六月二十日、午後六時

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 コンビニの中に入った途端、じめじめした湿気が嘘のように消えてなくなり、代わりに冷気が体を粟立たせる。  千香は、種類の少ないスキンケア商品の棚を見ながら思考を巡らした。考えるのは勿論、先程すれ違った男のことだ。傘と雨に遮られていたけれど、やはり彼は沢木であったような気がするのだ。    沢木陽次郎。千香が家族と暮らしているマンションのお隣さんだ。  年は三十代半ばでありながら、明るさとエネルギーに満ちており、ギリギリお兄さんと呼べるくらいの若さを保っている人だった。千香は毎朝高校に向かうとき、仕事に赴く彼と挨拶を交わしているので、顔を間違えるはずはない。本人だ。彼は、千香の呼びかけに足を止めたのだから。  彼が千香を無視した理由は分からない。彼には二十代前半の若い妻がいる。花を渡す相手が彼女だとしても、自宅から私鉄で三駅先の、都会とも田舎ともつかない住宅街を歩く意味が見いだせない。確かにこのコンビニの近くにも花屋はあるけれど、わざわざこの付近で調達するのは不自然だ。  今日は不可解なことばかりだ。真逆の結果を叩き出した天気予報。正装で花束を持って大雨の中を歩いていった隣人。誰かに話したい気持ちでいっぱいだった。  雨はまだ降り止まない。むしろ勢いを増している。千香は説明書きを見もせずに商品を二つ取り、レジに向かった。
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