この世に、二人だけ

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「……しろよ」  彼はじっと床を見つめたまま……優子にその表情を見せぬまま、ボソリと呟いた。 「はあ?」  その言葉がよく聞き取れなかったせいもあり、優子は嘲るような口調でそう聞き返したのだが。それが彼の怒りに火をつけた。 「いい加減にしろよ、って言ったんだよ!」  彼はいきなり立ち上がると、手にしていたトレイを、ばん! と床に投げ捨て。優子を鬼のような形相で睨みつけた。くわん、くわん、くわん……と、床の上で丸い銀のトレイが力なく回転し。やがて、わわわわん……という静かな音を立て、力尽きたように動かなくなった。その間、彼はずっと優子を睨みつけていた。目から炎が飛び出そうな勢いだった。  しまった……! 優子は、自分が少しやり過ぎたことに今更ながらに気がついたが、もう遅かった。彼は優子の胸倉を掴むと、前後に激しく揺さぶり始めた。 「今まで、ずっと、ずっと! 毎日毎日! 俺が、どれだけお前に尽くしてきたと思ってるんだ? お前のわがままを聞き、言いなりになり! 全てを捧げてきただろう? それでも不満なのか? 不満なのかよ!」  がくがくと前後に体を揺さぶられ、その度にイスの背もたれに何度か後頭部を打ち付けながら。優子は、「彼」の突然の、そして余りの豹変振りに、驚くと同時に、ただただ唖然としてしまった。しかし、優子はこの時気づいた。いや、思い出したと言ってもいいかもしれない。  そう、これが彼の正体なのだ。今まで優子を気遣い、優しく接していたあの態度は、あくまで仮の姿に過ぎないのだ……! 今や彼の目はギラギラと燃え、手はブルブルと震え。その心の中に今あるのは、優子への憎しみだけなのだという事を表していた。それがわかった直後、優子は直感的に感じた。  あたし、この男に、殺される……!
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