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【 30 】
言葉を重ねつつ、先輩と僕は歩み寄っていく。 想いを託した声が交わされるたびに相手へと歩を進め、舞台の中央で、ついには互いの息がかかるくらいにまで、二人を隔てる空間は狭まろうとしていた。
わずかに上気した表情で何かを問うように見上げてくる先輩の顔が、すぐ目の前にある。 観客は息を潜めてその身を席隅に沈め、固唾を飲んで二人が結ばれる瞬間を見守っている。
そして、演出のきっかけとなる最後のセリフを、ヒロインを受け止めるために両腕を広げた主人公が強く大きく語りかける。 それは愛の囁きではなく、誓いの叫びだった。
『 たとえ命尽きても、私の愛は、決して君の心を離れはしない ! ! 』
◇
その言葉が放たれるのと同時に、総暗転の手順に従ってすべての照明機器から一斉に光が消えた。
今、舞台だけでなく講堂全体が文字通り墨のような暗黒の底に沈みきっている。 練習通りのタイミング ─── 成功だ。
それに応じて音楽が砲撃の効果音に取って代わり、徐々に大きくなって、悲恋の先に待つ戦争の無情さを訴える。 慎重に計算されたナレーション付きの音響と選曲が功を奏して、突然訪れた暗闇に包まれても客席からはざわめきや混乱は起きなかった。
曲調がメインフレーズに入って盛り上がるその間に、僕と先輩はあらかじめ舞台の中央部から数歩離れておき、次のセリフに入るタイミングを測って照明の再点灯を待つ。
‥‥‥ そうなるはずだった。
◇
しかし先輩の顔も息吹きも、僕の前を去りはしなかった。そうする代わりに、僕が広げた腕の中に先輩はふわりと体を預けると、その唇はためらいを感じさせないまま進み続けて、やがて僕の口元にそっと、溶けるように押し付けられた。
僕は驚きのあまり、何もできない。びっくりして反射的に飛びのくこともできたはずだが、足は一歩も動かなかった。
二人はごく自然に、お互いの背中に手を添えて、じっと支え合っている。
誰からも見えない闇の中で、僕たちは抱き合ったまま、本当の口づけによってそのシーンを演じていた。
完璧なキスシーンを。
◇
気がつくと音楽はフェードアウトして、剣戟と弓鳴りの残響に軍馬の不規則な喧騒が加わり始めていた。
場面が変わる。 劇が進もうとしている。 少しだけくらくらする頭の中で、夏の残像と共に主人公のセリフが瞬いた。
それは僕の言葉ではないけれど、僕に発されるのを待っている。
ヒロインはそれを耳にし、先輩の姿で応えてくれるはずだった。
◇
ゆっくりと先輩の頬が離れて行く。 柔らかな感触を失った僕は我に返り、慌てて腕の力をゆるめた。
しなやかな体が微笑むように消え退いて、温かさだけを残したまま真っ暗な中で数歩下がって行く気配がする。
劇。
劇に。 劇に ‥‥‥ 戻らないと。
一人になった僕はセリフを発するために、自分でも驚いてしまうほど大きく息を吸い込んだ。
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