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第6話 拝月教②
彼女達の話によると、ソーマは緑の月の神の巫女で、信徒に不死の霊液・アムリタを授ける存在だとか。満月の夜だけに、本物の月と重なって現れる緑の月。それから零れるアムリタが、何処に落ちるかを告げられるのは、神託を受けられるソーマだけだという事らしい。
プールでの瞑想は、緑の月の神との交感を深める為だという。「これが全部アムリタなの?」という僕の問いに、巫女は「博士が作った実験用だよ」と応えた。新興宗教にありがちな、疑似科学の類だろうか。
ソーマの前では話さなかったが、海南江は、拝月教の教祖である月詠に雇われた、用心棒らしい。緑の月の神の力を狙うアスキスから、巫女であるソーマを守っているという話だ。
「人が誰かに復讐を考えたとき、例えその全てを懸けたって叶わない事がある。このセブンライブスは、そんな時の為にある銃さ。命を捧げ、憎い相手を必ず殺す。あたいはその代行をしているだけさ」
割が良かったから依頼を受けたという銃使いだったが、そう語る時の瞳には暗い炎が見え隠れしていた。この人も自覚したうえで人殺しをしている以上、他人には語れない過去があるのだろう。
「ねえ、見てるだけじゃつまんないでしょ。奏氏も泳がない?」
瞑想を終え泳いでいたソーマが、プールサイドに腕をかけ、上目遣いで覗き込んできた。初対面の時もそうだったが、どこか探るような気配が感じられる。
「うん? ごめんね。水着とか持ってないし」
だいたい僕は泳げたのか? プールに入ってから確認するには、5mの水深はちょっと怖い。
「女の子の誘いを、無下に断るモンじゃないさ!」
笑いながら僕の腕を取り、椅子から引き起こす海南江。
「ちょ……待っ!?」
そのままプールに蹴り落とされる。
混乱してもがくも、プールの縁に手が掛からない。服を着たままなせいもあるだろうが、水とは比重が違うのか、身体が浮きにくい。薄紅色の景色の中、少女のしなやかな肢体が、慌てる僕をからかう様に、自由に泳ぎ回るのが目に入る。
(ああ、やっぱり。初めまして、ニャ●●●●ップの端末。ちゃんと見ててね)
ソーマの声が響いてくる。アムリタの中で、喋れるはずは無いのに。
(教団のみんなだけじゃなく、この街中、この国中、この星中の人たちと一つになるんだから)
ごぼりと吐き出した空気に代わり、アムリタが肺に浸入する。イルカのように楽しげに泳ぐ、幼い巫女の託宣を聞きながら、僕の意識は闇に落ちた。
§
「大丈夫? ごめんね」
幼い少女の声で気が付いた。大きな瞳に、心配そうな色を浮かべたソーマが覗き込んでいる。
「大丈夫だって、ソーマ。あたいが応急手当したろ?」
気楽そうな海南江の声に、思わずマウス・トゥ・マウスを連想して唇に手を当てるも、胸に乗せられたままのブーツが目に入る。
「……とりあえず、足退けて下さい」
悪いねと、まるで悪びれた様子もみせずに、僕の胸から足を下ろす銃使い。ひどい。せめて手で処置してくれるくらいの気遣いはないのか。びしょ濡れだ。鞄は魔弾に襲われた時に落としたきりだから、着替えの用意があるはずもなく。
「タオルと着替えは用意しておいたから」
白いバスタオルを差し出すソーマ。ああ、労わりの落差に涙が出そうだ。とりあえず、礼を言って受け取る。
「……ありがとう」
「濡れた服は洗って乾かしておくから、明日取りに来ると良いよ」
「明日?」
また此処に来いというのか!? なんとか理由を付けてクリーニングを辞退しようとする僕に、ソーマは笑顔で応えた。
「うん。明日は翠月祭だから」
§
明日の夜、拝月教は祭りを開くらしい。街中に貼られていたポスターは、それ告知するための物だったようだ。ソーマたちと別れ、明日の夜に備えて慌しい施設内の廊下を歩いていると、
