ。
珠希は空也先輩のことが好きなの? なんて。
それに、そのことがどうしてこんなにも自分の胸を掻き回すのか、理由が分からなくって苦しい。
だから、僕は違うことを口にしていた。
「空也先輩は。アユのこと、好きなのかな?」
僕がそう言うと、珠希は驚いたような顔をした。
「ああ、そうだと思うよ。本人が自覚してるかは分からないけど。空也があんなに人にこだわるのもめずらしいしね。好きなんだと、思うな」
珠希は僕の髪の毛に手を差し込んで、そう言った。
「空也のこと、気になるの?」
その顔が寂しそうで、僕は今さら気付いた。珠希のことを傷つけた。
空也先輩のことを好きな珠希に、なんてことを言わせたんだろう。
僕のほうが悪いはずなのに、どうしてか、泣きそうになった。こんなにも胸がぎゅっと締め付けられるのは、どうして?
「のんちゃん……」
名前を呼ばれて見上げると、珠希は悲しそうな目で僕を見ていた。
そして、次の瞬間目の前が真っ暗になった。
僕は、珠希の腕にすっぽりと包まれて、その胸に納まっていた。
一瞬なにが起きたのか分からなかった。珠希がどうしてこんなことをするのかは、もっと分からない。
「ごめん。自分勝手で。でも、ほんの少しでいいからこうさせて」
珠希の吐息混じりの声が耳元で聞こえた。切ない声。
珠希は今、誰のことを考えてるの?
そう思ったら、どうしてか涙が出てきた。
「のんちゃん。泣いてる? どうして?」
珠希が顔を覗き込んでる。
だけど、言えるはずがない。
好きだって気付いた瞬間に失恋したから、なんて。
だから、僕はただ首を振った。
僕、珠希のことが好きなんだ。
結局、珠希とぎくしゃくしたまま、自分の部屋に戻って来た。
珠希は辛抱強く僕が泣いている理由を聞こうとしてくれたけど、僕は頑として言わなかった。言えなかった。
部屋に帰っても、まだアユは戻って来ていなかった。
少しほっとした。
洗面所の鏡に写る自分の目は、どう見たって泣きました、ってばればれで。
きっとアユは心配すると思ったから。
おふろから出てくると、珠希からの着信履歴があった。
だけど、掛け直すことはしなかった。
それにメールも。
『大丈夫? 僕が自分勝手だったからだよね。ごめん。もうあんなことしないから。許してくれるなら、またメールして欲しい。おやすみ』
そのメールを見たら、また泣きそうになった。
珠希はきっと、僕を誰かの代わりにして抱き締めたことを謝ってるんだろう、でも違うんだ。僕は、あの腕にずっと納まっていたかった。
だから、つらくて泣けてきたんだよ。
それから、次の日もその次の日も。順平とシュウとごはんを食べた。
珠希には一度だけメールをした。怒ったりしてないから気にしないで、っていうこと。それから、クラスのみんなと仲良くなったから、これからは御飯を一緒に食べるんだ、ってこと。
前と変わらない文体で、メールを送った。
アユには、ふたりは仕事で忙しいし、僕もクラスのみんなと仲良くなりたいから、って説明した。
同じ学校で、同じ寮にいるのに。
2週間珠希に全く会わなかった。
一度だけ空也先輩に会って、なにか言いたげだったけど、僕は適当な理由をつけて、急いでるふりをした。
気付かなければよかった。
諦めるしかないって、もうムリだって。分かってるのに。
好きな気持ちが縮んだり薄らいだりすることはなくって。
それどころか、会えないとよけいに膨らんでいくみたいだ。
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