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放課後。薔薇園で会うのが、僕と珠希の日課になった。
珠希は本当にお花に詳しくって、僕にいろいろ教えてくれる。
ほとんど毎日、部屋に戻って荷物を置くと、ここへ来る。
今日は僕の方が先だったみたい。
初めて来た頃には蕾だった薔薇たちは、今やほとんど満開になっている。
はやく珠希こないかなあ、って思っていると、ちいさなありんこが行列を作っているのを見つけた。こういうの見るのってなんかひさしぶり。
どこへ行くのか気になって後をついていくと、ありの巣があるのをみつけた。
僕はずっとそれをみつめていた。
「なに見てるの?」
「わ、ふあっびっくりした」
いつのまにか珠希がすぐ後ろにいて、僕を背中から抱き締めていた。
「遅くなってごめんね」
珠希が相変わらず僕の耳もとで話すから、僕はおどおどしてしまう。なんていうか、珠希の声は深くって、耳もとで囁かれると、どこかへ連れて行かれそうになる。
とにかく。いい声すぎるんだ。
「ううん、僕もちょと前に来たところ」
僕はそう言いながら、珠希の声から逃れようと向き直った。
「そ、よかった」
それでも、その笑顔にはやっぱり弱いんだけど。
「空也のお馬鹿がさ、あんまりごきげんでなかなか帰してくれなくってね」
僕が分からずに首を傾げていると、珠希はふっと笑った。
「空也ってばもう一日中歩くんの話ばっかり。それでも聞いてたんだけど、放課後帰ろうとしてもまだ話すから」
そう言って珠希は思い出したようにまた笑いだした。
ふたりがつき合い出したことを、数日前に知った。
僕はいつも目の前でふたりが繰り広げるらぶらぶさに、目のやり場を失ってしまう。
ふたりは当たり前みたいだけど、僕は照れてもじもじしてしまう。
「ま、空也のことは放っといていいよ、今は僕らのこと」
そう言って珠希は近付いて来ると、頬にキスした。
***
「ねえ珠希。どうして、ここにはだれも来ないの?」
休憩に薔薇のアーチの側に腰掛けた時、気になっていたことを聞いてみた。
「うん……なんていうか。言葉で説明すると聞こえがよくないんだけど。学園の敷地内でこの薔薇園だけは、うちの私有地なんだ」
「私有地?」
「そう。久慈家の。僕が初等部に入学した頃、父がここを買い上げて……なんていうか、僕の情操教育の為だって」
「はあ……」
「あ、引いた?」
「ううん……なんていうか、」
情操教育?……よくわかんないけど、珠希はりっぱにたくさんのお花をひとりで育てて。で、こんな素敵な人に成長したんだ。
「すごいね。その教育、成功だよね」
僕が真顔でそう答えると、珠希は笑いだした。
「なにそれ」
そういいながら珠希は笑ってる。
「だから、とにかく、珠希はかっこいいってことっ」
なんで笑われているのか分からなくて、僕は苦し紛れにそう言い捨てた。
「希」
すると、珠希の手で髪の毛をかき回された。
そうされても、今は前みたいなおどおどする気持ちはなくって。すっごく安心する。
ここ数日、僕は学校に入学して以来っていっていもいいくらいに、穏やかで幸せな日々を過ごしている。
アユは、前みたいに普通に戻ったし、僕と珠希のことを本当に喜んでくれてるみたい。
クシュンッと隣で珠希がクシャミをした。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
そう言って珠希は微笑む。
だけど、なんとなく僕は珠希の頭を撫でた。
「なんか、僕キャラじゃないから。そういうふうにされるのって慣れてない」
そう言うと珠希ははにかんだように笑った。
「じゃ、これから僕がいくらでもしたあげる」
「希。それ、かわいすぎ」
そう言って僕が撫でていた腕を掴んで離すと、僕を抱き寄せた。背中に、珠希の熱を感じる。
「ちょっとこうしててもいい?」
僕は頷いた。
まただ。
珠希が耳もとで囁いて、僕はまだ自分が知らない世界に落ちて行くような感覚を味わった。
「はあ……」
珠希が深いため息を漏らして僕を抱き締めている腕に、より一層力を込めた。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
そう言うけど、なんでもないのにそんな溜め息とか……。
僕は心配になって珠希を振り返ろうとした。けど、珠希は強い力で僕のお腹に腕を回していて、体ごと振り向くことが出来なかった。