「見ない顔だな。見学者かね?」
いきなり背後から声を掛けられて驚いた。
白衣に身を包み、分厚いレンズのメガネを掛けた40絡みの男。手足がひょろ長く、身長もそれなりにあるのだが、恐ろしく姿勢が悪いので威圧感は少ない。
「あ、はい。教団の方のお話を伺って、今から帰ろうと……」
怪しまれないよう、星審学園の生徒だと説明する。……却って怪しまれたか? ようやく解放されたというのに。正直早くこの建物から離れたい。
「ふむ。星審の生徒か」
僕の顔を繁々と覗き込み、しきりに顎を擦っている。何とも居心地が悪い。
「来たまえ」
男は僕の返事を待たずに歩き出す。人の話を聞かないタイプだろうか。正直これ以上この施設にいたくないんだけど……。ここは素直に従っておこう。
四畳半ほどの雑然とした部屋に通された。机の上には書類の山に試験管立て。何かの薬品の臭いがする。開いたままのドアから覗ける隣室は、どうやら研究室らしい。男は床にまで溢れた書類の山を、適当に隅に寄せスペースを作ると、僕に備え付けのパイプ椅子を勧めた。
「私は宮坂といいます。拝月教の……そうだな、顧問といった所か。君は?」
「……無有奏氏です」
「ふむ、そうか。やはりそうか」
長い指を何度も組み直しながら、一人得心する宮坂。
「君は神智学研究所という組織を知っているかね? 神を智る学問と書いて、神智学だ」
机の向こう、書類の山の間から宮坂が問う。
「神智学研究所……? いえ」
嘘だ。もどかしい。どこか聞き覚えがあるような気がするのだけれど。
「知らないはずが無い。無有君、君を保護した組織の名前だよ」
緊張が走る。この男は僕の事を知っているのか? 学者のようだから、関係者なのかもしれない。
発見された状況が状況だけに、漠然と国の防疫専門機関かと思っていた。そういえば、収容されていた隔離施設で何度か耳にしたように思う。しかし……神を智る学問?
「君を保護し検査した施設も、所属する学園も、おそらく後見人も。皆、多かれ少なかれ神智研に係わりを持つものだ。この無名都市は、取り分け彼らの影響の強い場所だと言えるな」
アスキスが口にした神智研というのはその組織の事か。かちりかちりと音を立ててパズルが組み上がって行く感覚。だが僕が抱くのは爽快感などではなく、薄ら寒い不安めいた違和感。
何処までが仕組まれた物なんだ?
この男は何を話そうとしている?
半ば影に沈んだ顔の中、分厚いレンズだけが蛍光灯の光を反射している。表情が読めない。
「神智学自体は19世紀のオカルティスト、エレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー夫人が提唱した物だが、神智学研究所は、彼女が設立した神智学協会とは間接的な関わりしか持たない。設立時の主要メンバーに、協会関係者が多く存在した事からその名を採ったに過ぎない。彼らは神の存在を信じている。いや、そう言うと語弊があるかな。訂正しよう。神の存在を認識している」
神の存在? 僕が巻き込まれた、街一つを滅ぼす事件を起こした宗教団体。アスキスの使う魔法めいた力と背後の異形。緑の月を拝む者たち。巫女。神を智る学問。神。神……?
「馬鹿げている、そう思うかね?」
僕の沈黙をどう解釈したのか、白衣の男は話を続ける。
「神などと表現して理解を妨げるなら、人をはるかに凌駕する存在だと認識すれば良い。それぞれ異なる起源を持つが、星々の海を渡り次元の壁を越えこの地球に顕現する。どれも単体で星の環境を作り変え、選択した種を次の段階に引き上げる程の力を持つ。まさに超越種だよ」
顔を上げ目を合わせてくる。分厚いレンズ越しの色素の薄い瞳は、奇妙なほど澄んでいた。
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