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 読み取りづらい複雑な表情をしていたが、一瞬泣きそうに歪んだ瞳は見間違いだろうか。 (――いや、あれは泣くのとは違うか)  ニーシャと顔を合わせるなかで、彼女は感情か言葉か、そういった内面の〝とある何か〟を耐えるように瞳を揺らすことが、何度かあった。仕事や海の先にある他国の話をしたとき、たまに表情が変わることがあった。瞬きの間にその変化は消えていたから、きっと彼女はサルヴァが気づいているとは思っていないだろう。  家業に嫌気がさしているわけでも、修行の身に焦れているわけでもなさそうだった。海の話、町の外の話を避けるべきかと考えても、彼女から話を振ってくることもある。  何を抱えているのか、サルヴァにはわからなかった。わからないが、だからといって無理に聞き出すような真似はしたくない。  軽いため息と共に、頭をガシガシと掻く。 「どうすっかなあ……」  晴れ渡る空に、サルヴァの途方に暮れた声が吸い込まれた。  ***  山を下りたニーシャは帰路につく。急勾配な階段を下りて市街地の裏通りに出ると、自宅に向かって進む。店や住宅の裏口側であるため人通りは多くないが、離れたところから、空気を伝って人々のざわめきが届く。  この、ほどよい静けさをニーシャは気に入っていた。最近では早朝よりも昼間に通うことが増えて、朝の清涼感ある静寂とは異なるこの雰囲気が心地好くなっていた。心が明るくなるのが自分でもわかる。……それはつい先ほどまでの楽しい時間があるからこそ、かもしれないが。  偶然出会った青年、サルヴァ。深い深い海のような紺碧の髪に、紫がかった夜色の瞳。重く落ち着きのある色合いに対して、本人はどこか愛嬌があり、終始明るく穏やかな空気を纏っていた。懐に入るのが上手いようで、初対面にもかかわらず、ニーシャはなんの抵抗もなく同じ時間を過ごすことを受け入れていた。特別柔らかな口調ではないけれど、暖かく優しさを感じる声を聞いているのが好きだった。  ニーシャは元々口数が多い方ではない。けれど、急かされることなく強要されることもなく、ただ純粋に彼との会話を楽しめる時間をとても気に入っていた。  ニーシャは足取り軽く石畳を踏んでいく。  昔から、友人は少なかった。周囲に年の近い人間は少なく、幼い頃は共に遊んでいたらしいが、記憶に薄い。いつの頃からか遠巻きに見られるようになり、関係を築こうにも何本もの線を引かれ、距離を縮めることができなかった。虐められることはなくても、一定の距離を置かれる。そのことに、初めの頃は傷付き、母親の胸で泣くこともあったが、口数が少ないだけでなく口も上手くなかったために、話かけることもままならず、早々に諦めてしまった。  年齢が二桁になって数年経ったとき、自分の容姿が原因らしいことをなんとなく理解したが、その頃には特段『友人』という存在に興味はなく、容姿を変えることもできないため、どうにかしようと動くことはなかった。今思えば、社交性の低い性格を理由に変わろうとしなかった自分にも一因はあるのだろう。ただやはり、わかったからと言って今からどうこうしようという気は起きなかった。そのための気力は湧かず、魅力も感じない。昔からの顔馴染みとして、顔を合わせれば挨拶はするが、未だに奇妙な壁を感じるし、今更親密になりたいとも思えなかったのだ。  だから、サルヴァとの時間が新鮮だった。会話は楽しく、重ねる時間が心地好いと感じている自分が意外だった。友人という存在によって、こんなにも気分が明るくなるのか、と。  そのサルヴァが、ニーシャの作品を直に見たいと思ってくれたのだ。そのことに嬉しさと気恥ずかしさを感じたが、ならば下手なものは見せられない、と先ほどから頭の中で自作の装飾品の数々を浮かべては確認していた。  店に来れば、とは言えなかった。言いたくなかった。サルヴァという友人ができたことは、できれば誰にも知られたくない。ニーシャにとって、二人で過ごすあの時間は、失いたくないほどに大切だった。 (……〝友人〟をいちいち報告する必要はないもの)  誰に言うでもなく、言い訳染みた言葉を胸中でこぼす。ふと、脳裏に人影が浮かんだ。ニーシャは頭を振ってその像を消し去ると、石畳を踏み込んで裏通りを駆け抜けた。  自宅でもある装飾店に着いたニーシャは、母と店番を交代した。接客の合間に装飾品の制作に取りかかり、そうして余計なことを考えず没頭していれば、閉店の時間まではあっという間だった。 「ニーシャ」  夕飯時、父が不意にニーシャを呼んだ。やけに静けさを含む声に、ニーシャは食事の手を止める。目を向けた先の父が、穏やかな空気にそぐわない真剣な表情をしていた。その隣の母は、何故か気遣わしそうにニーシャを見ている。あまり良い知らせではなさそうだ。
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