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 あれはもう、三ヶ月近くも前。    ◇ 「 ふーん。 君が主人公やるんだ 」  夏休みの直前だった。  期末テスト明けに開かれた配役ミーティングで部員それぞれに演じる担当人物が決定した日、先輩は 『 この世にこんな下級生いたのね 』 と言いたげな表情で僕に近寄って来ると、 「 ふーん。 ほほう。 へー。 ふむぅ 」  みたいな声と一緒に時々爪先立ったり前かがみになったりしながら、僕の体のかなり近くを尋問(じんもん)前のゲシュタポ風にゆっくり一周した。  ランナー用の青い極細カチューシャが、セミロングより気持ち長めにした先輩の深黒い髪を飾り気なくまとめている。 肌は遠めにうかがい見ていた時の勝手なイメージとは違って意外に少し日焼け気味で、それが活発そうな眉と、知的なラインを描く鼻梁(びりょう)の陰影を明るく健康的に際立たせていた。  やがて先輩はくすっと笑うと僕の正面で向き合い、値踏みするように少し首を傾げてから、さらにぐっと一歩、間を詰めて来ると眼と眼を合わせたまま 「 それじゃ別れのキスシーン、私は君としちゃうってことね 」 ─── 何げなさそうに、パイナップルミントの息でボソリとつぶやいた。  キスシーン。  は。  キス。  HA ?!    キ ー ス ー シ ー ン っ ?!  緊張で少しつっかえ気味によよよろしくお願いしますと言いかけていた僕はそのひと言にびっくりして、思わず挨拶の言葉を飲み込んで先輩の唇を凝視してしまう。  あーっ、そうだそうなのそうだよそう言えば、と今さらだが思い至る。 この劇って、主人公とヒロインがキスするとこあんじゃん ‥‥‥ ! !  て事は ! するのキス ?!  そこは最も有名なシーンだ。  戦場へと(おもむ)く主人公と故郷に残されるヒロインが、別れ際に初めての口づけを交わす場面だった。 物語前半のエピソードはその瞬間に向かって収斂(しゅうれん)して行き、後半においてはそれを感情的背景として登場人物たちが終幕へと導かれる。  映画化された作品のポスター類などは、ほとんどがそのシーンをモチーフとしてデザインされているはずだ。  極論(きょくろん)するなら、これは恋人たちがキスして戦争して泣ける劇ですよと言ってもいいかもしれない。  キィス ‥‥‥ っ ‥‥‥ !  あせりまくる僕の反応をちょっと楽しそうに見守っていた先輩は、いかにも年上のお姉さん然とした余裕ある態度で気づかうように微笑んだ。 「 本当にキスするわけじゃないよ。 私と君は抱き合ってからくるっと回って、少し角度を変えるの。 私は、客席に背中を向けて立つ君の後ろに隠れる事になってるわ 」  えっ ‥‥‥ 。 ‥‥‥ じゃ ‥‥‥ なんちゃってキス ? エアキス? フェイクキス ? 嘘キス ? VRキス ? 「 がっかりした ? 」  あれ。 なんか今の会話であっという間に上下関係が確定してしまった気がする。 まあ最上級生ヒロインと低レベル一年の僕の立場じゃ、それが当然ではあるんだろうけど。 「 ねえねえ、がっかりした ? 」  先輩、容赦なく追撃。 格闘ゲームとか強そうだなこの人。  自覚できるくらいポカンとした顔からなんとか復帰した僕は平静を装って、いえ別に ‥‥‥ と応じるのが精一杯だ。 その言い終わりに先輩の大人感アップな 「 フフっ 」  が(かぶ)せられて、上下ギャップはさらに広がった。 うう、年齢的にはたった二年なのに。 「 『 いえ別に 』か ‥‥‥ 。 凡コメントだね。 君って、とことん普通なタイプの一年生。 でも、」  でもそういう性格の方がこの役には合ってるかもしれない、頑張るのよ、と言い置いて、先輩はくるりスタスタと去って行く。  ま、高校生の部活演劇だしそんなもんだろうな、と僕は納得し、肩すかし感と安堵とパニック恥と草原号泣疾走欲求をやわらげるため、心の嘘記憶に 『 知ってたし 』 と付け加えた。  なんちゃってキスかあ ‥‥‥。  いえ別に、いいんですけど。 知ってたし。  
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