六月二十一日、午前九時

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 駅に着くと、翠は家の最寄り駅とは別の路線に向かっていく。理由を聞こうにも、どう切り出せばいいのか分からない。ただ黙って後からついていくことにした。  翠は十駅先の××駅まで行く切符を選んだので、千香も同じものを買った。電車に揺られながら、灰色の景色を眺める。窓に叩きつけられる雨の音が煩くなっていく。  携帯で、これから向かう駅のことを調べた。海岸が近く、バスで二十分の所に海浜公園がある。  翠は、千香が調べた停留所でバスを待った。雨脚が強くなってきたせいか、バスの到着時間は十分も遅れていた。千香はその間に、やっとのことで口を開いた。 「……あの、どこに向かおうとしてるんですか?」 「あの人のいるところ、見当が付いたの。あなたの話を聞いたときから薄々勘付いていたんだけどね」  翠が降りたのは、海浜公園よりもずっと先の停留所だった。千香は海浜公園と聞いて砂浜を想像していたのだけれど、海際には岩と草と木が無造作に連なっていて、海が絶壁にぶつかる音が雨音にかき消されていく。  こんな悪天候でなければ、太陽光を受けて輝く海を見られたのかもしれない。実際は風が吹き荒れていて、空も海も彩度を失っている。 「こんなところに沢木さんがいるんですか?!」 「……あそこ」  翠の指さす先は、遠くの切り立った崖だった。誰もいない。不可解さと恐怖が一気に増幅して、千香は翠の腕を掴んだ。 「今は誰もいないけど、昨日はあの人がいたはずよ。此処は一年前、日吉(ひよし)有江(ありえ)が身を投げて死んだところだから。まだ、彼女の遺体は上がってきてないの」  日吉有江。それが沢木の愛する人なのだと千香は理解した。  彼女は今、海にいる。色彩を失って荒れ狂う灰色の海の底に。  恐らくは沢木もそこにいる。全てが手遅れだったのだ。      
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