「たまき?」
「うん、ちょっとこのままで」
結局珠希がどんな顔をしてるのか見えなくって、僕は黙って状況を受け入れた。
少しじっとしていると、珠希がふっと息を吐き出したのが分かった。腕の力が緩まる。
僕はすぐに珠希を振り返った。
「珠希、どうしたの?」
でも、珠希はいつも通りの微笑みで僕を見ていた。
「ん?」
そう言って覗き込まれると、逆に今度は僕がどきどきして挙動不振になってしまう。
「たまき。どうしたの? なんか悩みあるん、だったら、僕聞く」
顔が赤くなっているのを感じながら、僕は一生懸命言う。
「んああう……」
僕がそう言ったのと同時に、珠希が僕に飛びついてきた。
「え、あわ、なに? なになに? どうしたの?」
僕はびっくりして、珠希の胸の中で固まっていた。頭の上で珠希の声がする。
「我慢したのに、希は、もう」
「え? どういう意味?」
なんとか珠希の腕をくぐり抜けて顔を出すと、すぐ側に珠希の顔があった。
僕を、見てる……。
珠希の目が真剣で、僕は合った目を離せなかった。熱っぽい、あの日見た目だ。
「希、好き」
「うん、僕も。好き」
珠希の手が僕の耳の横の髪に差し込まれる。
珠希の顔が近付いて来て、僕は目を閉じた。
ゆっくりと、舌を絡め合う。
珠希の舌が僕の歯列をなぞる。突き上げるような感覚が僕を襲う。
もう壊れそうなくらい、心臓が速く打っている。
ぞくぞくする感覚に飲み込まれそうで、僕は恐くなって珠希のシャツをぎゅっと握りしめた。
こういうキスをするのは、まだ2度目だ。
ぽつっと顔に水滴が落ちて来た、気のせいだと思っていたけど、それがだんだん多くなった。
雨だ……。
ぼんやりとした頭でそう思ったけれど、珠希も僕も、離れようとはしなかった。
少しして離れると、またお互い息が上がっていた。
珠希の髪が濡れていて、黒い髪がさらに漆黒に輝いている。前髪がめがねにかかって邪魔そうだったから、僕は手をのばしてかきあげた。
「希い、苦しい」
そう言って珠希が僕にもたれ掛かって来た。
「え? 大丈夫? 珠希」
「大丈夫じゃない。やばい。どうにかなりそ」
「え? うそ、どうしよう。保健室行く?」
珠希は僕の肩に顔を埋めている。そういうふうにされるのは初めてだったけど、僕はいつも珠希がしてくれるみたいに背中を撫でた。
「違う、そういうのとは違う」
珠希がくぐもった声で言う。
「え? じゃ、どういう」
「希やばい。僕が苦しくなるくらい、エロい」
「へ? は、へ、えええ」
え? ……ええ?
僕が思考停止状態に陥っていると、珠希が体を起こした。
「あ、ごめん、僕そんなこと言うつもりじゃなかった。思ってること口から出ちゃった」
いつもと変わらない笑顔でにっこり珠希が笑うから、そっか、言うつもりじゃなかったんだ。
って納得しようとしたけど、そういうこと、珠希考えてるんだ??
僕は、逃げ出したいようなしがみつきたいような、よく分からない気持ちになって、そわそわおどおどし始めた。
「あ、の、珠希」
「ごめん希。大丈夫。突然襲ったりとか、絶対そんなことしないから安心して。そんな顔しないでよ」
そう言って珠希は柔らかく笑う。珠希がそう言うんなら、きっとそうだって安心できた。
それに、珠希とならなんにも恐くない。
「うん」
「けっこう濡れちゃったね。風邪ひかないうちに、帰ろうか」
「うん」
気がつかなかったけど、ふたりとも相当雨に濡れていて、抱き合っていなかった背中側のシャツが体に張り付いていた。
それでも、こんなにも濡れるともう急ぐ気にもなれなくって、ゆっくりと手を繋いで帰った。
「久慈くん、ちょっといいかな」
寮の玄関ホールに入った時、管理人さんが珠希を呼び止めた。
「はい」
僕にはあんまり聞こえなかったけど、なにか大切なことみたいだった。
「ちょっとすみません……希、もう部屋に戻って。ちゃんとお風呂であったまるんだよ?」
珠希は管理人さんとの話の途中で僕の側へ来た。
「え、珠希は?」
「僕はこれからちょっと仕事になりそう。また後で。夕食の時に」
「うん、わかった。じゃあまた後でね」
そう言うと僕はエレベーターホールへ向かった。
少し振り返ってみると、珠希と管理人さんは難しそうな顔で話し込んでいた。
寮長って。大変そう。
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