悪い子にはお仕置き

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 俺は唇を噛み締めて、階段をそろそろと上がると、ひとけのない廊下に出てほっとした。  あの階段の踊り場を目指す。  白樺祭とはいえ、何にも使われていない教室ばかりだ、あそこなら誰も来ないだろう。  本当は寮に帰って処理してから眠りたかったけど、寮までの距離ですらもう歩けそうにない。  しんと静まりかえった踊り場にたどり着いた瞬間、安堵でへたっと横になった。冷たい床が冷たくて気持ちいい。あーぬきてーよ、けどさすがにこんなとこじゃなー、それにティッシュとか持ってないし、汚れるよなー  俺はほどんど俯せの状態で、ぐったりとしていた。 「うっ」  また携帯のバイヴが体に響いてうめき声を挙げた。 「まじで勘弁」  携帯をぱかっと開くと、優哉じゃなくって、C組のさとちゃんだった。ああ、しばらく連絡取ってないな。  さとちゃんは好奇心の旺盛な子だから、今この電話に出てお願いすれば、すぐにここに飛んで来て上に乗っかってくれるかもしれない。  そんな悪魔の囁き。  や、だめだよ。俺生まれ変わるって決めたじゃん、そんなじゃあいつと一緒じゃん。  ここで休憩して一眠りすれば、きっと薬だって抜けるよ、な? うんそうだ。  俺は悪魔の囁きに打ち勝って、目を閉じた。  けど、いっこうに眠れそうにない。それどころか、時間が立つにつれさらに感覚が研ぎ澄まされて来て、産毛が逆立つような感じがさっきからずっとしてる。このままここにいてもどうにもならないかもしれない。そんな恐怖が頭をよぎる。  10分前、いや15分前ならまだ移動できたかもしれない。けど、今の俺はここで床と一体化したままで、もうどこにも移動できそうにない。それどころか、腕を動かすのさえつらくなってきた。  だめだ、まじでもう自分じゃどうにもできないかもしれない。  ぼんやりとする頭で一生懸命考えた解決策は、とにかく誰かに寮まで運んでもらうことだ。ふと、優哉の顔が頭に浮かんだ。  なんでだよ? こんな時に思い浮かぶのがあいつだなんて、それはありえない、絶対無い。  俺は震える手で携帯を握ると、順平にメールを打つことにした。あいつなら事情を知ってるから、勘ぐられたりする必要もないし、きっと俺をなんとか運ぶことだって出来るだろう。  そう決めて、おぼつかない指先で、ゆっくりとぽちぽちぼたんを押して行く。  送信しようとした瞬間、また携帯が震えて、俺は咄嗟にボタンを押してしまった。  ああ…なにやってんだ。通話中6秒、7秒……その表示が目に入って、しょうがなく俺は携帯を耳にくっつけた。 「修一、今なにしてるの?」  今、聞きたかった、ううん、聞きたくなかった声。 「……なんにも」  はっきりと発音したつもりだったのに、その声はかすれていてまるで甘えてるみたいだった。 「どうしたの?」 「……どうもしないよ」  まるで自分の周りの酸素が薄くなったように感じる。俺は深く息を吸って、胸一杯に空気を吸い込んだ。 「修一? 大丈夫?」 「……ん」 「修一?」  耳元でそっと囁くように俺の名を呼ぶ。その声、電話越しでも、すげえ腰に来るんだ。だから止めて欲しい。  何度目かの遭遇で、無理矢理携帯にアドレスと電話番号を入力された。  それを俺はなぜか消さなかった。  ただ、名前が表示されれば無視するのにちょうどいいと思ったからだった。  なのに、あいつはしょっちゅう俺に電話をかけて来る。ずっと無視を続ける訳にもいかず、何度かに一度、電話を取る。テレフォンセックスでもするつもりなのか、元からそういう声だったのか。電話を通して聞く優哉の声は、一層甘くて、俺の頭と体を刺激する。 「どうしたの? 修一、体調悪いの?」 「…ん……最悪だから、構うな」  先輩だってこともどうでもよくなって、俺はそう呟いた。 「どこにいるの?」 「どこでも……ん」 「修一?」 「名前、よぶな」  名前を呼ばれるたびに、腰が疼く。もう中心ははじけそうに張り詰めている。まじで、ほんとにどうしようもない。なんか、情けなくて泣きそう。  すんっ、と鼻をすする。苦しくて目が潤んでくる。正直、こんなにも自分に我慢を強いたのは初めてだ。  「修一? 大丈夫? どこにいるの今」  優哉の優しい声。分かってる、俺がそう思いたいだけ、今あいつがどんな顔してるのかなんて分かりっこない。でも、俺は限界で。 「……ゆうや」  優哉が息を飲んだのが分かった。俺が強制されずに名前を呼んだのは初めてだったから。 「修一?」 「優哉……助けて」  そんなこと、言うつもりじゃなかったのに。何言ってんだ、俺。  きっとあいつ、鼻で笑う。  