02

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 翌日。サルヴァは早朝の山を登っていた。  朝霧で薄暗い山中は、通い慣れた道とはいえ梅雨で滑りやすくなっていて、いつもと少し勝手が違う。ひんやりと冷たい空気で満ちている。まだ獣も活動を始めていないのか、静寂が耳を打った。  人によってはこの雰囲気に呑まれ、不気味さと恐れから歩みが遅くなるところだが、サルヴァにとっては時間帯こそ違えど馴染みある山に変わりはないため、足を鈍らせることなく登っていく。  目的地に着くと、そこにはすでにニーシャがいた。昨日と同じように、こちらに背を向けて石柱の天辺に座っている。  サルヴァが外壁の塊へ歩み寄ると、草を踏みしめる音に気づいたニーシャが振り向いた。鮮やかな海色の毛先がさらさらと彼女の背中で揺れる。 「はよ、ニーシャ」 「おはよう、サルヴァ。ちゃんと起きられたのね」  からかいを含んだ笑みを見せるニーシャに、サルヴァは「はは……、なんとか」と濁す。 ちゃんと起きたと表現するには些か時間がかかっているのが実のところである。一度意識は浮上したが抗えず――抗った記憶もなく――二度寝をしていた。万が一を考えて目覚まし時計を二個用意しておいて良かったと安堵したのは、つい数十分前のことだ。  外壁に腰を下ろしたサルヴァは、夜明けの光を浴びる町を見下ろす。ほんのりと白む景色と清々しい空気に、ぼやけた怠さが体から抜けていくのを感じた。 「はー……気持ちいいな」 「目も覚めるでしょう?」 「ああ、バッチリ」 「……無理しなくてもいいのに、来てくれたのね」 「ん? そりゃ来るよ。昨日約束したし」  伸びをしていたサルヴァは笑いをこぼした。サルヴァ自ら早朝に来ることを決めたのだ。それでも申し訳なさそうに眉を寄せる彼女は随分と他人を思いやる性格のようだ。 「でも、さすがに毎日は無理かもしれないなー。仕事中に居眠りしたらやばい」  自分で口にしておいて、頭に浮かんだ予想図にサルヴァは身震いした。雷が落ちるどころか、命の危機だ。  ニーシャも、顔が引きつったサルヴァに何かを察したのか、ふ、と息を吐くように笑うと「体を尊重しないとね」と、おかしそうに言った。 「今までどおり、お互い気の向くままでいいんじゃないかしら。私も、日中来られそうなときに来てみるから」 「だな。ま、早起きに慣れるに越したことはないから、ゆるーく続けるよ。いろいろと時間も作れるし」 「そうね。――こういう自由な時間は、すごく大事」  朝の空気に溶け込む小さな声に、サルヴァは濃紺の瞳でニーシャを見上げた。朝日にきらめく海面をまぶしそうに見つめる横顔へ問いかける。 「俺がいてもいいのか?」 「駄目だったら手を取らないわ。あなたがいても、自由に変わりはないから大丈夫」 「そっか。ならいいんだ」  サルヴァが安堵したところで、彼女が上から覗き込むように少し身を乗り出した。 「サルヴァ、朝ご飯は食べた?」 「ん、いや。まだだよ」 「じゃあ、一緒にどう?」  ニーシャは、突然のお誘いに目を瞬かせるサルヴァを一瞥してから、軽やかに地面へ下り立った。ひらめく絹のスカートからサルヴァが咄嗟に顔をそらしたのは言うまでもない。  「下りるときは言ってくれ……」ぼそ、と忠告するサルヴァに「気をつけるわ」とあっさりとした言葉を返したニーシャは、柱の陰から何かを持ち上げた。  籐で編まれた大きめのバスケットだ。  サルヴァの右隣に腰かけたニーシャは、バスケットに掛けられている布を外した。 「お。サンドイッチ?」 「ええ。一応あなたの分も作ってきたのだけれど……」 「食う食う! ありがとな」  サルヴァは差し出されたバスケットからライ麦パンのサンドイッチを一つもらう。パン二枚で野菜とハムを挟んだそれは、サルヴァには丁度よさそうな量だ。  ちらりと籠の中を確認すると、同じ大きさのものがもう一つ入っている。意外に彼女はよく食べるようだ。  サルヴァは「いただきます」と軽く頭を下げてから、本日の朝食を頬張る。  ――次の瞬間、「む!」と声を上げた。  もぐもぐと慌てて咀嚼し飲み込んでから、一言。 「うま!」 「……びっくりした。口に合った?」 「パンも野菜もソースもどれもうまい! ニーシャが作ったのか?」 「ええ。でも、ソースだけよ。買ったパンに、ソースと野菜を挟んだだけ」 「それでも、すごいよ。うまい」  サルヴァは頬張りながら感嘆の声を上げた。その反応に、ニーシャは照れくさそうに身を捩り、誤魔化すようにサンドイッチにかぶりついた。
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