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六月二十日、午後六時
その日は土曜日で、朝から叩きつけるような雨が降っていた。天気予報では降水確率零パーセントだと言っていたはずなのに、そんなの知ったこっちゃないとばかりに、灰色の空は恵みの雨を大盤振る舞いしている。
夜になっても弱まらない雨の中、間宮千香は一人、服を濡らしながらコンビニエンスストアに向かっていた。紺色の膝丈ワンピースが、水を吸ってどんどん重くなる。風が斜めに吹き込んでくるので、傘が意味を成さない。
私鉄の駅を降りてから、アパートと一軒家が並ぶ住宅街の間を縫って目的地に向かう。
こんな雨の中、メイク落としと化粧水を買いに行かねばならない。自宅に忘れてきてしまったからだ。
一日くらい手入れを忘れたってどうってことないと千香は思っているけれど、これから彼氏の家に泊まりに行くので、そうも言ってられない。スキンケアを怠ったことを彼に知られてしまえば、「女子力が低い」だの、「若さにあぐらをかいてはいけない」だのと鬱陶しく偉そうに説教されるに決まっている。想像するだけで苛々した。
自分の迂闊さに歯噛みしつつ、千香はコンビニへ一歩一歩、着実に進んでいく。こんな悪天候なので、車通りは少なく、徒歩の人間は千香しかいない。はずだった。
紺色の大きな傘。
暗闇の中で浮き上がるほどに白いワイシャツと、
闇夜に溶け込むほど黒いスラックス。
極めつけは、目に刺さるほど濃いピンクの花束。
向かいから雨に打たれながら背筋を伸ばして歩いてくるその男は、まるで今からプロポーズでもしに行くかのような、整った装いだった。ただ、肝心の服も髪も、雨に濡れて台無しになっている。水も滴る良い男とは言うけれど、びしょびしょの姿でプロポーズをしても断られるだけじゃないだろうか。千香は疑問に思いつつ、異様な風体の男から目が離せなかった。
千香はすれ違いざま、男の顔を盗み見る。
雨に遮られた視界のせいか、男の顔は朧気にしか見えない。それでも知り合いかどうかくらいは分かる。驚いたことに、千香にとって、この男は前者だった。
「沢木さん……?」
男は千香の呼びかけに足を止めたが、振り向きもせずに歩みを再開した。後ろ姿が、大きな雨粒と細かな水飛沫にかき消されて見えなくなる。
後を追おうとする千香の行動は、濡れて足に纏わりついたワンピースに阻まれる。
男は千香を無視したのだから、別人だったに決まっている。それに、まずは自分の用事を済ませることが先決ではないのか。
髪の毛を弄ぶ湿気も、靴の中に浸み込む水の感触も、千香の思考に干渉してくる。それがあまりにも鬱陶しくて、早く解放されたくて、千香はコンビニへの道を急いだ。
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