そう思ったら、よけいにむなしくて悲しくて、悔しくって。まじで泣きそうになる。  それに気を取られていると、携帯がするっと手から滑った。こてんこてんっと階段を転がって、数段下まで落ちて行った。  けど、それを拾いに行く力も、俺には残っていない。  まだ、順平にメール送れてなかったのに……。  俺は今度こそ絶望的な気持ちになって、鼻をすすった。  あれからどのくらい経ったのだろう。  目を閉じると、意識を失いそうだ。でも、そうなるときっと自分でコントロールができずにこのまま無意識に欲を吐き出してしまう。それだけは、嫌だ。  薬の効き目は消えるどころか、一層感覚を研ぎ澄ませ、俺を快楽へ押し流そうとしていた。確実に俺の倍は薬を飲まされた希は、大丈夫だったんだろうか。  きっと、大丈夫に決まってる。あのふたりは。希と久慈先輩は、きっと愛の力でなんでも乗り越えて行くんだ。きっとこのトラブルも、ふたりの愛をより一層深める糧になる。  そこまで考えると、よけいに悲しくなる。  俺にはどうしてそういう相手がいないんだろう。  それは、作ろうとしなかったからだ。  打算的で、自分のことしか考えてこなかった、だから今こんなふうになってるんだ。  助けてほしい時に、誰を呼べばいいのかも分からない。今誰に触れてほしいのかも……。  そこまで考えた時に、また優哉の顔が浮かんで来た。  なんで?  ぱたぱたと階段を駆け上がって来る音がする。それが少し下のフロアからゆっくりと上がる音に変わる。近づいてくる……。 「修一?」  なんで? 「どうしたの?」  ぐったりと床に這いつくばっている俺の視界に入って来たのは、優哉だった。 「なんで…」 「助けてって言ったから」  ちがう、俺が聞きたいのは、なんでここが分かったか、だ。 「うっ…だめ、」  優哉が俺の頭を撫でる。それだけで、全身をぞくぞくっと電気が走り抜ける。 「修一?」 「優哉、寮まで連れて帰って、おねがい」 「修一、泣いてるの?」  優哉がすぐそばに座って俺を見下ろす。少し前から、もう汗だか涙だか鼻水だか分からないもので、俺の顔はぐしゃぐしゃだ。 「いいから、早く、」  優哉は不思議そうな顔で俺を見ている。そうやって、見られるだけでも今は過剰に反応してしまう。 「どうしたの?」  このサディストは、あくまでも俺が正直に話すまでは行動に移さない気だ。  それを察した俺はとにかく楽になりたくて、話すしかないと悟った。 「薬」 「薬?」  優哉が濡れた俺の頬を指先で拭うと、頬を手のひらで撫でる。 「んっ、触るな」 「ふうん、そういう種類の薬なの?」  優哉のおもしろがるような声。 「希が、飲まされて、それで、むかついたから、そいつに飲ませようとして……」 「それでどうして修一も飲むの?」 「無理矢理、ねじ込んでやろうとして…自爆」 「ふうん、キスしたんだ」 「んっ、」  ふいに頬を撫でていた手のひらが、俺の顔を強引に仰向けにする。首がねじれて痛いのに、今はそれすら体を熱くする要因になるらしい。  射抜くように見下ろしている優哉と目が合った。 「泣いてるとこなんて、初めて見た」 「やめて、」  俺は鼻をすすると、なんとか視線だけでも外そうと試みる。 「苦しいんでしょ、こういう時まで抵抗するなんて。ほんとかわいいね、修一。もっといじめたくなるな」  そう言うと優哉は俺の体に力を込めてごろんと仰向けに転がした。まじで体に力が入らない。されるがままだ。 「やめ、ろっ」  優哉なら本気でやりかねない。やっぱり、人選ミスだ、いや勝手にこいつが来たんだけど、でもこの状況じゃ大した抵抗も出来ない。 「や、まじで止めて」  俺は懇願するように優哉に呟いた。目を閉じると、新しい涙がこめかみを伝って行った。なんで泣いているのかなんてもう分からない。苦しいからなのか、こいつにむかつくからなのか。それともただ薬の副作用で感情の起伏が大きくなっているだけなのかもしれない。きっとそうだ。 「分かった」  目を開くと、いつになく真面目な顔をした優哉が俺を見下ろしていた。まるで表情の無い顔。 「そんなに泣かれる程嫌われてるとは思ってなかったな」  優哉は立ち上がる。え……  俺に背中を向けて、ゆっくりと階段を下りて行く。嘘だろ?  このまま放置する気かよ? そんな。それはやだ。まじで頼むから。 「や、待って、」 「だって、僕には触られたくないでしょ。他の奴を呼べばいい」  背中を向けたまま言う。 「ゆう、や。お願い、助けて……ふっ、ん」  咄嗟に口から零れた。少し大きな声を出すだけで、息が乱れてよけいに苦しくなる。
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