六月二十一日、午前九時

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「……分かり、ました。ありがとうございます」  翠は丁寧にお辞儀をして、踵を返した。千香は嫌な予感に襲われる。翠は夫を探しに行くつもりなのではないか。余計なことを言うんじゃなかった、と千香は後悔する。  母も同じことを考えたようで、彼女が自宅へ戻った後も暫く外の様子を窺っていた。扉の開閉音が聞こえた途端、母が外に出る。千香も後を追うと、翠と母が揉み合っているのが目に入る。慌てて止めに入った。 「沢木さん、旦那さんが心配なのは分かるわ。でも、あなた身重なのよ。出先で何かあったらどうするの。それに、こんな雨の中、長時間も外に出たら体に障るわ」 「ただ買い物に行こうとしただけです。間宮さん、気にしすぎですよ」 「ただの買い物で雨合羽を着るものなの? 移動は車なのよね?」 「……あ、雨合羽派で……」  母に肩を掴まれて、翠は目を泳がせていた。傍から見ても嘘だと分かる。  母の言うことは最もだと千香も思う。彼女の平らなお腹の中に命が宿っているのが本当だというなら、遠出して体調が急変した場合、取り返しのつかない事態になる。  どうして沢木は、そんな状態の妻を置いて行方不明になったのだろう? 彼女の言い草だと、沢木は昨夜何処へ行こうとしたのかも妻に伝えていなかったようだ。少し寄るところがあって、そこで不幸な事故に見舞われたのかもしれない。  けれど、あの大雨の中ですれ違った沢木が抱えていた、異様に鮮やかなピンクの花を思い出す。絶対何か異変があったはずだ、と千香は確信していた。
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