この世に、二人だけ

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 彼は左手で優子の胸ぐらを掴んだまま、テーブルにキチンと並べられていたナイフを右手で持ち上げると。優子の頭上に、それを振り上げた。 「もうこれ以上、お前なんかに!」  その、時。  ぐわあああああん!  何か堅いものを殴りつけたような音が、激しく響き。ナイフを振りかざしていた「彼」の動きが、その形のままピタリと止まり。あたかも仁王像のように怒りの形相のまま固まった後、やがて、どさりと力なく崩れ落ちた。「彼」が崩れ落ちた背後に、今さっき彼の後頭部を力任せに殴りつけたイスを手にした、一人の男が立っていた。 「誠……」  優子がその男に語りかけた。それは今まで、今は意識を失い床に倒れている「彼」に優子が話しかけていた口調とはまったく違う、優しい、いとおしさを感じさせる口調だった。 「危なかった……」  その男も口を開いた。その口調もまた、いとしい者に語りかける口調だった。誠と呼ばれた男は、優子に近づき、腕のない肩をそっと抱きしめた。優子は目を閉じ、その身をまかせるように、誠の胸に自分の顔を埋めた。 「ごめん、今度はと思ったんだけど……」  誠は優子の髪を優しく撫でながら、今は自分の胸に身をゆだねている優子に囁いた。 「ううん、いいの。しょうがないもの……」  優子はそう答えながら、誠の顔を見上げた。ニ人はほんの少し見つめ合った後、お互いの唇を軽く合わせた。 「じゃあ、後片づけをするから……」 「うん……」  誠は優子に背を向け、床に伸びている「彼」のそばにしゃがみこむと、ズボンのポケットからカギの束を取り出し。その中から一つを取り上げると、「彼」の足についていた鎖を外し。「よいしょ」っとその体を抱きかかえ、そのまま部屋を出て行った。優子は「彼」の体を肩に背負った誠の後姿を見送り、ふう……とひとつ、深いため息を漏らした。
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