225人が本棚に入れています
本棚に追加
寮長 久慈珠希(くじ たまき)
太陽の光の中で、ほとんど濃紺に見えるような黒髪。
黒ぶち眼鏡の奥の目が、笑っていた。
よかった……、怒ってない。
ほっとしたのと同時に、彼が手を延ばして来たから、なにをされるのかと思って、僕は首を縮めた。
「ごめん、おどかして。そんな顔しないで。怒ってないから」
彼は僕の頭を撫でていた。
「うん……」
なんだか泣きそうになってた自分が恥ずかしくて目を落とすと、彼の靴が見えた。
泥にまみれたアディダスのスーパースター。
ここの薔薇園を管理してる人なのかな?
「君、外部生?」
「うん、そう」
「やっぱり。ここに生徒が来るなんて滅多にないから」
彼は笑った。笑うと、目と目尻がしわしわになって、顔全部がくしゃくしゃになって。
なんていうか、この人は顔全部で笑う人なんだな、って思った。その顔がすごく優しくって、僕は緊張を解いた。
「どうして? こんなに綺麗に咲いてるのに、誰も見にこないの?」
「さあ、どうしてだろうね」
また彼は顔をくしゃってして笑う。
「で? 君は迷子になったのかな? 理事長室に行くはずじゃなかったの?」
「あ、そう……えと、なんで知って」
「僕、久慈珠希。君が入る寮の寮庁だよ。理事長室に行った後僕の所へ来て寮の説明をするはずだったよね。だから知ってるんだ」
「寮長!? あ、そうだったんですか」
「うん。で、君は双児のどっちの子? 希くん? 歩くん?」
「のぞみ、です」
「そう、じゃ、お兄ちゃんだね」
「そうです」
久慈先輩は、優しい顔で僕を見下ろしている、そうだ! アユ!
急に思い出して、僕はまた落ち着かなくなった。
「あの、久慈せんぱいッ、アユ、僕の弟見ませんでした? さっきはぐれちゃって。僕と似てて、もっと髪が黒くって、元気で、かっこいい子」
すると、久慈先輩は、ぷっと吹き出した。どうして笑うんだろう?
「久慈せんぱい?」
「いや、ごめん、君たちって、二卵性?」
「いえ、一卵生です」
「そう。かっこいいって、きっと君たちほとんど同じ顔だよね?」
先輩はまだ笑いながら、不思議そうに言う。
「うんと、違うんです、ぜんっぜん。アユは僕よりもずっと男らしくってかっこいいんですっ」
僕がそう言うと、どうしてか先輩はまた笑って僕の頭を撫でた。
「じゃあ、そのかっこいい弟くんを一緒に探しに行こうか、のんちゃん」
「え、いいんですか?」
「いいよ。理事長室まで案内するよ」
「はい、ありがとうございますっ、久慈先輩」
「タマキ」
「え?」
「タマキって呼んで。それに、さっきまでみたいに普通に話していいよ」
え、でも……さっきは、先輩だって思ってなかったし。薔薇園の人なのかなーってしか思ってなかったし。でも、先輩だし、寮長だし、これからお世話になるし……。
「のんちゃん?」
「あ、はい。珠希先輩」
「タマキ。言ってみて?」
先輩は面白がるように僕をのぞき込む。
「た、まき……先輩」
「ぷ。ははっ、しょうがないや、かわいいから許したげる」
珠希先輩はそう言って笑ったけど。かわいい、って。
なんだかな。
僕、普通の男子高生だし。かわいいとか、なんか違うと思うんだけどな。
「さ、行くよ」
「あ、はい」
先輩の声に慌てて振り向くと、どうしてか左足のつま先に右足のつま先が引っ掛かって、僕は転びそうになった。
「おっと、危ない」
その僕を、珠希先輩はがっちりと支えてくれた。
「あ、すみません、ありがとうございます」
「うん。気をつけて」
そう言って笑う……なんか、僕、この人の笑顔好きだな。
なんか癒される。
「さ、行こう」
先輩はどうしてか僕の右手を握ったまま、歩き出した。
また僕がコケちゃいけないと思ってるのかな。もう、大丈夫だと思うんだけどな……。
なんだか恥ずかしくて、離してくださいって言いたいのに、どうしてか僕はそう口に出して言えなかった。
テラスハウスの奥に小道があって、そこを行くと急に開けた場所に出た。
少し離れた所に噴水が見える。
その奥から、全速力でこっちに向かって走ってくるアユが見えた。
「あ、アユー!」
僕はアユに向かって左手をぶんぶんと振った。
「あれが、歩くん?」
「そうです、きっと珠希、先輩もさっき僕が言ったこと、分かりますよ」
「そう?」
「ノンッ! よかった、すぐ見つかって。ここ危ないから、早く理事長室行こう」
アユははぁはぁと息も整わないうちからまくしたてる。
「え? 危ないってなに?」
「へ、変態、変態がうろついてる……ってか、寝てた」
僕はアユがなんのことを言ってるのかさっぱりで、首を傾げた。
「変態か……」
その時、僕の隣で珠希先輩がぼそっと呟いた。
「あんた誰!?」
いきなりアユが珠希先輩を睨むから、僕はどうしていいのかわからなくってどぎまぎした。
「あ、ごめんごめん。寮長の久慈珠希です。よろしく、歩くん」
「あのね、アユ、珠希先輩は迷子になってた僕を助けてくれたんだよ。それから僕らを理事長室に案内してくれるって」
「あ、まじで? ごめんなさい。さっき酷い目にあっちゃったからさー、ここって危ない奴ばっかかと思ったんだ」
「あ、アユ、先輩だから…敬語…」
「いいよ、そのままで。のんちゃんもね。珠希で」
先輩はまたあの笑顔で言ってくれるけど、やっぱり呼び捨てなんて、なかなかできないよ。
「オレ、ノンの弟で歩。よろしく、珠希」
僕がそう思っている横で、アユは早速珠希先輩を簡単に呼び捨てにした。
ほんとは僕だって、そう呼びたいんだけどな。
「ノンちゃんの言う通り、元気だね。ようこそ、白樫学園へ」
珠希先輩はそう言って僕をちらっと見た。
僕とアユは一卵生双生児だから、似ているけど、似ていない。友だちだって近所の人だって、みんな僕らをすぐに見分けることが出来たし、僕らは顔の中身のパーツと体型以外は、全部正反対だ。
どうしてか色素がぜんぶアユに行ってしまったみたいで、僕は生まれつき髪の毛の色が淡いのに、アユは真っ黒。
元気でお洒落なのがアユで、引っ込み思案で冴えないのが僕。友だちにいっつも囲まれているのがアユで、教室の隅でひとり読書しているのが僕。
というふうに。
アユは、僕の自慢の弟だ。
そんなことをぼーっと考えながら、アユに手を引かれて歩いていると、いつのまにか巨大な扉の前に来ていた。
不思議に思って見上げると、珠希先輩が僕らを見下ろして微笑んだ。
最初のコメントを投稿しよう!