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 鳶色の短髪を逆立たせた青年が快活な笑顔で入ってきた。三人目の事務員であるセンダだ。  サルヴァとカナンが口々に挨拶を返す中、センダは一目散に自分の机へ駆け寄りトレーを覗くと、書類の束にざっと目を通し始めた。  来て早々仕事に手をつけるセンダがあまりに珍しく、サルヴァとカナンは目を丸くする。何があった、と声をかけようとしたその時、センダの口から「はぁあああ……」と盛大なため息が漏れ出た。落胆してるようにも聞こえる。途端にカナンの眼差しが呆れた色を滲ませたのは気のせいではないだろう。 「なに、どうしたんだ? センダさん」 「聞かなくていいよぉ、サルヴァくん」 「聞いてくれるか!?」 「ほらぁ、始まった~」 「……ごめん」  掴みかからん勢いで振り向いたセンダに、思わずサルヴァの顔が引きつった。 「聞く、聞くから、カナンさんの紅茶入れてきていいか?」 「お、わりぃわりぃ! ついでに俺の分もよろしく!」 「りょーかい」 「いいよサルヴァくん、私自分で入れるよ逃げるのはずるいよ~」 「……本音が出てるぞ、カナンさん」  サルヴァが給湯室で動いている間もセンダの口は止まらず、その口から流れ続ける話に適当に相づちを打つ他二人という図は、この三人にはよくあるものだ。何度目かもとうに忘れた一夜の恋の冒険――の前日譚を事細かく語られ、サルヴァとカナンの中の彼の色恋事情事典が更新されていく。 「――要するに、定時で上がる前提で今夜約束したわけか。一方的に」 「それはもう、約束じゃなくて宣言だねぇ」  今日は難しいんじゃないかなあ、と躊躇いなく現実を口にするカナンは明らかに興味がなく、紅茶を飲みながら壁掛け時計に目をやっている。もうすぐ業務開始だ。  朝時点での業務量の多さから、順調に進めても定時は呆気なく超えることは容易に想像できる。それは、サルヴァより経験が長いセンダにも言えることで、追い打ちのようなカナンの一言で諦めがついたようだ。「さらば、俺の春の花……」と机に突っ伏した先輩に、サルヴァは苦笑する。つい一ヶ月前は『雪の華』との別れを惜しんでいた気がする。  そのとき、パンッ、と乾いた拍子が空気を切った。 「はーい、仕事ですよー。センダ、いつものことなんだからさっさと切り替えなさぁい」 「ひっどい!」 「いいからさっさと手を動かす」  普段の緩さが消えたカナンにセンダのみならずサルヴァも若干顔を青くさせる。確かに暢気に和気藹々としてる場合ではない業務量だ。サルヴァとセンダは揃って背筋を伸ばした。  それからの時間はたまの息抜きに一言二言会話をするのみで、後は書類の処理や在庫確認、飛脚船の手配に関所への証明書申請など、手分けできるものは分担しつつひたすら頭と手とついでに足を動かして仕事を捌いていった。仕事の流れは変わらないが、一昨日までの悪天候の影響で普段よりも処理量が増えているため、息が詰まりそうな忙しさだ。  なんとか昼に一息つかないと、昼食にありつけないまま午後の忙殺時間が始まってしまう。それだけは回避したい、と午前分の追い上げに入っていたサルヴァは、力強く走らせていたペン先をシャッと払った。ころりとペンが転がる。  意味のない母音をため息交じりに吐き出すと、蓄積された疲労がどっと顔を出した。 「終わった……つかれた……」 「はぁー……甘いもん食いてぇ」  同じく区切りがついたのか、センダもペンを放り出して椅子の背もたれを支えに仰け反っている。喉も反って苦しそうな声色で落とされた言葉に、サルヴァはうなずいた。久しぶりの詰め込み具合に脳が糖分を欲している。  よっと掛け声と共に体勢を戻したセンダが、向かいの机に目をやってから壁掛け時計に視線を移した。 「カナンさん時間かかってるな」  思案げな声にサルヴァは、ああ、と思い出す。カナンが外へ出たとき、センダは倉庫にいたから行き先しか伝えていなかった。 「帰りにパン屋寄って、俺たちの分も含めて買ってくるってさ」 「お、ラッキー。じゃあもうすぐ戻ってくるか」
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